『フラクタル』について〜第2話まで〜


フラクタル』を1話&2話まとめて視聴。


 第1話はあんま面白くなかったけど、第2話は面白かった。ストーリーが面白かったのもあるけど、神戸守さんが素晴らしかった。山本監督のコンテ・演出の数倍良い。




 第2話の主題の一つが、「人と触れ合うこと」と「家」のように思える。


 ネッサは、感情を全身で表し、臆することなく他者と触わる。


 そんなネッサと一緒にいることによって、クレインは徐々に変わっていく。最初は、ネッサに触れることができたクレインだが、突然ネッサに触れられなくなってしまう。それは、クレインがネッサを拒絶したため。自由奔放に振る舞うネッサに付いていけず、一人でいることを望んだため。


 ネッサを遠ざけたクレインだったが、一人になることが嫌だと感じ、フリュネに会いたい・ネッサに謝りたいと、人と触れ合うことを願う。クレインは、他者と一緒にいることを強く願うのだ。祈りを捧げたとき、再びネッサは現れ、クレインとネッサは抱きあう。ネッサに再び触れることが出来た。


 家っていうものは、帰る場所。家族が集う場所。ネッサは、クレインという家に帰ってくる。



 極端とも思える個人主義の世界で、煩わしくても、自分の自由にできなくても、他者と触れ合うことを望んでいくクレイン。クレインは、徐々に変わっていく。



 他者と触れ合うことは、温かい。ドッペルでは味わえない、肌で感じるもの。その喜びをクレインは、感じていく。思い出していく。


 クレインは今まで、他者に対して、家族に対して、強い感情をぶつけることをしてきたのだろうか。多分、してこなかったように思える。でも、フリュネとネッサに会い、他者に対して強い想いを抱いていく。


 自転車から降り、自転車を解体され、最終的に道具の力を借りずに自分の力のみで走るクレイン。体を無理に動かす必要がない世界で全力で走ったのは、クレインにとって久しぶりのことだっただろうし、自分のためでなく誰かのために走ったのは初めてかもしれない。自分の強い願い(他者と一緒に居たい)とシンクロするように全力疾走するクレイン。なかなか感動的だった。




 多くの者は、縛られることを嫌がり、余計な他者との接触を避けているのに対して、エンリ達は四六時中一緒にいる。エンリ達は、他の者たちとは違うようだ。




 面白かった。第2話に以降に期待。