2015年を振り返って〜TVアニメベスト10〜


 去年に引き続き今年も。

 選んだ理由は、後日挙げます。

SHIROBAKO

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監獄学園

「監獄学園」 第6巻<初回生産限定版> [DVD+CD]



 

『心が叫びたがってるんだ。』


 観てきました。素晴らしかったです。


 肌理細やかな描写の数々が良かった。登場人物の所作一つ一つが意味を持っており、それが人物造形を豊かにしている。


 演出面もこれまた良かったです。




 作中、「殻」のモチーフが度々登場する。

 
 成瀬順は、自分が発した言葉よって、家族を壊してしまったことに強いショックを受け、「自分の想い・自分の言葉」を他者に発することが出来なくなってしまっていた。「殻」の中に閉じこもっている状態なのだ。


 成瀬は、言葉を発しようとすると、お腹が痛くなり、トイレへと駆け込んでしまう。学校のシーンでもそれは度々訪れる。成瀬が駆け込むその薄暗い女子トイレの個室は、まさに「殻」そのものだ。想いを発露しようとしても、それがうまく出来ず、女子トイレの個室=「殻」に戻ってしまう。


 成瀬は自宅に帰ると、部屋の中の明かりを付けずに暗い中で食事をする(食卓の上の明かりだけを付ける)。なぜ、そのような事をするのかというと、母親から訪ねてくる近所の人と話さないようにと言われているためであって、誰もいないように見せるため不必要な明かりは付けないようにしているのだ(成瀬が話せないため、ご近所の人に会わせたくない)。彼女は、薄暗い自宅で、誰かが訪ねてきても、それに応じることなく、閉じこもっている。その状態は、「殻」の中にいると言えるだろう。


 しかし、その「殻」は徐々に取り除かれていく。坂上たちとの交流によって、成瀬が自分の想いを発露しても腹を痛める回数が減っていき(携帯電話のメールのやりとりなど)、「殻」(=トイレの個室)からは遠ざかっていく。さらに、母親に言われ、自宅から出ないようにしていたが、訪ねてくる近所の者に対しても、応じるようになる。他者との交流を深めることによって、「殻」が徐々に壊れていく。


 だが、成瀬は坂上の仁藤に対する想いを知って、また、「殻」に閉じこもってしまうことになる。その閉じこもる「殻」の場所はどこかというと、成瀬が言葉を失う原因となった丘の上のラブホテルである。彼女は、廃墟となったお城の薄暗い個室に閉じこもり、出てこなくなってしまう。再び「殻」の中に閉じこもってしまうのだ。


 「殻」に閉じこもる成瀬のもとに、坂上が訪れる。坂上を拒絶する成瀬だったが、自分の想いを全て坂上にぶつける。その想いは、他者を傷つけ、全てを壊してしまうかもしれない本当の「心の叫び」であり、坂上はそれを受け止める。そこで、成瀬は、自分の全ての想い、自分の全ての言葉をさらけ出して、心の「殻」を打ち破り、その「殻」の外へと出ていく。


 そして成瀬は、舞台へと戻り、心に閉じ込めていた、伝えたかった気持ちを歌に変え、舞台会場の皆へと届けるのだった。


 この心の「殻」を壊していく描写がよかった。



 長井監督の手腕も良かったし、岡田麿里さんもよかった。『凪のあすから』以来の久しぶりの岡田節だった。岡田麿里さんの独特の言い回し、なぜその場面で、この言葉をチョイスするのかという言葉のセンスなど、岡田麿里さんらしいなと思う場面がいくつもあり、面白かった。冒頭にある玉子の妖精と成瀬のシークエンスでの妖精が言う「おじゃん」とか(なぜ、ここで「おじゃん」を選択するのか、もっと別な言葉もあるはずなのに)、成瀬と坂上のお城の中でのシーンでの成瀬が発する自分の想いの言葉の数々とか。素晴らしいです。



