最近のアニメとか、本音とか、愚痴とか2〜かんなぎ騒動について〜







多分、これからこういう愚痴ばっか書いていくと思います・・・・・。






前にも書きましたが、近頃、自分の考えと世間の考えにホントに距離があるんだなと肌に感じています。







それで、絶対に言及してはいけないと思っていたのですが、どうしても吐き出したいので書きます。





かんなぎ騒動」(この呼び方は嫌いなのですが、使わせてもらいます)についてのことなんですが、はっきり言うとはてな界隈も含めすべての言説があまりにもひどすぎて、幻滅させられるものばかりでした。多分、世界一くだらなくて、どうしようもない騒動だったと僕は思います。








かんなぎ騒動」におけるオタクの状況論とか、ネタとしておもしろおかしく書いた記事とか、「かんなぎ」ではなく「かんなぎ騒動」だけを考察した記事とか、虫酸が走りました。彼らは、自分がこのくそくだらない騒ぎを無駄に大きくしていることに全くの無自覚であり、またそういう記事を書いてる人に限って、原作の漫画を読んだこともないし、アニメ作品もまともに見ていなかったりすることを堂々と公言していたりするので、ますます幻滅します。







そういうくだらない言説はたくさんあるのに、「かんなぎ」の作品論は圧倒的に少ない。数少ない「かんなぎ」の作品論を書いているブログの方は、本当に素晴らしいと思います。はてなには、あんなわけのわからない騒動に踊らされず、「かんなぎ」の作品に対するアニメ感想や考察記事、建設的な批判記事を黙々と書いているブログの方がいらっしゃるので、そのような方を見つけるとホントに安心します。







でも、「かんなぎ」を「かんなぎ騒動」としてだけ消費している方たちは、そういうブログを決して見ない。







なぜ「かんなぎ」という作品を純粋に楽しまないのでしょうか。







あのくそくだらない騒動に加担している方たちは、「かんなぎ」の漫画、アニメ作品をどう捉えているのでしょうか。








僕の気分が落ち込んでいたのは、「かんなぎ」という作品を純粋に楽しまず、「かんなぎ騒動」にしか目を向けていない人があまりにも多かったことが原因の一つです。こんな面白い作品を楽しまずに、くだらない騒動を楽しんでいる人達を見ているとどうしようもなく鬱になっていきました。そして、どんどんと騒ぎが大きくなっていくのも僕をさらに鬱にさせました。







特に、作者休載に対する野次馬根性丸出しの物語化はひどすぎるもので、あまりにもあり得ないことをでっちあげていた言説等があり、ホントにどうしようもないと心の底から思い、ますます鬱になったのです。







この騒ぎを起こした人達、それに油を注いだ人達、この騒ぎに加担した人達、これらの人達にひどく幻滅し、悲しくなり、「なんで、だれも作品を純粋に楽しまないんだ」と悶々としていました。








作品に対して、「正しい消費の仕方」、「間違った消費の仕方」なんて決められるものではないと思うのですが、「かんなぎ騒動」だけは、作品に対して「間違った消費の仕方」だったと僕は思います。