自分の事をオタクとはもう呼べない


オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

「オタクはすでに死んでいる」を読んだ率直な感想は、オタクじゃなくて岡田斗司夫さんがオタクとして死んだだけじゃないのかと思ってしまった。でもよくよく考えてみるとやっぱりオタクは死んだんだなと思った。オタク原人(第一世代よりも前の人々)、第一世代(1980年代にオタク活動していた世代、現在四十代前後の年齢の人々、オタク貴族主義)、第二世代(二十代終わりから三十代半ば過ぎの人々、エヴァ等の影響によりオタク評論好き、オタクエリート主義)の人から見た今の第三世代(現在、二十代前半が中心の世代、主義を持たない。あえていうなら萌え主義?)の人々はオタクでも何でもない、ただのファンやマニアに見えてしまうのだろう。
確かに、第一章で述べられているTVチャンピオン「アキバ王選手権」を自分も見ていたが、岡田さんと同様に優勝者のアキバ王は、オタクなんかではなく、普通の兄ちゃんにしか見えなかった。オタクの中のオタクってわけじゃない、マニアやファンレベルって感じだった。



何故マニアやファンに見えてしまうのかというと、オタクには資格めいたものが必要で、それがないとオタクではなくマニア、ファンになってしまうらしい。それはどんなものかというと、「膨大な知識」+「生産性」(イベントを企画したり、同士が集まる会を結成したり、布教活動したり、製作してみたりするという事)+「プライド」(オタク貴族主義やオタクエリート主義などの共通概念)+「群れる」(民族化して、独自の文化を形成する)、このような要素がなければオタクはオタクとして成り得ない。深夜アニメを見たり、アニメイト行ったり、ギャルゲー買ったり、アニメDVDを買ったり、アキバに行ってメイド喫茶に寄ったり、キャラクターグッズを買ったりする等の商品や行為をただ消費するだけしかしないオタクはオタクではない。それは、ただのマニアやファンらしい。


例えば、第三世代の芸能人でオタクとみなされているのは、中川翔子さんや加藤夏希さん等があげられると思う。でも実際に彼女らはオタクとしていえるのか疑問だ。加藤夏希さんはエヴァ、厳密に言うと林原めぐみオタクとして知られているけど、オタクではなくマニアに分類されると思う。林原めぐみさんについての深い知識はあるが、生産性がある活動をしているわけではない。この点からオタクじゃなくてマニアの側面が強い。中川翔子さんは、オタクでもなければ、マニアでもない、ファンの部類に入ると思う。深い知識を持っているわけでもなく、生産性のある活動をしているわけでもなく、広く浅くただ好きな物を消費しているという感じで、オタクとは呼べずファンとしか呼べない。
他にも「らき☆すた」のこなたは、オタクとして認知されているけど、実際はオタクの要素をあまりもっていない、マニアやファンと呼ばれるべき存在だ。それなのに世間一般にオタクとして認知されている。



このように、ファンやマニアの人がオタクとしてカテゴライズされてしまっている第三世代以降の現状が、第一世代の岡田さんにとって、「オタクはすでに死んでいる」状態なのだろう。



だからといって、オタクが本当に死んだかというとそうでもないように思える。ニコニコ動画のMADや初音ミク等の盛り上がりを見たら、生産性もあるし、民族化して独自の文化を創っていて、オタクはまだまだ死んでないようにも思える。とはいっても、創作している人物たちは一部分の人達だけで、他の大多数はただ視聴して消費している現状では、オタクは死んでないとは言い切れないのかもしれない。


オタクが死ぬのも必然的と言ったら必然的だったと思う。昔のオタクは努力したと岡田さんは言っていたが、第三世代以降のオタクは努力しなくても、いくらでもネット等で情報が手に入るから、第一世代や第二世代の人達みたいにがむしゃらにオタクとして努力しなくても全然問題ないので、オタクの精神性が崩れて、マニアやファンになるのは必然的だったと思う。M君事件以後の激しいオタクバッシングに耐えてきた、第一世代、第二世代の人達は、努力や覚悟があったけど、第三世代以降の人達はそんなことを露知らずに育ってきたので、努力や覚悟があんまなくても全然平気な生ぬるい環境にあったため、オタクになる必要性がなかった。オタクになる必要がなかったら、オタク死んでいくのも当たり前の出来事に思える。



オタクの聖地秋葉原といわれているが、アキバにいる人たちが全員オタクかといったらそうではなくて、多分6割方はマニアやファンで真のオタクは少ない、オタクは絶滅に瀕しているといっても過言ではない。そんな現状じゃオタク死んでいる状態と一緒だと思う。昔はみんなオタクだったのに、いつのまにかオタクはマイノリティになってしまった。第三世代、第四世代、第五世代の人達にはこれからはオタクに代わる新しい呼び名をつけなくてはいけないのかもしれない。かくいう自分もオタクとは呼べず、マニアやファンレベルなので、自分の事をオタクとはもう呼べなくなってしまった。