アニメにおける視覚印象について、右側と左側(つーか富野監督の話)

 忙しかったので、更新が滞っていました。最近やっていた事と言えば「映像の原則」を読み返していまいた、TVで富野監督をよく見かけたので。「週刊手塚治虫」と「しゃべり場」の虫プロの話面白かったなぁ。アトムでは劇をやらずに論文をやっていた(演技をせずに台詞で説明してしまっていたこと)とか、下劣だとか、富野監督の映像に対するスタンスが出ていた。まぁ、それがきっかけで本棚から引っ張りだして久し振りに読み返していたわけです。そこで気になったのは視覚印象の話。多分、富野監督のファンの方なら周知のことだと思いますけど、色々と書いていきます。




 どういう話かというと画面における方向性、観客(視聴者)にとって右側の位置(上手)と左側の位置(下手)の意味について。これは能舞台というか、舞台全般に使われている話です。


 それと、これは富野監督の論であり、すべてに適用されるわけではありません。







 上手である右手が上位。その逆は下位で、それによって、人物配置も自動的に決まってきます。



  上位=力の強い者は、上手に配置するだけでその表現ができます。
     強い敵も上手にいますし、上手から出てきます。
     悪魔や敵になる宇宙人もそうです。
     極めて自然なものも上手にあります。



 劇全体のなかで敗北していく人物(役柄=キャラクター)なら、基本的には、上手から出て下手に消えていくように演出します。 
 その逆に、上昇するもの、上昇指向するものは、下手から上手に向かって登場させます。
 
 たとえば「ぼくは成功するぞー」「アアコさん! ぼくを愛してください」「王子様はいつ来るの?」というような人物たち(劇の終了時に成功を納める人たちは、上昇指向を持っている人たち)の将来は明るいものですから、下手から上手に向かって登場させ、演技を展開させます。
 
 これは映像のダイナミズムと一致するもので、観客は本能的に納得します。

 追われている人とか、絶望から自殺するような人物は、上手から下手に移動するように登場させて、劇を進行させます。負けていく人物もそうです。
 
 上手から下手に登場して勝っていく人物の劇が進行して、挫折することによって物語が佳境にはいれば、その劇中で、その人物を下手におくように動かして敗北感を強調し、そこに悲劇のクライマックスの演技をおきます。
 
 そのうえで、なんらかの転換があって成功に転ずるのなら、上手に向きを変えさせるという動きにしていくのです。そして、最後のクライマックスのプロセスを描き、上手、もしくは、フィナーレでは中央正面に位置させます。

 この“向きを変化させたところ”がキッカケ(劇的変換)になり、芝居の見せ場であるクライマックスは、上手に向いていく動きで表現されます。

 “逆をむかせる”ということが、大きな変換の表現になってしまうのですから、簡単といえば簡単な手法です。原則というのは、もともとシンプルなものなのです。
 
 舞台の上で説明したことは、映像にもあてはまることです。

 自作でいえば、ガンダムの登場は、まず右上位置から左向きにしてあります。それが強いときはずうっと左向き(上手から下手に流れる方向性を堅持)なのです。

 負けそうな劇のときは、押されっ放しを表現するために、右方向から来る敵に対して、ずうっと左向きに演出します。その間の劇なり戦闘シーンは、画面全体が、左の下手に流れる構成にしてあります。
 そして、逆転劇の瞬間に右向きに変えて上昇指向を発生させて、下手から上手に向かわせることによって、観客の視覚印象のダイナミズムを利用して、より逆転劇が印象づけられるように演出しています。



「映像の原則」95、96Pより一部抜粋

動きの方向性

   右から来るものは強い(左に向かうもの)=ふつう。当たり前。
                       自然的に強い印象。

   左から右に向くもの=逆行する印象があるために、そのものが強いという印象。
             しかし、左にあるだけのものは、安定と下位の印象。

   正面から向こうに行く=当り前で、弱い印象。状況論、総論的印象。
   正面からこちらに来る=訴え印象。自己主張。動きに強制感がある。
   下から上に行く=極度の並行だから強い印象。下にあるままのものは下位。
   上から下に行く=自然的に強い。怖い。圧倒的印象。