 最後に、良かった部分を箇条書きで。


 ○坂上の祖父が古くなって壊れてしまった自転車を修理していると、坂上が自分の自転車を使っていいと言う(そうすると徒歩で、学校まで通学することになるのだが)。そこから、成瀬が祖父のことを大切に思っていること、自分を親の代わりに祖父・祖母に感謝していることがわかる。坂上と祖父の関係性を一瞬にして説明してしまう効果的な描写


 ○坂上の家に、成瀬の母が保険の外交員として訪ねてくる。そこで、坂上と自分の娘が同じ学校に通っていると知ると、成瀬母の表情は曇る。その後、祖母から、成瀬母が自分の娘は明るくおしゃべりな娘だと話していたということを伝えられる。成瀬母が自分の娘が話せないことを、ひた隠しにして、嘘までついていることがそこからわかり、成瀬母の娘に対する想いがわかる


 ○坂上DTM研究会に所属している。そこから坂上が作曲・音楽に関して、まだ興味を失っていないことがわかる。


 ○仁藤の性格の裏表が描かれているのが良かった。みんなに見せる優等生的な一面と坂上に見せる素の部分。


 ○成瀬の自宅が新興住宅地という舞台設定が良かった。まだ空き地が多い新興住宅地に新築の家を買って、これから家族で暮らしていくぞという時に、離婚。成瀬母は生活と娘を育てるために、奮起するわけで。

   
 ○坂上の祖母が成瀬に出す飲み物が、カルピスっていうのが、おばあちゃんって感じがする。

   
 ○坂上宅にあるピアノ。親の離婚によって、坂上はピアノを弾くことはなくなっていたが、成瀬の想いを曲にしようとピアノをまた弾こうとする。そこで、久しぶりにピアノに触れて、坂上はあることに気づき「ばあちゃんか」とつぶやく。祖母は、成瀬がいつでもピアノを弾ける様にと手入れをちゃんとしていたのだった。祖母の成瀬に対する想いをさらっと描写するこの素晴らしさ。


 ○田崎が成瀬に想いを寄せていく描写もちゃんとしているのが良かった。さりげなくだけど。

  
 ○坂上たちはスマートフォンなのに、成瀬がガラケーという設定も良い。成瀬のリュックも成瀬の本来の性格嗜好をよく表している。作中の登場事物の服装や持ち物から、彼らの性格がわかる。

   
 ○坂上と仁藤が渡り廊下で会話するシーン。渡り廊下の柱、照明の明暗によって、彼と彼女の間には線が映像的に引かれ、分断されている。そこから、彼と彼女の想いの繋がらなさが感じ取れる。


   
  

『アイドルマスター シンデレラガールズ』第1話 シンデレラたちの始まりに


 高雄統子監督のテレビアニメ初監督作品であり、期待していた作品。


 第1話を見た感想はというと、高雄統子監督らしいシャープな画面作りで、見応えがあるものだった。レイアウトもかっちりと決まっており、かっこいい。
 

 2011年に放送された『アイドルマスター』でも、背景描写は繊細に描かれていたが、今作はよりリアリティに、精緻に、描写されていると感じた。小道具の描写も作りこまれている。現実感溢れる画面作りだ。さらに照明設計も、自然光を意識した陰影作りになっており、そこもよりリアルな感じが出ている。


 カット割りも良い。

 Aパート、島村卯月とプロデューサー(以下Pと呼びます)の会話シーン。卯月がPに対し、「なぜ自分が選ばれたのか」と聞く。すると、カメラは若干引いて、卯月を後ろから捉える。そこから、彼女の「一度落ちたのになぜ自分が選ばれたんだろうという」不安な心情を表現する。そして、カメラは卯月を正面から捉える。その映し出されたレイアウトは、画面正面に被写体を置かない不均衡な構図で、観ている者に対して、強く印象付ける。(さらに云えばその不均衡さから彼女の不安な心情をも表す)、そこで、Pは「笑顔です」と即答をする。レイアウトのインパクトから、「笑顔です」との回答はより印象づけられ、その後の今までなかった二人のバストショットでの正面切り返しによって、二人のやりとりは鮮明に視聴者の目に焼き付けられる。




