涼宮ハルヒの憂鬱 第16話「エンドレスエイト」が面白い


今回真っ先に思ったのは、石原立也さんが出たので、次で武本康弘さんが締めてやっと「エンドレスエイト終了」だ、なんて僕は思ったりしました。

・・・・ですが、そうとはならいような気がします・・・。今までの感じだと。もし、京アニの演出家総出演なら、石立太一さん、坂本一也さんなどまだ登場していないので、まだまだ続くかもしれません。石立太一さんは絶対出てくるなと思っていたのですが、どうなんだろう。 石立太一さんの回は好きなんで出来ればあと一回ぐらいならやって欲しい所。

 まぁ、それはおいといて、気になった事を色々と。

回転


 キョン達が現在置かれている状況を、わっかりやすく提示したのが、公園の遊具で遊んでいるシークエンス。ハルヒが、キョン、朝比奈、小泉、長門達をぐるぐると回しています。ハルヒによって、キョン達がぐるぐると時間をループさせられている状況のわかりやすい暗喩。キョン達が困惑しているのにも関わらず、お構いなしに無邪気に笑っているハルヒの様がなんとも的をえています。途中でハルヒ自身も回転する遊具に飛び乗り、自分自身も回り続ける。ハルヒ自身もループする時間に参加し、尚且つ楽しんでいる。内側にいるキョン達とは違い、外側にいるハルヒというのも、ハルヒの特異性が感じられます。

 途中で、俯瞰からにハルヒ達を捉えます。俯瞰は客観化の描写であり、神視点の描写でもあります(全体を見せ、被写体の位置を示す解説的なアングルでもあります)。また、俯瞰で捉えられたものは「弱く」感じることから、キョン達がどこか弱く感じられ、この繰り返される状況に対してどこか諦めや無力感を感じさせます。途中で、カメラ自身が回転しはじめて、ハルヒ達を捉えます。客観的=神視点=視聴者でもある俯瞰のアングルが回転することは、視聴者自身も回転して、この繰り返させられる状況に巻き込まれているような意味もあるように思います。


繰り返す

茶店でのシーン。ハルヒが立ち去ろうとするのを止めようとするキョンですが、なんて言葉をかけていいのかわからずに何も言えない。そんなシークエンスが、4回繰り返されます。執拗に繰り返されるのは、この15521回ハルヒを止められなかったキョンの暗喩であり、どんな言葉をかけていいのかわからず苦悶するキョンのもどかしさを強調したものでもあります。また、4回という数字は、これまでのエンドレスエイトの話数(今話を含めず)でもあります。今書いたのは、すごく凡庸な捉え方であり、もっと面白い解釈が他にもあると思うのですが・・・。

キョンの顔が隠され、表情が見えない。あえて表情を描写しないことによって、ハルヒをどう呼び止めようか悩むキョンを際立たせている。

秒針


 キョンの部屋でのシーン。このシーンは、11時59分10秒から12時までの50秒間のシーンです。カメラは、秒針に合わせて角度を変えます。

 あと50秒でまた2週間が繰り返させられます。それなのに、次の自分に任せようとするキョン。いや、50秒間では何もすることができませんので、次の自分に任せようとするのは自然なのかもしれません。無情に正確に時を刻み続ける秒針は、キョンの何もできなかった無力さを物語っています。そして、12時になる時、また同じ時を繰り返すのです。カメラが秒針に合わせて動くのは、「時間」を強調させています。また、きっかり50秒間にしてるのも「時間」を強く印象づけます。「エンドレスエイト」でのキーワード「時間」を象徴したようなシーンでした。

 それにしても、キョンまったく変わりませんね・・・・。そこが、15521回も続いた「らしさ」なのかな・・。

 時計を使って「時間」を印象付けるのは、他にもあって、小泉がキョンにループしていることを打ち明ける所も。その他にも、時計が随所に描写される。


アングル

 5回も同じような事をやっているので、他の話数と差別化するための印象的というか、変わった場所から捉えたカットが色々ありました。

 例えば、お祭りのシーン。

 長門がお面を買う所で、お面の目から捉えたカット。

 金魚越しのハルヒ

ちょっと違うけど、序盤のプールの所をスローモーションで見せていく所とか。各話との差異が随所に。

なんか、


第13話、第14話、第15話とループする日々にキョンが徐々に危機感を持っていくように作られてると僕は思ってました。それが、第15話でピークに達したと感じたのですが、第16話になるとその危機感、緊迫感が若干薄れているように・・。長門について、あっさりし過ぎというか、前回との落差がありすぎるような気がしました。あんなに憂欝そうだった長門が、今回は意外と平然としていたように見えたのは僕だけか? あと、今回のキョンって、微妙に切羽詰まった感がないような。なんか、軽い感じがというか、元に戻ったのか。

 よくよく考えたら1万5千回もやれば、こんな回もあるのかな? と思ったのですが、う〜ん、なんなんだろうこの違和感。長門もこんだけ繰り返されちゃ、開き直るのかもねって、ありえないか長門だし。

 まぁ、別々の演出家がやったらこういう事もあるのかな。前回の高雄統子さんが煽り過ぎたのかも。



おまけ1


 着ぐるみで誰か判別できないのだけど、動作で各々の性格を出しているのが面白かった。黙々と風船を膨らます長門、演劇チックに大げさに風船を渡す小泉とか、思わず笑ってしまいました。

おまけ2

 なぜか某作品を思い出すカット。電線とか・・・。こういうのよくあるなぁ。