『花咲くいろは』第21話「蘇る、死ね」のメモ〜岡田麿里〜


 気になったことを短めにメモ。


 脚本/岡田麿里、コンテ/入江泰浩、演出/安斎剛文、作監/吉田優子・川口千里




 岡田麿里脚本はどうしてこうも「あ、岡田麿里さんの脚本だ」とすぐにわかるのだろう。今回もすぐにわかった。第18話「人魚姫と貝殻ブラ」も同じく。


 他の脚本家が絶対に選択しない単語をこの人はよく使う。独特の言語センス。


 菜子の「妊娠する〜」という台詞や「文明の利器が苦手」という単語や「驚異的な速さ」・「驚異的な仕上がり」(仕上がりが驚異的って?)とかなどなど。普通は選択しないというか、思いつかないフレーズを岡田麿里さんはさらっと使う。別に違和感は感じないけど、どこか耳にひっかかる感じ。耳にひっかかって記憶に残ってしまうこのセンスは魅力的だなと思う。

 『花咲くいろは』では浦畑達彦さんや樋口達人さんや西村純二監督が脚本を書いているが、この方たちではこういう言葉は使用しない。「ホビロン」もそうだが、岡田麿里さんの感覚は普通の人と比べてちょっと変。他の脚本家さんの参加回と比べるとすごく際立つ。


 それと言い回し。「ざわつく胸に荒磯の香が染み渡ります」っていう崇子の台詞や「死ねが華麗に復活した」という緒花の台詞などなど。この言い方なんなんだよと思う独特の言い回し。華麗に復活って・・・。これまた妙に気になって、覚えてしまう言い回し。


 それに加えて、緒花と民子がお風呂場で口論するシーン。女性たちが自分の言いたいことをぶつけるところを裸でさせる。身も心も裸で。こういう選択をするのが岡田麿里っぽいなと僕は感じてしまう。




原作付きよりもオリジナル作品だとやっぱりこの傾向が強いように思える。



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 Aパートの浜辺でのシーン。民子が結婚式を成功させたい、盛り上げたいと云うと徹が「緒花みたいだ」と云う。その言葉を受けての民子を捉えたバストショット。



 画面中央ではなく画面左端で民子を捉える。画面にぽっかりと出来た余白。見る者に対して違和感を覚えさせる人物の位置配置。その構図の不均衡さは、緒花みたいだと云われショックを受ける民子の心理をそのままあらわす。風で、左から右へ画面余白へとなびく髪が印象的。