 このように、考えられたカット割りが随所にある。


 また、見せ方もなかなか面白い所が随所にある。島村卯月とPが出会う所での、鏡を使った見せ方なども面白い。




 レイアウトに関しても、時折ハッとさせられるものがあった。例えば、渋谷凛がPから勧誘を受けるシーンにおいて、Pが「夢中になれる何かをお持ちですか」と質問した時の、逆光で捉えられた凛のショットはインパクトがあった。彼女の夢中になれる何かを持つ者への憧れ・夢を持たない心の空白(逆光で捉えられることによって、画面の大半を白色が占拠し、その白色が彼女の夢持たぬ心の空白を表しているかのようだ)を表現したショットだ。




 一番良かったシーンは、卯月と凛の公園での会話シーン。凛が卯月に「なぜアイドルになりたいか」と質問する。そこで、卯月は「夢だから」と返答する。

 アイドルという夢について語る卯月に合わせて、数々の花を捉えたショットが挿入される。そして、卯月は座っていたベンチから立ち、桜の花びらを手に取り、満面の笑顔で「Pさんは、私を見つけてくれたから。私はきっとこれから夢を叶えられるんだなって、それが嬉しくて」と凛に語る。その卯月の言葉を受けた凛は思わず、持っていたハナコのリードを離してしまう。


 卯月は、挿入された満開に咲いた花のショットのように、、卯月が手に持った桜の花びらのように、これから満開の花を咲こうとしている。




 陽の光を浴びてキラキラと輝く卯月を、陰日向から見ていた凛は思わず圧倒され、見惚れてしまう。そこで、夢を持っていなかった・何か夢中になれるものを持っていなかった凛は、夢を持つ少女の輝かしさに、美しさに惹かれるのだ。




 桜の花びらの使い方、陽の光と陰日向を利用した演出、花を捉えたショットの挿入など、少女たちの心情の機微を巧く表現しており、良いシーンだった。「ここから物語は始まるんだ」と意識させる、第1話目にとって必要不可欠なシーンを、見事に作り上げていた。


 期待していた通りの出来栄えで、素晴らしい第1話目でした。次回がずごく気になる。



 以下、小ネタ。


●時折、登場する12時前を表した時計。

 卯月の場合。Pと出会う前は、時計に調整中と札が貼られているが、Pにスカウトされると調整中の札は取り外される。




 凛の場合。自室にて、アイドルになると決心するシーンにおいて、12時前の時計が映し出される。




 本田未央の場合。オーディション会場にて、時計は映し出される。




 彼女たちがアイドルへの道を踏み始めた瞬間に、時計は映し出される。12時前の時計は、彼女たちがシンデレラであることを指し示してくれる。


 僕はこの、シンデレラガールズについて、まったく知らないのだが、この設定は良いなと思った。何者でもないごくごく普通の少女である彼女たちは、Pという魔法使いの力により、ドレス(=アイドル衣装)を着飾り、舞踏会(=ステージ)で踊る。シンデレラとアイドルという物語は、気持ちのよいほど合致する。



●同ポジの反復とか結構多かった。高雄監督は、昔やっていたこともあるけど、ここまでやっていなかった気がする。



●自室において、アネモネを飾っていた凛。Aパートでのアネモネがここでうまく働いてくる。アネモネ花言葉の通りに、彼女はアイドルという希望・期待を見つけることになる。


  

2014年を振り返って〜TVアニメベスト8〜を選んだ理由について

 前の記事で書かなかった8作品を選んだ理由を書いていきます。


凪のあすから

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 『true tears』、『花咲くいろは』と並ぶP.A.WORKSの傑作作品だと僕は思います。


 岡田麿里さんの脚本も、篠原俊哉監督も素晴らしかった。


 第1部と第2部で構成された2部構成になっており、その両方で描かれたのは、分断された者たちの融和だ。海と陸とで分断された者、5年という時間で分断された者。分断され、交わりのない、停滞した世界で、少年少女たちは悩みながらも、少しずつ前に進み、停滞した世界(凪の世界)を変えていくことになる。


 まなかと紡が出会うことによって、この物語は始まるが、それは彼と彼女の運命的な出会いというものではなく、海と陸が出会った瞬間であり、その海と陸の出会いにより、光と美海、ちさきと紡、要とさゆたちは交流していくのだ。


