「紅」の会話と「らき☆すた」の会話


紅 1 [DVD]

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前回の第二話では、紫の動作にスポットが当てられていたのに対して「紅」第三話は、会話にスポットが当てられていたように感じました。

真九郎と銀子の部屋での会話シーン。真九郎と紫の携帯電話での会話シーン。

特に真九郎と紫と夕乃の畳み掛けるような会話シーンは圧巻でした。


何故ここまで、長回しによる会話劇が多いのかというと、プレスコの魅力を最大限まで生かすために多用しているのでしょう。
プレスコは、アテレコと違い声優の演技の幅が広がり、よりリアルな会話劇に近くなります。その会話劇を最大限に生かすのが、同じカットで見せ続ける長回しになってくるのでしょう。長回しは緊張感の維持や客観的にみせる効果がありますが、松尾衡監督は別の意図でただ単にプレスコによる会話をじっくりと聞いてもらいたいために使ってるように思います。真九郎と紫と夕乃の会話シーンでは、お互いの台詞が重なるような激しい会話の応酬があり、実際に会話しているように錯覚してしまう程のものでした。その会話劇を聞いて貰いたい為に、長回しを使っているのではないでしょうか。


でも、この長回しの会話劇が「紅」の最大の欠点のように私は思えます。この長回しの会話劇は、既にRED GARDENでも用いられています。RED GARDENがヒットしなかった理由が、この会話劇のせいだったのではないかと思います。



会話というものは、視聴者にとってとても退屈なものだと私は思います。会話シーンよりも、派手に動き回るシーンのほうが視聴者の好みなのです。



最近の会話劇が多かったアニメといえば、らき☆すたが挙げられると思います。らき☆すたでは会話劇で視聴者が飽きさせないようにといくつもの工夫がしてありました。カットを細かく変え、画面が単調にならないようにしたり、色々な奇抜な構図で飽きさせないようにしたりと、「会話劇を楽しませる」のではなく、「会話劇を飽きさせないようにする」という、会話シーンはあまり面白くないという前提の演出だったように思えます。そのような演出だったからこそ、らき☆すたは飽きずにずっと見れたのではないでしょうか。



それに対して、「紅」らき☆すたと違い、松尾衡監督の「プレスコによる声優たちの素晴らしい会話を聞いてくれ」と言わんばかりの会話劇を純粋に楽しませるようにと長回しが頻繁に使われます。そこでは、変わった派手な演出は一切されません。これでは、らき☆すたと違い多くの視聴者は退屈に感じてしまうと思われます。この点が松尾衡監督の作品(RED GARDEN「紅」)が多くの人に受けいられずに、マイナーな作品のなってしまうように感じます。