月刊ニュータイプ6月号  『アニメの門』   『true tears』と『個室』と『扉』

Newtype (ニュータイプ) 2008年 06月号 [雑誌]

Newtype (ニュータイプ) 2008年 06月号 [雑誌]




藤津亮太さんが連載されている『アニメの門』を今更ながら読みました。true tearsでは個室や引き戸やドアが特別な意味を持っているという内容の評論で、自分もtrue tearsでは意味ありげにドアや個室を使って演出していたなと思っていたので、とても興味深くてすごく面白かったです。ですが、「なるほど!」と納得できるところと「う〜ん、そうなのかなぁ」と疑問に思う所がありました。



まずものすごく納得できた点は、四つ。





●眞一郎家での比呂美の部屋のドア



眞一郎の家の和風の木造建築に、比呂美の部屋だけ何故か洋風のドアになっていたのは、視聴している大半の人々は気になっっていたはず。この意味は比呂美の孤独と眞一郎家での比呂美の居場所のなさを物語っているのだと、ほとんどのアニメファンは気付いていたでしょう。藤津亮太さんも同じく指摘していた。








●乃絵と雷轟丸、地べたが住んでいたニワトリ小屋と愛子が切り盛りする今川焼き屋「愛ちゃん」


藤津亮太さんが指摘しているように、この個室が個性を象徴しているというのはまさにその通りだと思った。




(ここからは僕の自分勝手な推測です、藤津さんは言ってない)

乃絵のニワトリ小屋は、乃絵の閉鎖性を見事に表現していたと思う。同年代の女の子と交流せず、自分の殻に篭もり、新しい世界へと飛び出せない乃絵。それのメタファーとしての飛べない鳥ニワトリと小屋の外へと飛び出せないで、小屋の中に居座ってしまっている地べた。ニワトリ小屋は自分の殻に閉じこもる乃絵の心理状態そのものだった。最終回では、友達も出来て、成長した彼女がニワトリ小屋からの卒業、自分の殻から飛び出したという意味で、あのニワトリ小屋の傍にたつラストシーンになったのだと言うことがわかる。


愛子の今川焼き屋は、彼女のオープンで明るい性格と心の中に自分の思いを隠してしまう性格という表と裏の二面性の性格がうまく表現されている。今川焼き屋が開店している時は、お客さんが入ってくる、つまり誰とでもわけ隔てなく付き合えるオープンで明るい見せ掛けの表の性格。閉店しているときは、自分の本当の気持ち、隠している性格が表現されていて、眞一郎にキスをしたり、自分の本当の気持ちを伝えるときはいつも店が閉店しているときだった。







●眞一郎と押入れ


藤津さんが指摘している第十二話の有名なシーン。眞一郎が押入れで「おぎゃあ」といって、新たな自分へと生まれなおすというもので、スタッフの方は、意味をわかってもらうためにわざわざ両親のカットを入れてくるほどの用意周到さ。多分のこのシーンの意味をわかっていなかった人はいなかったのでは?







●比呂美と眞一郎母とドア


今まで気付かなかった点を、藤津さんが見事に指摘している。第11話での比呂美と母親とドアの関係性、第13話での比呂美のアパートでの母親と比呂美のドアの前でのやり取りについての考察は、「なるほど」と納得した。







それで、「うーん」と疑問に思ったのが、



●最終回での眞一郎と乃絵のバス停でのシーンでの個室とドア


藤津さんは、扉もある窓もあるストーブもあるバス停なのに直接的な扉のモチーフが出てこない、なぜなら眞一郎も乃絵もすでに前のシーン扉の開け終わっているからであり、作品の締めくくりに韻を踏むためにバス停の個室は選ばれたのだ。と言っているのだが、僕にはどうみてもこじつけているようにしか思えない。西村純二監督や岡田さんはそんなこと考えていなかったのでは? 上に挙げた四つの点は、個室とドアから隠れた意味が十分に読み取れるものであったと思うのだが、このバス停のシーンは個室もドアも隠れた意味を持っていなかったのではないかと思う。これは、僕にとって藤津さんのこじつけにしか思えないんだよな。









でも、藤津亮太さんのtrue tearsと個室とドアについての評論はとても面白く素晴らしかった。アニメ!アニメ!の藤津亮太さんのアニメ評論についての記事と読むと尚更面白く読める。




藤津 「作品を好きな人がいるのならその人のために」というのはすごく分かります。僕自身、理想を言えば自分の原稿を読んで、もう一度見直したら再発見してくれると嬉しいなと思うんです。

「最初見た時には普通に面白かっただけなんだけれど、もう一度観たらそうか別のところが面白かったんだ」とか、「つまらないものは、つまらないのは変わらないにしてもとりあえず分かった」とか。
別に嫌いな人を変えようとは思っていないので、少し違った見方ができてもらえると、一粒で二度おいしいという感じで楽しめるんじゃないかなと原稿を書いている時は思うんです。



今回のtrue tearsの記事は、まさに再発見できるものでした。