 岡田麿里さんの描く登場人物たちの心情の機微は、やっぱり良かったです。是非、もう一度西村純二監督とタッグを組んでP.A.WORKSで作品を作って欲しい。


 各話の演出も素晴らしく、篠原監督が参加された回や安藤真裕さん、阿部記之さんの回など特に良かったです。



一週間フレンズ。

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 風景描写が気になった作品だった。作中で登場するその時々の風景が、登場人物たちの心情と連繋し、心情表現を豊かにしている。特に徳本善信さんの回(第4話と第8話)は顕著にその傾向が表れ、見応えがあるものだった(少し過剰気味でしたが)。第4話では、祐樹と香織の関係に合わせて、風景は陰鬱なものや、ビビッドなものへと変化する。さらに、第8話でのあまりにも鮮やかな花火の風景は、4人の親密さを表したかのようだった。

 最終話の岩崎監督も素晴らしかったです。


 岩崎太郎監督にとって、『薬師寺涼子の怪奇事件簿』以来の監督作品。僕は、『薬師寺涼子の怪奇事件簿』が好きだったので、期待通りの出来で、嬉しかったです。


 聖蹟桜ヶ丘駅付近の舞台設定も好きでした。



ピンポン THE ANIMATION

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 2014年で最も興奮するエンターテインメント作品でした。漫画、映画に続き、これまた傑作です。


 セルロイド製のボールが木製の卓球台に当たる音、卓球のラケットにボールが当たる音、それらの音が作り出すリズム。漫画のコマ割りのような画面展開によって、作り出される映像のリズム。それらのハイテンションなリズムが、クオリティの高い作画、作り込まれたストーリーと合わさって、最高にエキサイティングな作品に仕上がっていた。映像や物語のテンポがブラボー。


 これを見て白熱しない者などいない、見たもの誰しもが熱狂すること間違いないだろう。


 掃除用ロボットのルンバが登場したり、現代に合わせたものになっているが、何年経っても色褪せることない作品。才能がある者とない者の残酷な現実。スポーツ作品として本当に傑作です。



ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース

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 サクサクと物語が進んで面白かった作品。大体一話完結なので、ストレスなく見れました。物語展開がここまでスムーズだと飽きないです。



残響のテロル

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 映像、物語、登場人物ともに素晴らしかったのですが、個人的にはもう少し尺が欲しかったなと感じました。1クールではなく、2クールだったらなと。映画ならこの情報量でもいいと思うのですが、テレビシリーズだとちょっと物足りなかった。


 ハイヴとの関係性を掘り下げたり、リサとナインとツエルブの関係だったり、人物の掘り下げをもっとして欲しかったという印象。



アルドノア・ゼロ

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 爽快感がある作品でした。


 敵うはずのない理不尽までな能力を持ったスーパーロボットに挑むのは、訓練用のリアルロボットという設定だけでも燃えるし、さらにそのスーパーロボットを気力・ど根性・奇跡などというもので打破していくのではなく、計算された計画、状況判断と機転によって、撃破していくのが、爽快だった。頭が良く、行動力を持った主人公を描くのはこうでないと。

 ある作品では、主人公がすごい人物だと表すのに、周りの登場人物が「この人はすごい」、「天才だ」、「ありえない、こんな人がいるなんて」などとはやし立てて表現していたが、そんなんじゃ伝わらないって。主人公がいかに頭が良く、能力を持った人間なのかは、周りの人間の薄っぺらい評価の言葉なんかじゃなく、その主人公の発想力や行動によって、示されていかなくてはならないと僕は思う。その点に関して、今作はとてもうまく描いていたと思います。

 人物描写やその関係性を描くのが本当に巧い作品でした。高クオリティなバトルアクションもグッドです。



天体のメソッド

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 ノエルは一体何者なのか。円盤とはなにか。それらのことは、作中で明確に示されることはなかった。そもそも、それらを描く気はなかったのだろう。ノエルの正体云々よりも、ノエルと乃々香たちが過ごしてきた時間、それによって出来た絆、そしてその絆の再生の方が描きたかった主題であり、円盤自体マクガフィンで、他に代用できる物があればそれでもよかったのではないかとさえ思った。