「映像の原則」80Pより一部抜粋

参考に(若干話が違うが)

 たとえば富野由悠季監督の作品は、やはり特別です。著書で語られているとおり、画面の左右の方向性を意識したフィルムの流れがやはり特徴的なのです。TVシリーズ機動戦士Zガンダム」でも、新発見がいくつも出てきています。

 第12話「ジャブローの風」は、エゥーゴモビルスーツ部隊が南米の地球連邦軍本部に大気圏外から降下して攻めていくストーリーです。冒頭からしばらくは一貫して連邦の地上部隊側が上手(画面向かって右)にあり、カミーユたちのMSは下手(左)上方から、まさに降下していき、右側のゴールを目ざします。さらに左上の方からジェリドたちティターンズ追撃部隊が攻めてくるので、挟撃されている雰囲気も出てきます。
 
 実はこれは一種の罠で核兵器による時限爆弾がしかけられていて、脱出のサスペンスが後半の見せ場となりますが、そのときは上手から下手へと脱出するものが動き、ジャブローの位置は変わらないので混乱はありません。

 移動の方向性が変わる点がドラマとしても転換点になりますが、それが全体のどこに位置するか、サーチで明確にわかります。





「アニメを語る技術」氷川竜介 より一部抜粋

 こういう感じで画面の右側(上手)と左側(下手)にはそれぞれの意味があるわけで。


 例えば、今放送されている「はじめの一歩」がわかりやすい例かもしれません。



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 富野監督ほど明確に意識しているとは厳密には言えませんが(監督が言ってる事と結構違うが)、上手(上位)、下手(下位)が単純に尚且つわかりやすく使われています。第11話のハンマーナオと一歩の試合。挑戦者&噛ませ犬として出てくるハンマーナオは下手(左)、王者の一歩は上手(右)に配置されています。上手=強者=一歩というわけでわかりやすく配置されてるわけです。序盤は一歩がハンマーナオを圧倒します。ここではまだ上手=一歩、下手=ハンマーナオの構図は変化していません。そしてハンマーナオが一歩を押し始めるとハンマーナオが上手、一歩が下手にへと転換します。ここで力関係が一変したことが視覚的にも認識できるわけです。次の12話になり一歩が反撃をはじめハンマーナオを圧倒し始めるわけですが、ここで一歩が上手、ハンマーナオが下手に転換し、力の差を見せつけ一歩が勝利するのです。こういう風に上手、下手を使い分けて「はじめの一歩」はドラマを転換していきます。多分、「はじめの一歩」は富野監督ほど凝ってというか、意識してはないので、単純に上手=上位=強者==主導権を握っているというぐらいの意識なんだと思います。・・・っていうかコーナーとかの事もあるから一概には言えないか。やべ、なんか書いていくうちにこじつけて書いているように思えてきた。「ガンダムの登場は、まず右上位置から左向きにしてあります。それが強いときはずうっと左向き(上手から下手に流れる方向性を堅持)なのです。」の所ぐらいしか一歩に当てはまらないよな、左向きとか、右向きとか。ダメだ、わかんなくなってきた。






 とまぁ、ごちゃごちゃ書きましたが、右側=上位、左側=下位と意識してアニメ作品を観ていったら・・・・・っていうかもう多くの人はやってるのか。実際、意識して視聴してみると上手と下手における視覚印象を考えながら作っているアニメ作品ってあんまり多くない。富野監督はめちゃくちゃ意識して作っているけど、他の演出家の人たちはそこまで意識していないんだろう。感覚的に使っている方はいるとは思うけど。配置を気にするよりも一連の動きの方が大事だし。