『凪のあすから』第17話 阿部記之演出の秀逸さ


 素晴らしかった。


 他の回とはちょっと違う異質な回だったように思えた。

 他の回では(篠原俊哉監督の回など)、構図+カット割り+人物の芝居で見せていくのが多かったように思えるが、今回はカット割りの部分にカメラワークが入れられたように感じた。つまり、構図+カメラワーク+人物の芝居っていう感じ。カメラワークで見せ場を盛り上げているのが新鮮だった。それに加えて、画になる1ショットがかなり多かったのも印象的。びしっと決まったかっこいい構図の1ショットが、ここぞという時に使用されていて、すごく良かった。


 印象的だったところを挙げていきます。


 Aパート、伊佐木要が木原紡と比良平ちさきが住む家を訪れるシーン。ここで要は、紡とちさきが一緒に過ごしてきた時間とそれに伴って生じた絆を目撃するのだが、その見せ方が良かった。

 ちさきと紡がお茶を煎れるために台所に向かい、お茶の準備をする。紡が棚の上段でコーヒーの粉と砂糖を出している時にちさきがカップを出しにくるのだが、そこで紡はちさきをちらっと見て、カップを出しやすいようにと身体を避ける。そして、ちさきは紡の腕の下に入り棚からコップを出す、という一連の流れの芝居の秀逸さ。素晴らしい。紡とちさきが言葉を交わさずに、目線のやりとりだけで通じ合ってしまうという親密っぷりを芝居で表現する(普通なら、ちさきが「カップを出すから避けて」とかいうはずだが云わないし、また紡もちさきがカップを出すのだと事前に察するのだ)。

 しかも、彼と彼女の身体的距離があまりにも近い。パーソナルスペースでいうと、彼と彼女は非常に親しい間柄と云えるだろう。つまり、彼と彼女は家族や恋人くらい親密になっている。そのあとに、砂糖がないのがわかった紡に対し、さっと砂糖の袋を渡す芝居など、彼と彼女は長年連れ添った夫婦みたいだ。

 家に入り、服をかけ、茶を煎れる準備するまでの流れるような一連のシークエンスは見事だ。特に上記した縦構図の1ショットが印象的だった。ショットの最後に要がちらっと頭を見せるのも細かい。




 Aパート、要が起きたことが知らされた後の学校での潮留美海と久沼さゆの会話シーン。ここでの舞台転換が効果的で良かった。舞台の変化の流れとして、技術室、回想、学校の屋上と舞台は変わっていく。さゆの感情の流れとして、要の登場による戸惑い(技術室)→要と再び会えたことへの喜びと成長した自分なら要も相手にしてくれるという希望(学校の屋上)、という風に流れる。閉鎖的な空間(=技術室)から解放されたオープンな空間(学校の屋上)へと移行する舞台は、さゆの感情の流れと照応している。つまり、舞台の変化によって、さゆの感情の推移を視覚的に表現している。戸惑い(=閉鎖的な空間)から希望(開放的な空間)へという感情の流れを舞台の変化によって増幅するのだ。




 今回は、逆光での見せ方も凝っていよかった。Aパート、要とちさきの二人きりでの会話シーン。5年の歳月を経たちさきとあの頃のままの要が互いに自分の抱いている気持ちを確かめ合うのだが、そこでちさきは逆光で映し出され、影に覆われる。ここぞという場面で、逆光を使用し、登場人物を映し出すと、ここまで意味合いを帯びたものになってくるのかとちょっと驚く。逆光によって深みのある良いシーンになっている。逆光は、光と要のシーンやさゆと要のシーンでも使われており、これまたいい味を出している。




 美海は、自分にエナが出来たことよって、光たちと同じになった、彼らの輪に入ることが出きると思って喜んでいたが、光がまなかのことを想い続けていることを知ってしまう。その知った直後、踏切と電車のショットが映し出される。自分が光に近づいていると思っていたけど、実際はそうではなく、遠いところにいるとわかった直後に「踏切」を登場させ、「断絶」のイメージを視聴者に与える。結局、美海と光の間には距離があるのだということを台詞だけでなく、視覚的に表現する。

 映像で見せていこうという趣向が第17話で随所に見られる。




 さゆと要の再会のシーンが、これまた素晴らしかった。さゆは、要と再会することを不安まじりながらも、楽しみにしていた。そんな折、さゆは下校途中、偶然要と再会する。しかし、要は成長したさゆを分からなかった。それにさゆはショックを覚え、自分は要にとってその程度の存在だったのかと思い込む。ここでは、さゆと要は接近することはなく、道路を挟んで再会する。その道路によって、二人は分断され、道路によって生じた二人の距離は、さゆと要の距離を表す。要に近づいていたと思っていたが、結局距離は縮まっていなかったとさゆは思うのだ。




 さゆは下校途中、また要と同じ場所で出会う。その時、要は道路の反対側からさゆへの元へと走って会いにくる。そして、要はさゆに話しかけ、さゆは要が自分のことを忘れていなかったことを知る。前回の道路の距離は、今回はない。さらに云えば、距離を縮めたのは要だった。さゆと要の間には距離などなかったことが、この道路の距離によって示される。二人の心理の描写を道路を使用して、視覚的・映像的に表す。秀逸な描写だ。さゆと要の再会シーンは、車を使用したり、かもめを使用したりとギミックを巧く使って、ドラマティックな出会いに仕立てており、その演出力の高さに惚れ惚れするシーンだった。




 第17話は、すべてにおいて高いクオリティになっているように思える。画になっている構図のショットがいくつもあって目を引くし、カメラワークも船着場でのさゆと美海の会話シーンやさゆと要の再会シーンなどで効果的に使用されていて、躍動感のあるシーンに仕上がっている。人物の芝居も、元々この作品は素晴らしいのだが、それがより肌理細やかになっていると感じられた(上記したシーン等)。


 脚本/根元歳三、コンテ・演出/阿部記之作画監督/嶋田和晃。


 始めから終わりまで痺れました。良き回です。今の『凪のあすから』の面白さは異常。毎回、毎回、面白すぎる。