タユタマ-kiss on my deity- 第9話「硝子の向こう」が面白い〜ワタナベシンイチのシリアス〜



タユタマ-Kiss on my Deity- 第1巻 [Blu-ray]

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ナベシンと言ったら「ギャグ」みたいなイメージがありますけど(僕の勝手なイメージかもしれませんが)、実際はそんなことはないと言うわけで(過去の作品を見てみると)、そのことについて色々と。






Bパート、東京タワー、アメリ長回し


 裕理、ましろアメリ、ゆみな、三九郎、鵺達一行は、ましろの意向により東京タワーに遊びに行くことになる。そこでアメリは、ましろと裕理の仲を進展させようとおせっかいを焼く。しかし、それは三九郎にも忠告された通り、自分の心を偽ったものだった。

 大展望台に行くために、エレベーターに乗り込む裕理達。乗り込んだエレベーター内は超満員で、裕理とアメリは押されて抱き合う形になる。今までコメディ色が強かったが、ここからは一転、雰囲気ががらりと変わる。


 裕理とアメリが押されて抱き合う形になっているのを捉えたままカメラは固定され、約31秒間に渡る今話最長のカットが始まる。こういう長回しが今後度々登場する。大展望台に向かうエレベーター内での約31秒の間に裕理がアメリに話しかけたり、上を向いたり、アメリが狭くて居心地が悪そうにしたりと裕理とアメリが各々動作を取る、この動作が二人の関係性を如実に表すものになっている。裕理はアメリが自分に好意を寄せているとは知らなくて、上を向いたり、周りを見渡したりと何事もないようにこの約31秒間を過ごす。でも、アメリは前述した通り裕理に対して複雑な心境でいる、この裕理とアメリの微妙な関係の「空気感」をこの長回しによって見事に表現している。裕理とましろの仲を取り持とうとしていたアメリが、急に裕理と大接近することになった時のアメリの複雑な心境を、ショットをカットせずにそのまま映し出すことによってうまく表現している。しかし、人物の動作がちょっと拙すぎて、うまく人物達が演技出来ていないので、「空気感」を出すことだけには成功していると思う。



 長回しが終わると、BGMが流れ、裕理の胸に手をあてたショット、アメリの瞳のエクストリームクローズアップショット(超クローズアップ)が映し出される。ここでましろのはしゃぐ声が聞こえ、強く瞳を瞑るアメリ、そして胸に当てた手を引いてしまう。この一連の流れにより、アメリの裕理への想いが再び揺れ動くが、ましろの声を聞き、自制するアメリのつらい複雑な心境が表現されている。


 大展望台にエレベーターが到着し、ましろや鵺は大はしゃぎする。裕理の手が触れ、赤面するアメリ、エレベーター内での事により動揺している様が窺いしれる。


 ここで注目したいのは大展望台の窓から外を見るアメリと裕理のショット。裕理とアメリが四角の枠に収められている事によって、自然と二人に視聴者の視線が注目してしまい、視点の誘導が成功している。それと同時に二人の間は枠で区切られており、二人の距離間とアメリの裕理への想いの溝を視覚的に表している。



 裕理に自分の気持ちを打ち明けようかどうか迷っているアメリ、その迷いを二人の後ろ姿を俯瞰で捉えた約20秒間のカットで表現している。その間、鵺がはしゃいで上手から下手にフレームイン・フレームアウトしていく様が映し出される。これはアメリがどれほど長い時間思い悩んでいるかを移動する鵺を使い、時間の経過を表現している。先程のエレベーターでは、人物達の動きによって、時間の経過を表していたが、今回は移動する鵺を使って表している。裕理やアメリ、周りのモブ達も微動だにしないので時が静止しているかのように錯覚するが、鵺が登場し移動することによって、時間が流れていることがわかる。



 やわらかなBGMと共に、アメリが想いを伝えようと決心する様が描写される。背景を真っ白にして、アメリにだけ視聴者の注目を当てさせる。アメリが言葉を発しようとした刹那、BGMがぶっきらぼうに途切れ、俯瞰から枠の中にましろと裕理、隣の枠にアメリが捉えられているショットに切り替わる。真っ白な背景から、突然普通の背景に戻るために、裕理に伝えようとしたアメリの想いが断絶されたことが強烈に表現されてる。しかも、俯瞰のアングルには客観的で感情が入っていない、また冷たく突き放された印象をも与える効果があるので、この俯瞰から捉えていることによって、裕理にアメリが拒絶された印象を視聴者に与えている。しかも、裕理が「御社がこっちにあると思って見ていた」という発言が尚更、アメリを冷たく突き放している。悩み、葛藤し、必死に自分の想いを伝えようとしているアメリのことなど全く考えてなく、ずっと御社を見ていた裕理の無自覚な残酷さがこの短い台詞に詰め込まれている。



