もうそろそろアニメで突然やってくる女の子とか、幼なじみとか、やめませんか?




アキカン! 1(特装版) [DVD]

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アキカン!」第一話を見てそう思いましたよ、ホント。




なんなんだよ、この突然やってくる女の子と幼なじみの黄金パターンは。いつまでやり続けんだよ、マジで。もう、2009年だぞ。2030年とかになってもやり続ける気か。この設定をみんなそんなに求めているわけ? 僕は誰もそんなに求めているとはどうしても思えないんだけどな・・・。


1クールにこのパターンのアニメが2,3本以上ある状況って一体どうなのよ。いい加減やめろとはそこまで言わないけどさぁ、年に2,3本とかでいいと思うんだけど。



まぁこのパターンは昔からあって、突然やってくる女の子と幼なじみのパターンの金字塔と言えば「うる星やつら」があるし、映画や小説や演劇作品などにもあるし、日本の古典作品の中にも存在しているけど、それがいまだにアニメの中心に居座り続けている状況ってどうなんだ? なんで「物語の出発点の基礎」みたくなっちゃってんだよ。突然やってくる女の子と幼なじみの基本は変えずに、登場の仕方が違うだけで、みんな同じなんだもんな。木彫りの像から出てくるとか、ずんぐりむっくりなロボットに搭乗して出てくるとか、自分の家のベランダに干してあるとか、ジュース飲んだら出てくるとか、登場の仕方は違うけど、基礎の部分はまったく同じ。この設定に誰も飽きないのか?










突然何の理由もなしにやってくる女の子と幼なじみのセットは、創作上かなり効果的な装置なんだとは思うよ。平凡な男子高校生主人公の日常と言ったら、学校と家の行き帰りがメインとなると思うし、その中で非日常的なヒロインを刺激的に登場させようとしたら、転入生としていきなり学校にやってくるか、家に何の前触れもなく押しかけてくるとか、限られたパターンの中に収まってしまうけど、その何の前触れもなくやってくる女の子が最も刺激的で効果的なヒロインの登場の仕方なんだろう。それに、突然やってくるからまどろっこしい出会いの導入をうまく省けるし、説明も必要ない。

幼なじみに関しても、主人公の過去を知っているから、主人公の過去を知らない突然やってきたヒロインとの対比がうまく描けるし、突然やってきたヒロインに焦る幼なじみという恋愛描写も描けるし(ケメコやかんなぎとか)、昔から主人公と交流がある幼なじみだから主人公を好きになっていく導入課程を簡単に省略することもできるし、導入課程を省略できるから主人公と突然やってくるヒロインの恋愛描写を十分に描けるし等、いろいろと都合がいいとは思うんだけどね。




そして、突然やってくる女の子と幼なじみのパターンはアニメにとって非常に都合が良いものなんだよな。




大体のTVアニメ作品は1クール、2クールがメインの長さで、一年かけてやるTVアニメ作品なんてそうそうない。12話、24話という時間制限の中で物語を展開しようとしたら、突然やってくる女の子と幼なじみのセットはとても相性がいい。先ほど述べたように、突然ヒロインがやってくるから下手に話数をかけて馴れ初めを描かなくていいし、幼なじみは主人公に既に好意を寄せているから導入課程を省ける。まとも描いたら時間がかかる物を描写しなくていいという画期的なセットなんだと思う。短い間の中で主人公と女の子達のラブコメを描こうとしたら、これほど都合がいい設定はない。





だから、突然やってくる女の子と幼なじみのパターンが1クールのアニメ作品非常に多い。12話という短い間の中で十分に物語を描ける設定だからこんなにもTVアニメの中で氾濫しているんだろう・・・・と僕は思う。





でもそれって一体どうなのよ。漫画やライトノベルから突然やってくる女の子と幼なじみが登場する物を選んでアニメ化していたら、似たり寄ったりなものばっかりになってしまうと僕は思うんだけど。別に突然やってくる女の子と幼なじみの設定は悪くないけど、TVアニメでそればっかやってると飽きられて廃れていく方向へ行ってしまうんじゃないか?



もうそろそろそういう設定のTVアニメの本数を減らしてもよくないっすか?