 物語のラストは、理屈などを超えたものが待っている。制作陣はあのラストを描きたかったために、今までの話を作ってきたのだろう。

 徹底的に、描きたいものを描くという姿勢が好印象でした。だからこそ、あの結末に感動したわけで。



 別に目新しいラストなんかではなく、ありふれたものでしたが、あのノエルの笑顔は最高に幸せなもので、「ああ、これを描きたかったのか」と僕は感動したのです。






2014年を振り返って〜TVアニメベスト8〜

 去年に引き続き今年も。簡易版で挙げます。


 面白かった作品はかなりあったのですが、心に刺さった作品はこの8作品しかありませんでした。



『天体のメソッド』の演出について


 『天体のメソッド』第7話まで視聴して。作中の演出について色々と。




●第7話においてのキリゴンの立て看板の演出がなかなか良かった。


 ノエルはふとしたことからキリゴンの立て看板を壊してしまう。

 壊してしまった立て看板をノエルと湊太が修理をする。いびつながらも最終的には修理が終わり、キリゴンの立て看板は直される。これが何を意味しているのか。

 それは、7年前に失われてしまった乃々香たちの絆の修復を意味しているのだろう。


 乃々香は、母の墓参りを通じて、悲しさから避けていた母との記憶、その悲しみから自分が無自覚のうちに記憶の奥底に眠らせていた7年前の記憶と向き合うことを決める。そして彼女は、失われてしまった汐音との絆を再び紡ごうとするのだ。

 その壊れてしまった絆の修復をキリゴンの立て看板の修復に仮託して語られる。昔のようには戻らなかった少し不格好なキリゴンの立て看板。しかし、それは乃々香たちの現在を的確に捉えている。いびつながらも、確実に絆は紡がれていくのだ。


 ここで面白いのが、立て看板を壊したのがノエルであり、直したのもノエルということだ。7年前の円盤の出現とともに、失われた絆。その失われた絆を再び紡ぐ契機を作っているのが、ノエルなのだ。

 ノエルは第5話において、柚季に乃々香のアルバムを渡すことによって、乃々香と柚季の絆を再び紡ぐきっかけを作っているし、第7話においては、汐音の伝言を乃々香に伝え、またしてもきっかけを作っている。


 第7話を見て、今作の主題が、「失われた記憶・絆を再び取り戻す」ものなんだなと再認識した。




●第3話のアバン。汐音の部屋にあるコルクボードが映し出される。

 そこには、動物写真ばかり飾られている。しかし、その中に1枚だけ人物写真が飾られている。それは、7年前の乃々香と汐音が映った写真だ。そこから、汐音が乃々香との思い出を大事にしていることがわかる。彼女にとって、乃々香が唯一の親友なのだろう(なぜなら他に人物写真は飾られていない)。また、コルクボードの日焼けの跡から長らくその写真を貼っていたこともわかり、写真を裏返しにして貼る汐音だが、本当の気持ちは違うのだろう。




●第7話において、汐音と乃々香の思い出の場所が、霧弥湖近くのベンチの場所だということがわかる。第1話で汐音と乃々香が再会したのも、そこだった。「今更何しに来たの?」と汐音は言っていたが、乃々香のことをずっと待っていたのかもしれない。



●第4話。こはるは柚季に対して、円盤反対の活動は意味がないと言ってしまう。その直後の観光バスを後景にしたショットがよかった。

 ロングショットでこはるを映して、寂寞感のあるショットにしてもよかったが、巨大な観光バスによって画面が圧迫され、その中にぽつんと佇むこはるという縦構図のショットが、寂寞感の中に、虚無感も生んでいて(観光バスとこはるとの対比)、かっこいいレイアウトのショットだと思った。

 その後の、キリゴンの立て看板を店の中にしまおうとするも、つっかえてうまく入らず、そこで柚季に対してひどい事を言ってしまったことを思いだし、涙を流してしまうという芝居も良かった。第7話でキリゴンの立て看板が柚季たちが子供の頃に作ったものであることが示され、このシーンにより意味がもたらされる。キリゴンの立て看板は、柚季、こはる、湊太の絆を象徴したものであり、その立て看板に寄りかかって、こはるを泣き崩れさせる演出は、第7話まで見ないとわからないものだ。良い芝居です。




