Phantom〜Requiem for the Phantom〜 第20話「故郷」が面白い


 短めにメモ。ちょっと気になった事を色々と。あとで追記したり、書きなおすかも。



殴る(攻撃)

 最初に頭をポカンと殴られるのは、なかなか秀逸だなと思いました(図1)。何気ない描写なんですけどね、これといって普通だし。ツヴァイなら、寝てるとは言えメガネ女子高生の不意打ちパンチなんて、避けちゃうか、止めることが容易に出来るはずなんですが、それが出来ていない。体も全く反応していない。素直に殴られているだけ。いかに気を抜いて生活しているか(自然体で)、彼がツヴァイとしてじゃなく吾妻玲二として普通な学園生活を送っていることがよくわかる所です。最後の方で、また殴られそうになりますが、今度は腕を掴んで阻止している(図2)。「最初と最後」で、学園時の吾妻玲二とファントム時のツヴァイとの「対比」がうまく描かれており、彼の変化がよくわかる所でした。

 女子高生のパンチなんてそんな大げさなものではないんですけど、一応「攻撃」なんですよね。今まで自分にされる「攻撃」を打ち返してきたツヴァイが、「攻撃」に対して無反応というのが、学園生活(吾妻玲二)を象徴しているなぁ、なんて感じました。それを初っ端にやって一瞬にして学園生活における吾妻玲二を説明してるのも良いな。そして、最後に行儀よく「攻撃」を打ち返す描写を入れてくるのも。学生の吾妻玲二からファントムのツヴァイに完全に戻ったことを「攻撃」を打ち返すことで表しているのはうまいというか、わかりやすくて良いですね。

 もう、普通の学園ラブコメには戻れないんだよなぁ。なんていう短かさ。

 にしても、同級生に殴られて起こされるなんて、いかにも学園ラブコメらしい始まり。今までとのギャプがありすぎてちょっと驚いたな。
図1

図2

OP


 多分、ほとんどの人がOPを視聴して「あ、モリヲカヒロシだ」と思ったことでしょう(開始5秒もかからないで気づいたと思う)・・・。この人が醸し出す独特な感じ・・・。一期EDもこんな感じでしたけど。なんか、アンバランスというか、不均衡というか。

 日常生活を淡々と描く・・・・んですけど。なんか不気味というか、妙な違和感がある仕上がりに。ALIPROJECTの曲(「戦慄の子供たち」)の影響もあるとは思うんですけど、それとは別に登場人物達の笑顔が全部不気味(図3)。玲二が笑いながら廊下を走る所やキャルの笑顔の所とか、女子四人が子供を見てほほ笑む所もすべてに違和感。ここまで屈託ない笑顔を堂々と見せられるからか? 嘘の上に成り立っている日常を見せられているからか? うーん、うまく言葉にできない。僕だけかな、勝手に違和感を感じたのは・・・。

 こんなに笑顔を強調させらえるのは、笑顔が長く続かないことを暗示しているのかな。

図3


 なんで、女の子の制服バラバラなんだろうなと思っていたら、どうやらこの学校どんな服でもOKな学校のようですよね。制服だろうが、私服だろうが。これ(図4)を見るとなんとなくわかります。
図4


真上からの俯瞰


 「Phantom〜Requiem for the Phantom〜」では、真上の位置から捉えられた極端な俯瞰がよく使われてます。この第20話では、俯瞰が学園生活とファントムを区分するために使われていた、学園生活からファントムへと回帰する装置だった・・・・と思います。とは言っても、俯瞰は現在の状況(設定)を説明するのが主目的であり、第20話で使われた極端な俯瞰は、全部それに該当するでしょう。人物配置の説明やエスタブリッシング・ショットなどに使われていました。でも、その使われるタイミングを考えると、どうも玲二達の学園生活の時には使われず、ファントム絡みの時に使われている。

 真上から捉える俯瞰が使われていたのは、エレンが屋上で一人になった時、教会、Bパートでの登校シーンの冒頭。


・江漣が屋上で一人になった時(図5)

 どこか寂しげな印象を与えている。藤枝を追いかけさせたんだけど、やっぱりちょっと嫌だったのか。真上から捉えているため玲二を送った直後の江漣の顔が見えない。この瞬間、学園生活時の明るい江漣から、通常時のアインに戻っているように思える。
図5


・教会

 インフェルノの追手が来た事を知り、アインのいる教会に着くツヴァイ。祈りをささげるアインの元へ行こうとするツヴァイを真上からの俯瞰で捉える(図6)。インフェルノ時代に散々見せられていた真上からの俯瞰が、平穏な学園生活から再び暗殺者としての日常に回帰していくように思わせる。光が漏れる扉から薄暗い教会の中へ、光から闇へと戻っていく。
図6


 今度は、アインとツヴァイ両方を真上からの捉えたショット(図7)。ここで、アインに追手が来た事を知らせる。これは、人物配置を明確にするためのショットなんだと思うけど、アインの「そう、夢から覚める時が来たのね」っていう台詞が印象的。やっぱり、この真上からの俯瞰は、インフェルノ時代を象徴するアングルで、学園生活(夢)からファントム(現実)へとより戻す装置みたいなものなんじゃないのかな、なんて思ったり。
図7


・登校

 Bパートラスト付近での登校シーン。ここでも真上から捉えらている(図8)。ハリウッド映画の冒頭とかでよく見る空撮みたいな感じで、学校から外へとカメラは移動する。まあ普通のエスタブリッシング・ショットなんだけど。

 でも、これがもう今までの学園生活じゃなくて、インフェルノ絡みになってくることを意味しているような1カットだとも思う。日常(学園生活)から非日常(インフェルノ絡み)へと転換したことを知らせていて、登校している彼女達も少なからず非日常に関係していくと予感させる。
図8


机の上と引き出し


 安易で安直で、引き出しにそんなもん置いてくなよってツッコミたくなるけど、これはこれでわかりやすいなぁと思ったショット(図9)。単純に見ると「ありがちだよな」と思うんだけど、ちょっと考えるとこの構造は面白いかも。机の上にはノートやペンや消しゴムなどの文房具=学園生活、引き出しの中には銃=ファントム。表面上(=机の上)は普通の学生、裏(=引き出しの中)では暗殺者としてのファントム。アインとツヴァイの状況をすんごく明確に表している(安直過ぎるけど)。

 机の上と引き出しという紙一重さ(危うさ)の構造が何とも言えない。


 学園生活のすぐ下には裏の世界がある。机の上がいくら変わっても引き出しの中はずっと変わらない。引き出しの中をずっと背負って生き続けてなくてはならない。引き出しの中(=心の中)が彼らの本性なんだよな。
図9


全然関係ないけど、デスノートを思い出した。

おまけ


 キャルと再会する所で、オルゴールが鳴っているんだけど、突如オルゴールの音楽が一変するというか、オルゴールのメロディを元に別のタイプの音楽へと変わる(うまく言えないんだけど、視聴した人ならなんとなくわかると思う・・)。「昔のキャルでは、もうないんだよ」って言う事を、オルゴールの音楽で表現しているのは面白いなぁと感じた。

 それにしても、二年でこんなに成長するのか? 「ふしぎなメルモ」での青いキャンディーみたいなものをサイスは発明したのかしら。人をこんなに成長させることができんなら、真面目に研究していたほうが儲かんじゃね?

 自然な成長なのだろうか・・。だったら、それはそれでちょっと怖い。