『true tears』が記憶に残らない理由。



オトナアニメVol.8(洋泉社MOOK)

オトナアニメVol.8(洋泉社MOOK)







true tears」は08年の一月期で、もっとも話題になり、たくさんのアニメファンが夢中になったアニメ作品だろう。僕自身も夢中になって、毎週見ていた。tvk放送後の2ちゃんのスレでの熱狂振りは、異常とも言える程だった。一般のアニメファンだけでなく、杉井ギサブロー監督はアニメージュのコラムで絶賛していたし、東浩紀さんも視聴していたらしい。今月号のニュータイプでは、藤津亮太さんがアニメの門において「true tears」と「扉」の関係性について取り上げていた。そして今回、妄想ノオト出張版でヤマカンが唯一テレビアニメで全話視聴した作品として取り上げていた。




ここまで素晴らしいアニメ作品は、アニメ史にその名が刻まれるだろうと思っていた。



しかし、藤津亮太さんはこう指摘していた。


アニメの門は07年の事件の一つ――でも、きっと来年のベスト10とか「このアニメがすごい」とかでは決して話題にならないであろう傑作――「True Tears」を取り上げました

  


アニメの歴史に刻まれるだろうと勝手に思っていた僕には、まったくの正反対の言葉で、少し驚いた。なぜ「きっと来年のベスト10とか「このアニメがすごい」とかでは決して話題にならないであろう」=「後世に残らないアニメ作品」と言っていたのか疑問に思っていたのですが、オトナアニメでの妄想ノオトを読んで納得しました。






「データベース」=「萌え要素」からの引用を拒絶したかのような地味なヒロイン達。





この言葉に「後世に残らないアニメ作品」=「true tears」、としての答えが集約されているように思えた。




ヤマカンは、近年のアニメに重視されている『ギミック』=「引っかかる要素」(パロディ要素や、萌え要素=データベース、key等のギャルゲー作品に反映を基礎付ける解決する必要性のない複線を含んだ様々な解釈を誘発させる複雑でナイーヴな世界設定等)が多く氾濫している中、true tearsは「ギミック」を極力排除し、「ドラマ」=「ドラマトゥルギー」を中心概念として扱っていると述べていた。








放送終了後も人気がある作品は、二次創作が大量に行われてる作品だ。後世の人々に残る作品は、二次創作されなければいけないと言っても過言ではない。

そこで二次創作に重要になってくるのが「萌え要素」=「データベース」であろう。キャラクターの萌え要素が高い作品は、脈々とオタクたちに受け継がれ、今でも消費されている。

今の時代のアニメ作品は、「萌え要素」が無ければ、放送終了後のオタクたちの記憶には残らない。





しかし、true tearsはキャラの「萌え要素」を極力排除し、「ドラマ」を取った。






このことにより、二次創作に重要な萌え要素が少ないために、true tearsは二次創作があまりされず、オタクたちの記憶に残らない作品になってしまったのだろう。


それに加え、true tearsには、「ギミック」=引っかかる要素が無いので、視聴者の記憶の中に引っかからず、忘れ去られやすくなっているのだろう。



現に、true tearsの同人誌があまりにも少なすぎる。あんなに話題になったんだから、もうちょっとぐらいあってもいいんじゃないかと思う。それはtrue tearsのドラマが強くて萌え要素が少ないから、同人誌がつくられないのではないのか。




多分、true tearsは徐々にオタクの記憶から忘れ去られていくのだろう。