●第2話。乃々香は始業式の日を勘違いしていて、急いで朝ごはんを準備する。その際に、フライパンが温まっているかどうかを手で確認してから、目玉焼きを作ろうとする。こういう小さい芝居が僕は結構好きだ。そんな手をかざす芝居をしなくてもこのシーンは成立はするのだが(たいていのアニメ作品ではこんな細かい芝居しない、というかさせなくてもよい)、そこで敢えてその芝居をすることによって、映像がより豊かになっていく。こういう小さいな芝居を積み重ねることが作品にとって重要なことだと僕は思う。




●第3話は学校の行事で、霧弥湖町のスポットを巡るというものになっている。このスポットを巡る行為によって、乃々香は霧弥湖町にいた頃の過去の記憶へと徐々に近づいていくのだ。こういう仕掛けとかなかなか良い。



●第7話は、話の中盤に差し掛かると雪が降ってくる。この雪が降るタイミングが良いです。雪が降ることによって、7年前の天文台での記憶が呼び起こされる。また冬が来たのだ、あの頃の彼女たちがいた冬が。物語が佳境に近づいていきのがわかり、テンションが上がる。



●第7話で理解できなかったのが、駅のホームで敷物を敷いて、弁当を食べるというシーン。なんで、そんなとこで弁当を食うんだとすごい疑問に思った。もっと別のところで食べればいいのに。北海道では、よくある話なのか? そんなことはないとは思うんだけど・・・。それと、不思議に思ったのが、電車の窓にカーテンが付いていること。ロールカーテンじゃなくて、普通のカーテン?




 第7話を終え、物語も折り返し地点を過ぎたので、これからどうなっていくのか気になるところです。またちょくちょく書いていきたいと思います。

『グラスリップ』についてのメモ


SHIROBAKO」について、書こうと思っていたけど、「グラスリップ」についてまだ書いていなかったので、こちらを先に書く。


 第1話を見た時、この作品は「true tears」のようなちょっとドロッとした恋愛物になるのかなと思ったけど、最終的にはそんなことはなく、実に爽やかな少年少女の青春物語だったわけで。高校3年生のひと夏を通して大人へと変わっていく様を描いた、実に王道な作品でした。


 箇条書きで、色々書いていきます。

ニワトリについて


 第1話、学校において深水透子がニワトリのスケッチをしていると、そこで沖倉駆と出会う。駆と会話していく内に、ニワトリたちのことが不安になり(駆が不安を煽るような発言をする)、友人である高山やなぎ、永宮幸、井美雪哉、白崎祐に4羽のニワトリを預け、透子自身もジョナサンというニワトリを一時的に預かることになる。

 ニワトリを一人一人が預かる行為によって、5人をニワトリに仮託していることが指し示される。つまり、ニワトリ=5人ということ。それは、EDでも示されている。

 5人がニワトリであるならば、駆は何かというと、作中に度々登場し、EDでも登場する鷹(もしくは鳶)だ。

 鷹のイメージに、駆は合致している。孤高の人。ニワトリのように一箇所にとどまりつづけるものではなく、常に空を飛び回っている。駆自身も母の仕事で各地を色々と飛び回っており、一箇所にいられない人物だ。

 ニワトリと鷹。同じ鳥同士だが、飛べる鳥と飛べない鳥という違いがある。飛べない鳥たちが、飛べる鳥と出会い、少しずつ変化していく。そして大人に近づいていく。




未来の欠片について


 僕は、当初、未来の欠片は駆が云うように、その映し出される映像は未来の断片であり、予知能力的なものだと思っていたのだけど、話が進むにつれ、どうやらそれは違っていたことがわかる。

 事実、透子が見た未来の欠片でその通りになったものもいくつかあったが(幸の入院とか駆とのキスとか)、それだけでは説明できないものもあった。最終話において、透子の母によって、「自分自身も若い頃に未来の欠片を見ていたこと」、「未来の欠片は、未来を予知したものではないこと」が示される。


