「手」が語るもの〜『迷い猫オーバーラン!』第3話「迷い猫、見つけた」〜


 第3話「迷い猫、見つけた」は、霧谷希と芹沢文乃と都築巧の三人に焦点を当てた回。今回は、希・文乃・巧の三人の物語と云っていいだろう。第1話・第2話で騒ぎまくっていた梅ノ森千世や菊池家康などは、意図的に画面上から排除され、本編中の出番は第1話・第2話に比べると極端に少なく、希・文乃・巧の三人に、よりスポットが当たっている(乙女姉さんも北欧に飛び立っており、第3話では一度も登場しない)。千世や家康の出番が少ないこともあり、今までのようなドタバタ感は薄い。



 第3話では、ストレイキャッツから出て行った希を連れ戻そうとする巧と文乃の様子が描かれており、そこには「手の運動」が密接に関わってくる。



手の運動


 第2話Bパート、巧と希は食事と風呂を終え、それぞれの寝床に入る。居間のソファーで寝る希、自室のベッドで寝ようとする巧が描写されると、暗転し、電話を取る巧が捉えられる。電話の相手は文乃であり、叩きつけるような激しい雨の中、文乃はストレイキャッツへとやって来たのだった。ドアを開け、玄関口に立っている文乃を捉えて第2話は終了する。第3話のアバンは、巧と希が寝床に入った所と巧が電話を取った間の出来事が描かれる(暗転していた時の出来事)。時間軸を組み換えたちょっと特異な構成だ。前回、文乃がストレイキャッツにやって来たことにいささか唐突な印象を受けたのだが、やって来た経緯はちゃんと第3話のアバンで回収されている。面白い構成だなと思ったが、ちょっと矛盾が生じてしまっている。それについてはおまけで。


 アバン。寝付けない巧は居間に降りてきて、文乃と会話する。部屋の明かりは、テレビの明かりだけ。テレビの音量を消したまま、二人はぼんやりとテレビの画面を見続ける。希に、巧と文乃は仲がいいねと云われ、巧は文乃の秘密について話す。話の流れで、希は自分の過去を少しだけ語る。希が自分の過去を自ら話したということは、巧に心を開きかけているのだろう。自分の過去を話すことは、自分の内面を曝け出すことであり、希は巧になら話してもいい/曝け出してもいいと思ったのだ。他人には話したくない過去だったろうと思うが、それを巧に話す。後に、巧も自分の過去を話す。その事については後で。


 文乃がストレイキャッツへとやってきて、三人で夜を過ごすことになる。文乃と巧は相変わらず喧嘩をしており、「二回死ね!」がストレイキャッツに響き渡る(もしくは一万回死ね)。その様子をじっと見つめる希が描写される。希は、文乃が巧に好意を寄せていることを徐々に察して行く(二人が喧嘩する様子などを見て)。しかし、それは不確定のものであり、確証は得られていない。後に起きるある出来事を通じて、希は確証を得ることになる。


 その出来事が、「手」。


 第3話で頻出する「手」の描写。「手」とそれに伴う運動は、彼と彼女達の関係に大きな影響を与えていき、事態が動く契機となったりと、多義的な役割を果たすことになる。

 「手」によって物語は動いていく。


 居間で一緒に寝ることになった巧と文乃と希。俯瞰から見て、左側の布団に希、右側の布団に文乃、中央の布団には巧が配置される。落雷の話になり、民家にも雷は落ちることがあると希が云う。雷鳴の轟きに怯える文乃は、隣にいる巧の手を強く握る。文乃と同時に、もしくは文乃よりも先かもしれないが、希も巧の手を握る。希が巧の右手を、文乃が巧の左手を握る形となる。


 第3話において、手を握ること・手を繋ぐということは、相手へと繋がろうとする行為であり、相手と心を通わせようとする行為として使われる。自分の想い(愛情や友好や信頼など広義の意)を相手へ伝えようと、彼と彼女たちは手を握る/繋ぐ。そして、手を握る/手を繋ぐことによって、相手との身体的距離も心的距離も縮ませようとする。文乃が巧の手を握ったのには、落雷の恐怖もあるかもしれないが(少なからず)、それは巧への好意/想い(恋愛の意が強い)のあらわれだろう。希も同じく、巧への好意/想いのあらわれとして手を握った。それは恋愛というよりも友好や信頼の意が強いと思える。


