涼宮ハルヒの憂鬱「エンドレスエイト」が終わって思ったこと


友人宅で、涼宮ハルヒの憂鬱 第19話「エンドレスエイト」を視聴し終えて、友人2人(友人Yと友人S。先週集まった時にはいなかった二人)と話したことのメモ。どんな会話をしたか忘れないうちに。(一字一句は無理なので、要約したのを書いてます)。



終わってみて、各々が思ったこと。


友人Yの話


Yのイライラっぷりに圧倒された。


・くそつまらない。ただそれだけ。俺は、徹底的に制作側を批判する。それと同時に一部分の視聴者も批判する。何が画期的だ。何がエンドレスエイトは素晴らしい演出だ。京アニを擁護する?。アホか。全然画期的でもなんでもないだろ。評論家気どりか。同じことを何回も繰り返しただけなんだから、面白くともなんともないだろ。こんなくだらないことを8回も繰り返すより、別のエピソードをやった方が何十倍も意味がある。早々に切り上げて、別のエピソードをやるべきだった。



・ヤマカンが謝った意味がわかるよ。ヤマカンは正しい。やっぱ、こうなるってわかっていたんだよな。



・気どってる奴が多すぎる。偉そうな評論家気どりの奴が。原作小説のエンドレスエイトには意味があったが、この8回のエンドレスエイトには全くの皆無だ。途中までは、何らかの狙いがあると思っていたんだ。でも、終わってみてそんなのは一切なかった。ただ繰り返しただけだ。それなのに、変な分析記事を書いて権威付けをしてる奴らが多すぎる。つまらなかったら、つまらないって、なんで言えないんだ。ファンだったら、尚更に言わなければならないだろ。なんで、傍観者気どりで、上から目線で、自分は学識がありますよって下を見くだす連中が多いんだ。「なんで君は、このエンドレスエイトの凄さに気がつかないんだ」って、わかるわけないだろ。



・直観的に面白いと思ったんだろ(僕に向かって)。それならいいんだよ。「面白い」と自分の感性で率直に思ったら、それでいいんだ。問題なのは、京アニを擁護すると言ってる連中だ。この実験性を評価しないといけない、なんていうのをネットで見た時、虫唾が走った。なんだよ、実験性って。くだらねぇ。時系列シャッフルのようなものはいいけど、8回ループはどう考えたって退屈でしょうがないってことがわからなかったのかよ。直観的に面白いと思った奴は、実験性を評価するなんて言わねえよ。そういう奴はつまらないと思ってるのに隠してる奴らだ。



京アニはなんでこんなことをしたんだろ。ちょっと考えればわかっただろ、つまらないって。角川の意向なのか? ハルヒちゃんの時のことも考えると、そうなのかもしれない。京アニは、このエンドレスエイトで、視聴者を熱狂させたり、感動させたり、興奮させると思ったのか? どう考えても出来ないだろ。話題性だけが欲しかったのか?




・このエンドレスエイトには、価値なんてない。俺はそう言わなければいけないと思った。つまんねぇと思ったら、つまんねぇって言わなくちゃ。口を濁す必要なんてない。ファンだからこそ、悪いと思ったら悪いと素直に言わなくては。もちろん、面白いと思った人は面白いとちゃんと言わなくてはいけない。無理にエンドレスエイトを評価することはない。




友人Sの話(原作未読)


・終わり方が拍子抜けだった。こういう終わり方するとは思わなかった。このオチを見せられるために8回も観ていたかと思うと、なんかやるせない。ホント、意外だった。想像していたものとは随分と違った。SOS団のメンバーがループから抜け出すために、色々と行動するのかと思ったら、キョンの宿題で終わったから、なんか脱力感。でも、エンドレスエイト全体を通して結構面白かったよ。そこまで悪くなかった。




自分としては


うーん、どうなんだろうなと帰り道を歩きながらちょっと考え込んでしまった。んで、考えたこと。




・当初、長門と一緒にエンドレスエイトを体験していくみたいな楽しみがあったような気がした。それで、視聴者が長門と同一化できたかと言えば、結局無理だったように思える。長門にこのループを終わらせて欲しいなんていう願望はこれっぽちもなかったし、ループに対しての長門の鬱憤なんても全くなかったように思えた。ただただ、キョン達を見つめているだけで、それ以上の感情はない。長門はそこに居て、記憶していただけ。最初、回数を重ねていく内に長門が少しずつ辛くなっていくなんて思っていたけど、それは幻想だった。視聴者の延々と繰り返させられる辛い気持ちを鏡のような長門に投影しただけで、長門は辛いんだと勝手に錯覚していただけだ。そんな長門と一緒の気持ちになって、エンドレスエイトを見続けることが出来る視聴者はいたのだろうか。多くの人が途中でギブアップしたように思える。だって、長門変わんねーもん。やっぱ、長門長門だよ。長門と一緒にエンドレスエイトを体験するなんて無理だ。長門は何億回繰り返しても、まったく辛くないだろう。そんな奴の気持ちなんて常人には結局わかりっこない。キョンが「長門はどんな気持ちでいたんだろう」みたいな事言うけど、どんな気持ちもクソもない。どんな気持ちも持ち合わせていなくて、「無」以外の何物でもない。それが長門なんだ。

長門の気持ちなんてわかるはすがないっていうのが、今回のエンドレスエイトで分かったことだと思う。



・各回の差異と言えば、演出家や作画とか。それしか、各回の見所がなかった。自然と注目がそっちに移動する。そう考えると、演出家やアニメーター達の力量を見せたかっただけなんだろうか。それで、そんなことしてなんの意味があるのかとふと疑問に。自分たちの演出をみて欲しかったのか。視聴者がキャラの言動ばっかり気にして見ている現状に一石を投じたかったのか? だから、キャラの言動は変えずに、見せ方(演出)に目を向けさせるようにしたのか。


・やっぱ、カタルシスなんてないよ。うん、やっぱなかった。BGMで感動的にさせられそうになったけど、誤魔化しにすぎない。オチが宿題だもんなぁ。



京アニの理想像みたいなものがあって、それは原作通りに、忠実に作れる(うまく改変できる)という理想像。それが今回、見事に裏切られたように思えた。「もう原作通りに作んの辞めた!! これからは俺達の勝手に作るんだからね。文句なんて言わせんよ」っていう宣言が今回のエンドレスエイトなのかも。







 うーん。多くの人がどう思っているのか知りたい。アニメ感想サイト巡りをするか・・・。あとで追記するっていうか、書き直すかも。




・追記

大幅に書きなおしました。