『BLOOD-C』第1話 水島努監督の理知的な画面構成
『BLOOD-C』第1話「あまつかせ」を見ていて思ったこと。
『おおきく振りかぶって〜夏の大会編〜』第12話「9回」を見て確信したことなのだが、水島監督はまったく無駄がないというか、一つ一つのショットに的確な意味を与えていて、理知的な画面構成とカット割りをしている。ギャグ作品だと気づかなかったが、感性や直感に従うのではなく理論的に作っているのだなと感じた。ちょっと前までそんなイメージなかったんだけど、僕の中では最近定着し始めている。
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ロングショットや俯瞰をを多用し、不安を煽るような画面作りを行う。
如月小夜が高校へと登校するシーン。ここではロングショットで沙夜を捉えることが多い。全体的にカメラも引き気味だ。それは、物語の導入ということで作品の舞台がどういうものなのかを説明する目的が主眼だろう。どんな街なのか? どこになにがあるのか?
作品説明が主な見せ方なんだとは思うが、僕はこのシーンを見ていてちょっと不気味に感じてしまった。明るい沙夜の歌や蝶や色取り取りの花が咲いていたりと明るく爽やかな雰囲気となっているが、なんか変なのだ。
その違和感の正体は、人がいないこと。
ロングショットで際立たせられるように、沙夜以外人がいない。学校に行くまで、沙夜は無人の街を歩いていく。沙夜が人と出会う瞬間が描写されるのは、屋内だけ。学校であったり、喫茶店だったり。まるで、住民たちは外に出ることを禁止され、外に出られるのは沙夜だけのように映る(犬は外に出ているが)。登校中に沙夜がおばあさんを助けた話から、実際には住民たちは外を出歩いているのだろう。学校に通う生徒も登校・下校するし。でも、それは意図的に徹底的に排除され、無人の風景が用意されている。この無人の風景がちょっとした不安生み、物語が進むにつれその不安は増幅されていく。第1話は所々に不安を掻き立てるショットを入れ、ラストで待ち受けている「古きもの」とのバトルへと繋げている。
下校のシーン。沙夜はクラスメイトに別れを告げ、一人で下校する。教室を出た瞬間から沙夜が人に会うことはない。明るかった学校生活から一変して、校舎は暗影に包まれる。廊下の先の陰影は、まるでこれから古きものと血生臭い壮絶な闘いを行う沙夜を表しているかのようだ。前景に振り子時計がある全体的に照明が乏しく薄暗いショットから、沙夜がゴマ粒のように映る俯瞰ショットと続く。照明を利用して暗影を強調して、不安を駆りたてる。
下校時も、登校時のようにロングショットが多く、またもや人はいない。明るめの登校時のシーンと暗い感じ下校時のシーンは対比構造になっており、何かがあったのかと不安を扇がせる。
特に交差点での無人のショットは印象的だ。見渡してもどこにも人はおらず、縦の構図のショットでは画面の奥までもちろん人はいない。車も一台も通らず、商店の前にも人はない。音響も印象的だ。セミの鳴き声が不気味に鳴り響く。俯瞰ショットになると、セミの鳴き声が小さくなり、風の音が強くなるという音作り。
ロングショットによって際立たせられる、人がいないこと、沙夜が一人だということ。
無人の風景のロングショットによって生みだせられる、この何とも言い難い不安と不気味。この不安は古きものとの闘いへと繋がれ表出する。
古きものとの闘いの果てに(見ごたえのあるバトルシーンでよかった)、沙夜は血を浴び身体は赤に染まる。血まみれの顔は怖い。その顔で笑顔になるのも怖い。沙夜は何事もなかったかのように平然と父と会うが、刀を強く握りしめて刀が手を離れない。そこからは、沙夜が恐怖を押し殺して古きものと戦っていることがうかがい知れる。年端もいかぬ女の子が化け物と生死を賭けて戦うのだから怖いに決まっている。ラストショットは、血の手の跡が刀に残ったショットで終わる。