「宙のまにまに」第7話での主観ショットについて

この作品にとっての主観とは何か


 アバンは草間先生が寝転がって地図を見ている所から始まる。


 ファーストショットは、草間先生のPOV(主観)。次は、ロン毛君と寝転がっている草間先生のフルショット。ここで何故か、画面右下に白い鳩がいる。

 そして、ロン毛君が去り、幼い頃の美星と出会う。この美星と出会う時、カメラは回転し、白い鳩はありえない程の羽を撒き散らして飛び立っていく。このために白い鳩はいたのか。





 ここで、「これは草間先生の主観なのか?」という疑問が生じる。カメラ(視点)は回転するし、白い鳩の羽の撒き散らし方もあり得ない。



 でもこのアングルは寝転がっている草間先生からだとしか思えない・・・・・ああ、そうかこれはまさしく草間先生の主観なのだ。



 これは現実(実際)の主観ものではなく、草間先生から見た「天使の美星」なのだ。だから、視点は回転するし(現実にはありえない)、鳩もあんなに羽を撒き散らす。


 実際にはごくごく普通の出会いだったのだろう、しかし草間先生にとっては小さな天使との衝撃的な邂逅に感じたのだ。

 いわば、あの出会いの主観は草間先生の妄想なんだ。

 実際には視点も回転してないし、白い鳩もあんな飛び立ち方はしなかったのだろう、でも草間先生には「そう感じた」のだ。天地が回転するほど衝撃を受け、白い鳩の羽も天使の羽に見えた。


 主観が本当の草間先生の主観に切り替わる。


 それほど美星との出会いは衝撃的であり、彼にとって特別な人だったのかということがよくわかる。

 また、草間先生は幼い女の子が天使に見える人間だったということもわかる。ここで、草間先生がどういう趣向持ち合わせているのかが判明するのだ。いや、もしかすると、ここで草間先生は目覚めたのかもしれない。


 全ては美星から始まったんだ。







 Bパートラスト付近、姫から製作日誌を渡される朔。


 朔の主観で製作日誌を見ていく。ここでは、朔が日誌を読むと天文部やクラスの面々が多重露光によってうつしだされる。

 ページをめくっていくと、姫の書いた棒人間らしきものが登場する。最初は、ただ日誌に書かれていた棒人間だったが、最後突如として動き出す。そう、急に手を振り出すのだ。




 ノートに書かれた棒人間が手を振るということは、ある事をしなければ起こらない。ある事とは何か。それは、誰でやったことがあるであろう、ページ1枚につき、一動作を描き、ページをペラペラとめくるようにして、描いた物を動かすというもの。


 正式名称はわからないが、「ペラペラめくると動く奴」だ。 


 では、姫は「ペラペラめくると動く奴」を実際に描いたのだろうか? いや、描いていない可能性が高い。

 棒人間が動きだしている1カットでは、ページをめくっている描写が描かれていない。めくっていないのに勝手に動いているのだ。


 めくっていないのに棒人間が動き出す、これは一種の超常現象なのか? 

 もしかすると、姫はページめくってないのに棒人間を動かす能力を持っていたのかもしれない。


 しかし、よくよく考えるとそういう系の作品ではないし、実際そういう能力を見たら朔は直ぐにたまげるだろう。でも、朔は驚かなかった。


 この驚かなかった事実から考えると、ある一つの結論に達する。


 これは、朔の主観なのだ。


 実際には、棒人間は動いていないのだが、朔には手を振っているように見えたのだ。そうならば、朔の頭がおかしくなったのか? 何か幻覚でも生じるものでもやっていたのか。


 いや違う。


 朔には天文部みんなの気持ちが姫が作った製作日誌によって伝わってきたのだ。天文部メンバーが手を振りながら「まってる」という気持ちが伝わってきたのだ。だから、朔には棒人間が手を振って動いてるように見えた。


 朔にはそう見えたのだ。


 棒人間が動いて見えたのは、朔がみんなの気持ちに気づいた証拠、証だったのだ。






 この作品では、各々の主観(勝手な思い込みと捉えてもらってもかまわない)によって物語が紡がれていると言っても過言ではないだろう。

 例えば、天文部部室前の廊下で朔と美星が抱き合うシーンがある。

 そこでは、運動部の子達が朔と美星がイチャイチャしているように見えてしまう。草間先生にもイチャイチャしているように見えてしまう。実際には、イチャイチャなんてしていないのだ。

 またここでは、草間先生の元へ走っていく美星を見て、朔は美星は草間先生のことを慕っているように感じるし、二人が秘密の共有をしているように感じるのだ。これも、朔が感じているのとは違うことが草間先生によって表されれる。



 なぜここまで各々の主観を強調するのか。




 それは、この作品の重要な行為である「星座を見る」に繋がってくる。

 星座を見るというのは、人間の主観だ。実際には見えないものを、自分たちの主観で勝手に星座という形に作りあげる。主観というのは、「星座を見る」この作品にとって、欠かせないもの。



 その重要な行為をより際立たせる、浮き彫りにするために、各々の主観を強調するのだ。






第7話で示された朔にとっての天文部とは?

 小さい頃から父親の転勤で各地を転々としていた朔。

 彼は、誰かと長い時を共有したことがなかった。そこに彼は劣等感・コンプレックスを抱えていたのだ。


 そのため自分の知らない他人の歴史に触れた時、思わず一歩退いてしまう。自分には、誰かと共有した歴史が存在しない。


 そのコンプレックスが、自分の知らない歴史を持つ草間先生と美星から自分を遠ざけてしまっていた、臆してしまっていた。どうしても、近寄れなかった、頭ではわかっているはずなのに、どうしても。屋上で草間先生から伝えられても、素直にはなれなかった。


 しかし、文江の会話と姫の製作日誌を読み、気づくのだった。



 「この瞬間を積み重ねていこう」。



 自分の知らない歴史に臆することはない。

 自分は自分だ。

 この瞬間を積み重ねていくことで、自分と他人との新たな歴史が生まれる。


 製作日誌は時を、歴史を目に見えるものとして残してくれる。それを読んだ瞬間、今この瞬間、自分と他人の歴史が刻まれていることをあらためて気づくのだった。



 彼にとって、天文部とは、誰かと自分の歴史を新たに紡いでくれる場所。



 そして、彼は天文部へと、美星がいる、みんながいる場所へと走るのであった。かけがえのないこの瞬間の時を共有するために。人と自分の新たな歴史を作っていくために。





 なぜ、朔にとって文芸部では駄目で、天文部ではなくてはならないのか。

 草間先生が「キンモクセイ」はどこで嗅いでも同じように懐かしい気分にしてくれると言った。これは、キンモクセイを星と置き換えても意味は通じるでしょう。

 星はキンモクセイと同じく、時間と場所を跳躍してくれるもの。どの時でも、どんな場所でも、変わらずあり続ける。朔にとって、星ではないと駄目なのだ。


 空を見上げれば、変わらずあり続ける。


 どんなに離れていても、どんなに時がたっていても、星を見ることによって一緒に空を見上げて過ごした仲間達との歴史を一瞬にして蘇らせてくれる。

 今まで同じ場所にとどまることがなかった朔にとって、星はかけがえのないものになっていくだろう、今は気づいていなくても。










※これはネタです。軽く読み流してください。