「セイユウ・イズ・デッド」には、ならない?










昨日、NHK総合で再放送されていた「ザ☆ネットスター!」夏休み増刊号を見た。





そこで、気になった発言があった。それは柚木涼香さんと小山力也さんのトークで、「初音ミクのような音声合成の技術があれば、声優はいらなくなるんじゃないか」という旨の発言が引っかかった。







「声優は要らなくなる」ってあり得ないよな、って僕はそのとき思った。








「声優が要らなくなる」って、それは声優を「声のデータベース」としてしか認識してないから、そんな発想が生まれるのかな? 確かに声優の声質を機械で模倣するのは可能だけど、声優って声質の他に声の「演技」というのがあって、それはどんなに技術が発展しても代替できるものではないだろうと僕は思う。例えば、沢城みゆきさんや花澤香菜さん、水樹奈々さんの演技を機械が模倣することができるのだろうか? 沢城みゆきさんの生々しい息づかいや独特の間の取り方等、沢城みゆきさんの声の演技を機械に模倣させるなんて不可能に近い。人間の演技はどうやっても模倣できないと思う。感情の揺れや心理描写など機械に表現できるとは思えない。



それに、多くの人は声優の声だけに魅力を感じているわけではないだろう。例えば、平野綾さんが好きな人は、声だけに魅力を感じているわけでなく、平野綾さん自身にも魅力を感じているのではないのかな。小山力也さんだって、声だけではなく、小山力也さん自身に魅力を感じている人は多いと思う。









声優の声だけでなく、声優本人に惹かれる人も多いのだから、声優が要らなくなる日なんて訪れないように僕は思えたな。





















でも、もしかしたら技術の画期的な進歩で、声優さんの高度な演技まで模倣できるような技術が生まれたら話は別なのかも・・・。



それにしても、声優さんを語るってどうも印象批評にしかならないな。曖昧なことしか言えないよ。音声を専門的に研究してる人にしか声優を語ることは不可能なのかも。そういえば、確固とした声優批評って見たことないな。