「紅」と「服装」

紅 1 [DVD]

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「紅」の第7話を見てから、環の印象が随分と変わりました。


五月雨荘では、いつもおちゃらけていて明るかった環が、大学に行った途端、嫌みっぽくて攻撃的できつい性格の突っ張っている女性に一変していて、五月雨荘と外の世界での彼女の性格のギャップが激しくて驚きました。環の言動が変わったというのも驚きの原因の一つだと思いますが、それとは別に驚きを増幅させる原因が何かあるのかなと引っ掛かっていました。




その何かを解消してくれるきっかけをくれたのが、富野由悠季監督の「映像の原則―ビギナーからプロまでのコンテ主義 」に書かれていた「服装」についてのことでした。










環の性格が変わったように思わせた一因が、環の服装だったのでしょう。いっつもオッサンくさいだらしないジャージ姿の彼女が、赤色のジャンパーに紫色のパンツにブーツを履いて、今時のおしゃれな女子大生に変貌していたのが、環さんの印象をがらりと変えたのだと思います。




富野監督は、著書で



「担当演出家が、どこでどのように服装を変えたら良いのかというセンスがなかった」




「服装のことを普通に考えることができなかったのです」




「キャラクターの服装などは変わらないのだから、どうでもいいという感覚があれば、キャラクターの日常の行動のどこで服装を変えるかという問題が、劇的効果の表現をふくめてどのように演出されなければいけないのか、という問題を認識できるスタッフがいなかったのです」




∀ガンダムの時、演出家たちのキャラクターの服装についての無頓着さを指摘していましたが、「紅」のスタッフの方は、「キャラクターの日常の行動のどこで服装を変えるかという問題」、「劇的効果の表現をふくめてどのように演出されなければいけないのかという問題」をちゃんと認識していることがわかりました。




それは何故かというと、「紅」第三話で、五月雨荘を抜け出し環が紫を高校に連れて行く場面がありましたが、その時の環の服装は、いつものジャージ姿でした。環は外に出かけるのでも、ジャージ姿で構わないというスタンスだというのと高校という自分の知り合いに出くわさない場所だからジャージ姿でも別に構わないのだという事がその場面から考えられます。しかし第7話で大学に行くときは、ジャージ姿ではなく、ちゃんとした服装で行きました。環さんの性格を考えれば、ジャージ姿に近いだらしない服装でもよかったのに、なぜかオシャレな服装で大学に行きます。何故ちゃんとした服装で行ったのかと考えると、環さんが知り合いの女の子に馬鹿にされないため、大学で彼氏と出会うかもしれないから普段のだらしない服装では彼氏が嫌な風に思うかもしれないという乙女心で、若い女性らしいおしゃれな服装にしたというのがわかります。スタッフの方々はキャラクターの心情の変化や思惑に合わせて、服装を変えるという演出をしているのでしょう。「紅」のスタッフ、松尾衡監督がキャラクターの服装についてちゃんと意識をしていることが垣間見えます。






環の「性格がきつめで強がりな外の顔」と「豪快でお調子者の内の顔」をキャラクターの服装でうまく表現しているのは、本当に見事だなと思いました。これに似ている例がエヴァでもありました。いつも家でだらしない服装をしているミサト、でも外ではばっちりと決めた服装でいるミサト、そのギャップにシンジは困っていましたが、ケンスケにそれは心を開いている証拠だよと諭されるエピソードがあります。これもキャラクターの服装で人物の心情をうまく表現していて、キャラクターの服装の「劇的効果の表現をふくめてどのように演出されなければいけないのかという問題」をクリアしている良い例だと思います。

キャラクターの服装が物語を盛り上げる重要な要素ということは間違いないでしょう。







「紅」を見て、キャラクターの服装をうまく演出できる人物は、一流の演出家なのかなと感じました。