 じゃあ、結局なんなのよという話になるわけで。


 最終話で、透子と駆は、未来の欠片について話す。そこで、透子は、「あれは、未来なんかじゃなくて、まだ起こってない、だけどきっとこれから起きること」、「見たいから見えた」という発言をする。

 未来の欠片というものは、「こうなったらいいな」、「もしかしたらこうなってしまってしまうのではないか」という気持ちの表れではないかと思う。


 駆とキスをするという未来の欠片はその通りになった。それは、透子の「これから、駆とこうなりたい」という願いから見えた未来の欠片であり、
 

 第1話において透子が見た駆と思われる映像は、「これから、こういう人と出会いたい(駆と出会いたい)」という希望から見えた未来の欠片であり、


 第7話において見えた「駆が落ちていく」という未来の欠片は、「これから、自分のところから駆が離れていってしまうのではないか」という不安の気持ちから見えた未来の欠片であり、


 第7話のラストで見えたやなぎから透子に対して向かってくる黒い鳥の群れの映像は、「これから、やなぎとの関係が壊れてしまうかもしれない」という不安から見えた未来の欠片であり、


 その他の未来の欠片も、透子が抱える、未来への願い、未来への恐れ、未来への希望、から来る映像だろう。


 未来の欠片は、特別な人間が見る特殊な能力ではなく、「まだ大人になっていない彼や彼女が抱いている未来への願い・恐れ・希望のイメージを具現化したもの」なのだろう。


 最終話、夏休みが終わり学校が始まる。そこで、駆の家が映し出されるのだが、もうそこには駆が使用していたテントはない。透子が登校しているときに、そこで彼女は未来の欠片を見て、駆の「透子」という声を聞く。そして透子は振り返り、この物語は終わる。僕は最初、駆がテントから家に移り、学校で透子と駆が出会ったものだと思っていたが、そうではなく、もう駆はこの地から去ってしまったのだろう。

 しかし、透子は未来の欠片で、駆と再び出会う映像を見る。それは、透子の未来への願いであり、「きっとこれから起きること」なのだろう(駆の「透子」と呼んだとき声質が若干大人になっていた)。そして、おそらく駆も透子と再び出会う未来の欠片を見たのだろう。


 彼と彼女は、また出会い、新たな物語が始まる。





西村純二監督作品と云えば、ハーモニーだったり、俯瞰からのショットだったりするけど、僕にとって「ああ、西村監督作品だな」と感じるのは、EDのちびキャラ化された登場人物だ。「今日からマ王!」や「true tears」などでも使われているEDのちびキャラ。

 やっぱり、これですよ、西村監督作品は。




●登場人物の家が結構特徴的だった。よくある家ってわけでなく、ちゃんとデザインされている家。特に印象的なのは、駆の家だ。田園の中にポツンと立っている現代的な家は、かなり異質で、まるで駆の家族を象徴しているかのようだ。その家の庭に住む駆はより異質な感じを受ける。



●OPも面白い。透子の高一時代、まだ怪我をしていなかった雪哉、幸に恋をする祐、日乃出浜に越して来る前の駆と、物語が始まる前の人物たちを描く。それによって、登場人物の過去をさらっと説明してしまうのだ(作中ではあんまり説明しないのに)。そして、透子は未来の欠片によって、これからの彼・彼女のイメージを見る。面白い構成のOP。



●雪哉が走っているときの呼吸がちゃんとした呼吸法になっていて良かった。そういうところまでちゃんと行き届いているのが良い。



●第7話においての水着のまま陽菜が雪哉を自転車で追いかけて、「かっこ悪くならないでください」と伝えるシーンは、インパクトの強いなかなか良いシーンだった。自転車が自分の想いを加速させる装置だということをよく理解している。



●透子の「私、子供のころ、大人がなんでわざわざお金出して、自販機で水やお茶買うのか、本当不思議だったわ。横にカルピスウォーターとかあるのに」は、名言です。




 良い作品でした。西村純二監督の今後の作品が楽しみです。