true tears 総評

true tearsは地味だったという感想をよく目にする。この地味だったということはいったい何を意味するのかというと、地味=派手じゃないということだろう。じゃあ派手とは何かというとアクションがあったり、ロボットが登場したりという非現実的なことを言うものだと私は思う。

でも、クラナドは上記にあげた要因がないのに、派手な物語だった。日常の恋愛を取り上げているtrue tearsとなんら変わらない。ではなぜここまで派手と地味に分けられているのかというと、それはクラナドが日常の仮面をかぶった非日常の物語で、true tearsはありのままの日常の物語だからだ。

クラナドは、現実の枠を飛び出さない現実的な物語に見える。しかしあそこまでの理想的な純愛の物語は、もはやファンタジーといっていいだろう。現実にはない純粋な恋愛をみせる理想的な物語は、もはや非日常的だ。それに対して、true tearsは理想的でもなんでもないただの高校生の恋愛物語だ。主人公は二人の女の子との恋愛関係に悩み、最後には一人の女の子を選択するという純愛でもなんでもない現実によくある恋愛劇を見せている。これは現実に近い日常的な物語だ。ここが大きく二つの作品を分けている点だろう。

視聴者が求めているのは、非日常的な物語だ。true tearsは、あくまで現実に近い物語を見せた結果、視聴者が求める非日常的な物語から逸脱してしまい、地味というレッテルを貼られることになったのだと思う。

地味な物語=現実的な物語、この構造の物語は、はっきり言ってアニメには必要がない。なぜなら実写でやればいいのだから。しかしあえて現実の物語を見せたtrue tearsを私は素晴しい作品だと評価したい。