「獣の奏者エリン」布施木一喜コンテ・演出回の特徴について

 「獣の奏者エリン」での布施木一喜コンテ・演出回の特徴について、第6話「ソヨンのぬくもり」、第7話「母の指笛」、第22話「竪琴の響き」を題材にして書いていく*1



 「獣の奏者エリン」では、「隠喩」を多用する。特に監督である浜名孝行さんと演出家の布施木一喜さんは顕著だ。

 布施木さんの場合、「隠喩」の他にもう一つの特徴がある。

 それは、何度も同じイメージを繰り返すこと、「反復」。



第6話「ソヨンのぬくもり」 コンテ・布施木一喜 演出・高島大輔・布施木一喜


 闘蛇の突然死という出来事で、「雨」と「闘蛇の像」が執拗に反復される。「雨」というマイナスのイメージは、闘蛇の突然死の予見であり、これから起きる不穏な出来事を表している。「闘蛇の像」はその名の通り、闘蛇を表しているのだろう。



 「雨に濡れる闘蛇の像」と「雨」が降っている描写を何回も繰り返す。それによって、闘蛇の突然死という出来事の、「負」のイメージが強調されている。



第7話「母の指笛」 コンテ・演出・布施木一喜


 第7話では、第6話でも登場した「闘蛇の像」と「真っ赤な葉(紅葉した葉)」が執拗に反復される。「真っ赤な葉」は「死」を意味していると捉えことができ、処刑されるソヨンの死も表している。「闘蛇の像」は第6話の通り、闘蛇を表してると云える。

 何度も「真っ赤な葉」を描写するため、ソヨンの死のイメージが増幅されている。



 「闘蛇の像」と「真っ赤な葉」。ソヨンが闘蛇に喰い殺されて死亡する暗示になっている。




 ソヨンが突き落されて、下にいる闘蛇に喰い殺されようとしている場面。「突き落される」のと同時に「真っ赤な葉」=「死」が挿入される。




 突き落されて水面に漂うソヨン。そこで、同じく木から落ち水面に漂う「真っ赤な葉」が執拗に反復され、ソヨンの「死」が強調される。



第22話「竪琴の響き」 コンテ・布施木一喜、演出・安藤貴史・布施木一喜


 イアルがサイガムルに襲われる場面。ここではイアルとサイガムル二人組の激しいバトルアクションの中に「トンボ」が執拗に反復される。青いトンボはイアルを、2匹の赤いトンボはサイガムル二人組を表現している。短時間のバトルアクションにも関わらず、トンボがこれでもかと挿入される。上に挙げた2例とは少し趣が違うが、執拗に反復されるため、バトルアクションに妙なリズムが出来る。これにより、普通のバトルアクションよりも緊張感や迫力が出来ている。


 「青いトンボ=イアル」に、「赤いトンボ=サイガムル」が近づく。




 サイガムルを捕まえそうになるが・・・




 ここでもう一匹の「赤いトンボ=サイガムル」が参戦してくる。




 イアルとサイガムルの戦闘の隠喩としての「トンボ」。戦闘にリズムと迫力が生じている。




 布施木一喜さんは、同じイメージを「反復」する。節約ともとらえることができるが、執拗な「反復」を行い、伝えたいイメージをより強調しているのだろう。その反復は、視聴者の印象に強烈に残る。

 安易に反復しているのではなく、ここぞという時、ベストなタイミングで使用しているため、作品に何とも言えない異様なリズムが生まれている。そのリズムがなんなのか、どういうものなのか、うまく言葉にできないが、第6話・第7話・第22話を見てもらえばなんとなく(?)わかると思う。










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*1:とは言っても、クレジットされているからといって本人の意思がどこまで出ているかは受け手にとって不明。なので見たまんまの事を書く