 巧は文乃に手を強く握り過ぎだと云い、文乃は裸を見られた復讐よと返す。この時、希は自分だけでなく、文乃も巧の手を握っていることに気付く。希は文乃が手を握っていることに気付くが、文乃は希が手を握っていることを知らない。巧は希が手を握ったことについて言及をしないため(声を一瞬あげるが)、文乃は希が巧の手を握っていることを知らずにいることとなってしまう。


 文乃と希の間には、認識の不均衡が生じてしまっている。この認識の不均衡が今後のドラマを加速させていく。


 文乃はすぐ目を瞑ってしまうが、希は目を瞑らずに巧の手を強く握る文乃の手を見る(希の横顔のクロースアップショットから巧と文乃の手のクロースアップに切り替わる)。手の握りにより、希は文乃が巧に好意を寄せていることをすぐに感じ取る。


 文乃と巧の手の繋ぎが、巧の傍にいられない/いちゃいけないという希の想いの決定的な要因となり、希はストレイキャッツを出ていく/巧の傍からは離れていくことになる。




 Aパートでは文乃と希が巧の手を握ったが、Bパートでは文乃も希も巧の手を握ろうとはしない。Aパートでは文乃と希に手を握られた巧だが、Bパートでは巧が文乃と希の手を握っていく。能動から受動へ、受動から能動へと互いに変化する。Aパートで、希と文乃は巧の手を握り、自分の想いを巧へと送った。それを、巧はBパートで二人の手を握ることによって、今度は自分の想いを返そう/伝えようとする。




 希がストレイキャッツを去り、巧と文乃、梅ノ森たちは街中を探し回る。当の本人の希はどこにいったかというと、高架下沿いを歩いている。線路沿いを歩いていくことによって、隣の駅まで(違う街まで)行こうとでも考えていたのだろうか(金銭を持っていないので、電車には乗れないのかもしれない)。屹立する無機質な高架橋の風景は、索漠とした思いを抱かせる。高架橋の風景が、希の心象を投影したかのように機能する。




 Bパートで、巧は文乃の手を二回握る。公園でのシーンと河原の土手でのシーンの二回。希が出て行ったのは、自分のせいだと感じて立ち止まり硬直する文乃に対して、巧は文乃の手を握り、文乃を希の元へと連れて行く。Aパートでの文乃に握られた手を、巧は握り返す。巧は受動的ではなく、能動的に手を繋いで行こうとする。




 巧と文乃は、高架下にいた希を見つける。逃げ出そうとする希の手を巧は握る。自分と希の心を繋ぎとめるように、巧は希の手を離さない。手を握ったまま、巧は自分の過去(文乃の過去も)を話しだす。希が自分の過去を語って、自分の心を明かしたように、巧も過去を語り自分の心を希に明かす。希と巧は過去の交換を果たし、互いの内を曝け出す。

 手を繋ぐことは、必然的に互いの身体が接近することであり、手を繋いだ二人は同一のショットに収まることが多くなる。それは、身体的にも、心理的にも、互いの距離が縮まるということ。手を繋ぐことによって距離を縮めた巧と希は、最終的に抱き合い、距離をゼロにする(物理的距離・心理的距離)。崩れ落ちる希に対応して、巧も同じく地面に座り込む。同じ身体運動は、互いの身体も心も和合したことを端的にあらわす。巧と希の互いの心は融和したのだった。


 迷惑をかけてもいい、もう家族なんだから、ここに居ていんだと巧は希に云い、希はストレイキャッツに戻ることになる。


 梅ノ森たちが巧たちに合流する。梅ノ森は、希にお手をしなさいと云い、希は「ニャァ」と云って梅ノ森にお手をする。希は巧以外の人物とも手を繋ぎ合わせる(第3話内で)。巧も文乃にお手をする。お手をすることによって、互いの手は繋がれ、第3話は終幕する。


 第3話は、巧と希と文乃が紡ぎだす、「手」の物語と云っていいと思う。「手」を使って、彼と彼女たちは関係を構築していく。


おまけ


 前述した話の続き。第2話では寝惚け眼で電話を取る巧なのだが、第3話で巧は寝惚け眼で電話を取らないという矛盾が生じてしまっている。それもそのはず、ついさっきまで希と会話していたのだから、寝惚け眼で電話をとるはすがない(第2話のスタッフは第3話のストーリーを知らなかったのだろう)。各回監督が違うので、いたしかたないことなんだとは思うが、気になる部分。