 ましろに連れられて去っていく裕理、それを見つめることしか出来ないアメリ。ここでアメリはスカートの裾を二回強く握る。この二回というのがとても印象的。裾を強く握って、そして緩めるのは、悔しさが少しおさまったことを表しているのだと考えられるが、その後にまた悔しさが再燃し強く握り返す。この二回握ることによって、アメリの悔しさがとても強く表現されている。



 画面中央にアメリが一人ぽつんと配置されて、徐々にカメラが引いていく。約20秒近いカットで、無音で時間が過ぎていく。夕焼けに照らされて伸びる影が物悲しい。注目したいのは、周りに誰一人居ないこと。さっきまでいたモブ達が一切排除されている。これによりアメリの孤独な様が強く表現されている。しかもカメラが引いていくことにより、アメリが一人佇む様子がさらに強調され、孤独感がよりいっそう染み出ている。その後、無機質な電車の走行音に切り替わるのも、アメリの孤独感を醸し出している。








電車の車内、警報器、硝子の向こう


 東京タワー見物が終わり、電車で家路に着く一行。手を合わせる裕理とましろ。その手を合わせた裕理とましろを前景として、後景にピントが合っていないみんなと距離を置いているアメリが捉えられる。前景のましろと裕理から、フォーカス送りをして、後景のアメリにピントが合わさる。そのピントが合わさった瞬間、「ドン」という音ともに暗い曲調のBGMが流される。




 電車の外を虚ろな瞳で眺めるアメリ。ここで警報機が映し出される。この警報器が挿入されるだけで、一瞬にして緊張感や不安感が押し寄せてくる。レイプ目とまでは言わないが、無表情のアメリがクローズアップされる。そして滅びたと思われた応龍が登場する。


 この一連の流れによって、アメリの心が闇の淵に舞い戻ったことがよく伝えられている。しかも、かなり強烈に。裕理とましろの合わせた手=二人の親密な関係から遠くに一人佇むアメリに焦点が移っていくのは、アメリの孤独さをよりいっそう引き立てているし、警報器が「カン、カン、カン」と鳴っている様は余計に不安感を醸し出している。





三つの1カット


 前述した、大展望台に向かうエレベーター内での裕理とアメリ、大展望台の窓から外を見る裕理とアメリ、一人ぽつんと佇むアメリ、これらのショットをカットしない三つの1カットにはそれぞれの意味がある。

 ・エレベーター内では、無頓着で鈍感な裕理と気まずい心境で居心地の悪いアメリ、二人のありのままの姿を映し出すために約31秒間の時間を使って表現している。

 ・大展望台の窓から外を見ている場面では、アメリが裕理に対する想いをどうするかという「迷い」を約20秒間の時間を使って表現している。

 ・アメリが一人佇む場面では、約20秒を使って、アメリの「孤独」を表現している。


 一つの手法を使い、三つの場面それぞれに別々の意味を与えている。





ワタナベシンイチのシリアス


 東京タワーの出来事は、客観的にみると実際は大したことではない。ただ、エレベーターに乗り再び裕理を意識して、運悪く気持ちを伝えられなかっただけに過ぎない。でも、この何気ない大したことのない日常がアメリの心に再び影を落とすことになる。端から見れば些細な出来事が、とある人にとってはとても重要なことであり、それが今回のアメリだった。この実際はそれほど大したことがない一連の出来事を要所要所に長回しを使って、非常にドラマチックに仕立て上げているワタナベシンイチ監督の手腕は見事だと思った。前半のハイテンションなギャグは、東京タワーでの出来事のための御膳立てだったのかもしれないと思えるほど、コメディからシリアスへの転換が上手い。








 コメディとシリアスをうまく使い分けた今回の「タユタマナベシンのコンテ・演出回はとても面白かったです。






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改稿 2009/6/10