『境界の彼方』 テーマについてのメモ


 第5話までを視聴してのメモ。


 『境界の彼方』で、繰り返し言われているのが、「他者との違いからくる孤独」であり、いかにそれを克服していくのかがこの作品のテーマの一つだと思う。


 栗山未来は、自分の血を操るという特異な能力から、他者から忌避され続けてきた。そのことが原因で、未来自身も人との関わりを避けてきたのだった。しかし、神原秋人と出会うことによって、周囲の状況が徐々に変わり始めていく。未来は、人との関わりを拒絶するが、秋人はそれを無視して、自分と関わってくる。秋人が未来に関わってくるのは、理由があった。秋人自身も半妖夢という他者と違う部分があり、孤独をずっと背負ってきたのだ。

 秋人の妖夢の力は、あまりにも強大であり、その力は、自分と近くにいる人間さえも傷つけるものであった。未来の血の能力もその特異且つ強大な力のため、人を傷つけるものだった。だから、彼女たちは、人との関わりを避けてきた。

 未来は、秋人の半妖夢の力を目の前にし、秋人が自分が他者と違っても、それでもなお他者との関わりを続けようとしていく意志を感じ、考えを変えていく。

 それを象徴するのが、第4話のBパートラスト、中華料理屋のシーンである。今作品では、食事をするシーンがよく挿入される、それは、未来の血を生成するために食事が必要不可欠になってくるというものからだと思うが、重要な事柄を提示するのにも食事シーンは使用される。

 未来は、秋人が席を立った際に、自分が食べていたレバニラ(だと思う)を秋人の餃子の皿にわける。自分の食べ物(自分のもの)を他者に分け与えるという行為は、未来が秋人と、自分が他者と関わっていこうという意志の表れだ。その描写で第4話は終わる、他者を受け止め、共に生きていくことを示し、終わるのだ。




 第5話は、名瀬美月が主人公となる。他者との違いによる孤独を抱えていたのは、未来や秋人だけでなく、美月も同じだったことが明かされる。

 作中、美月はしきりに筒状のものを気にするというショットが挿入される(未来のジュースなど)。視聴者にとっては何のことだがわからないが、長月灯篭祭という物が開催されることを気にしていたことが後々になってわかる。美月は、異界士という他者には見えないものを狩る生業が、他者と交われないものだということを姉の泉から言われ、他者との関わりを極力避け、一人で生きてきた(子供の頃、友人から長月灯篭祭に誘われるが、断っていた)。

 長月灯篭祭に参加しないというのは、一人でいるという彼女の決意の表れだったのかもしれない。


 写真館でのシーン。未来に「なぜ、祭りに行かないのか(なぜ、一人でいるのか)」と質問され、「皆、結局は一人だ」と返す。そこでは、未来と美月は同じ席につくことはなく、別々の席に座る。それによって、美月が一人でいるという意志が映像によって表せられる。




 美月は、未来の誘いによって祭に行くこととなる。そこで、美月は未来に「みんな一人だからこそ、他者と交わる。共に生きていこうとするのだ」と諭される。

 この回が面白いのは、今まで人との関わり忌避し続けてきた未来が秋人の力によって他者と関わっていこうと決め、今度は美月を変えようとすることだ。秋人によって変わった未来が、美月を変えようとする。これが、面白かった。


 未来によって諭された美月は、変わっていく。それが映像的に表現されたのが、萌黄色の灯篭が桃色と変化していくショットであり、その色の変化は美月の心情の変化と連繋している。




 そして、美月は一人の時では決して見れなかった景色を見ることになる。彼女は、未来たちと一緒に鮮やかで美しい「打ち上げ花火」を見るのだった。他者と交わることによって、新しい世界が開けていく。この花火の描写が良かった。



 
 この作品のテーマは、茅原実里さんが歌うOP曲である「境界の彼方」でも示されている。


互いを受けとめて 生きる喜びに
きっときっと ふたり目覚めるよ


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 第5話のコンテ・演出は、山田尚子さんだ。第5話は、アクションシーンが少なく日常シーンがメイン。山田尚子さんにとって、今回は適役だったろう。

 細やかな人物描写や芝居は、さすがだった。

 美月の髪をかきあげるショットや触るショット、パンケーキを食べて口を拭うショットなど、肌理細やかな芝居の数々だ。泉との会話シーンで観葉植物を触っている描写など、彼女の心理を芝居によって表現していくのも僕の好みだ。部室での美月が未来と極力眼を合わさない芝居とかも良かった。


 自分の服を使って眼鏡を拭くという変わった拭き方など、芝居によって人物の性格を表していくのもグッド。