「マクロスF」の最終回って結構ひどくないか? 特に三角関係に関して〜河森正治総監督と吉野弘幸さん一体どうなのよ〜





マクロスF(フロンティア) 1 [Blu-ray]

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いろんな所で、「マクロス最終回良かった〜」という感想を見たけど、「本当にそうなのか?」と違和感を僕は持った。





最終話を何十回も繰り返し見ていたら、「これって、結構ひどい終わり方だよな」と僕は感じてしまったからだ。







何がひどいと言うと、アルトが何も選択していない、何も決断していない、恋愛をまる投げしてしまったという点だ。OPの曲名を「トライアングラー」という名前にし、ラストのシーンでヒロイン達が「トライアングラー」を歌い、ラストのカットでフレアをわざわざ三角形にまでして、三角関係をここまでかというほど強調したのに対して、肝心の男性主人公が何一つ答えを出していない。ランカを選ぶのか、シェリルを選ぶのか、それとも二人とも選ぶのか、二人とも選ばないのか、選択肢がいくつもあったのに、結局はどれも選ばずにアルトは選択を放棄、拒絶した。いや、アルトが選択するのをあえて制作陣が描かなかったのだ。










true tears vol.7 [DVD]

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僕は、ここで2008年1月に放送された「true tears」という作品を思い出した。この作品では、眞一郎、乃絵、比呂美の三角関係が描かれている。眞一郎が乃絵か比呂美のどっちかを選択するために、もがいて苦悩する。そして、彼は悩みながら、痛みに耐えながら、比呂美を選ぶことを決断する。最後に、眞一郎は比呂美を選んだ事を乃絵に告げる。三角関係においての男性主人公なんて優柔不断でどうしようもない奴なのだが、それでも彼はけじめをつけるために比呂美を選択し、乃絵に比呂美を選んだことを告げた。彼は、答えを出したのだ。僕は、この作品が三角関係を描いたアニメ作品として近年稀にみる傑作だと思っている。何故傑作かと感じられたかというと、主人公がもがきながら、ヒロインをどれほど傷つけているかを自覚しながら、答えを出したという点が、制作陣が視聴者に対して、作品に対して、「誠実」だったということが感じられたからだ。監督も脚本家の方も、作品に対して真摯な態度で望んだということが垣間見える。選択した男性主人公を描き、選ばれたヒロインを描き、選ばれなかったヒロインを描き、三角関係における「悲哀」をちゃんと描き抜いた。選ばれなかったヒロイン、乃絵の涙を制作陣は逃げずに描いたのだ。





それに対して、「マクロスF」はどうなのか。制作陣は、答えを出さなかった。描かなかった。もし、劇場版で答えを出しますなんていうのだったら、エヴァか、かしましか、魔王か。テレビシリーズで答えをだしても良かっただろう。テレビシリーズで答えを出していけない理由なんてない。もし、答えを出していけない理由があるとしたら、「あのね」しかないのではないか。三角関係における「選択」から派生する痛みを全く描写しなかった。一体、何のために三角関係を描いたのだ。ただ、物語を盛り上げる装置として三角関係を用いたのだろうか。三角関係を描くにあたっての「答え」という責任を放棄したのは、はっきり言ってどうかと思う。







マクロスF」は、ハイクオリティで素晴らしい作品には間違いないが、三角関係に関しての評価は一体どうなのだろう。っていうか、他の視聴者は恋愛に関してどう感じたのだろうか。「銀河のラブストーリーの結末があれかよ」と僕は思った。歌に神経使いすぎて、三角関係にまで回らなかったのか? 他の視聴者がどう思ったのか聞いてみたいものだ。













河森正治監督は、一体何を伝えたかったのだろうか。それは、インタビューにもあるように異質なものとの出会いを伝えたかったのだろう。それに気をとられ過ぎて恋愛面をおろそかにしたのだろうか? いや、監督だけじゃなく吉野弘幸さんのシリーズ構成にも問題があったのかもしれない。

















追記



何故、最終的にシェリルを生かしておいて、なんでミシェル殺したんだよ。一体なんのためにミシェルを殺した? そして何故シェリルを復活させた? これがかなりの疑問だよ。今思えば、何のためにミシェルが死んだのか全然わからん。別に殺す必要もないし、不必要になった訳でもないし、一体なんの意味があったんだ。