『ユリイカ』、本筋とまったく離れた所が気になる。




ユリイカ2008年6月号 特集=マンガ批評の新展開

ユリイカ2008年6月号 特集=マンガ批評の新展開





非常に面白い記事ばっかりなんだけど、マンガの本筋から離れたあまり関係ない「今のオタクにとって、らき☆すたを論じることは、ハイカルチャーの節がある」みたいな金田淳子さんの言葉が気になった。その言葉を読んで「らき☆すたってそこまでたいしたものじゃないよなぁ」と思ったりしてしまった。


らき☆すたって京アニがアニメ化するまで、そんなに話題になってなかったような気がするんだけど。


原作のマンガ版ってアニメ化される以前に誰かに批評されていたのか?



京アニがアニメ化した途端に、一斉に飛びついた感があるんだけどな。そして一斉に批評が始まった。これってらき☆すたの作品自体そんなに凄いものじゃないんじゃなくて、京都アニメーションがアニメ化したから、「らき☆すた凄い」ってなった事を示しているように思える。




それと、らき☆すたに「すごい、何だこれは!このアニメすげぇ!」みたいな驚きって一切なかったような。作画も、演出もそんなに凄かったか? 意外とまっとうで、普通だったと思うのだけれど。

ハルヒの時は、皆衝撃を受けたと思うし、2007年で言えばグレンラガン電脳コイルの方が、驚きがあったと思うんだけど。らき☆すたにそこまでの驚きがあったか?







それなのに、「らき☆すた凄い」、「らき☆すたハイカルチャー」みたいな節は、どう考えても、作品自体の凄さじゃなくて、『京都アニメーションのブランド力』のみで、「らき☆すたって凄い」みたくなっているようにしか思えない。


日本人が大好物の『ブランド力』に脳が侵されてるとしか思えないんだよな。「京アニが手がけた作品は、どんな作品でも凄い」は、まさに京アニという「ブランド」に躍らせれてるとしか思えない。








だって、らき☆すたはそこまでレベルの高いアニメだとは到底思えない。

ただ女子高生がダベッてるだけですよ。


そこに何の深い意味があるんだ?深い意味をこじつけなきゃ、意味なんてさほどないような。


らき☆すた、つまんね」とは僕自身全然思っていない、毎週欠かさず見ていたし、楽しく見ていた。でもそこまで持ち上げられるアニメじゃないだろって思う。


ハルヒが持ち上げられるのは、わかる。でも、らき☆すたは違うだろと思ってしまうのだけどな。



思想地図のらき☆すた論にも同じくそう感じてしまった。



らき☆すたは、とても奥深いハイカルチャーなアニメなんだ」と言われても、「らき☆すたはどう考えても、ただの萌えアニメですから! 萌えアニメ以外の何者でもないだろ」ってツッコミを入れたくなってしまう。


らき☆すたの一部ファンが、「らき☆すたって萌えアニメだよね〜」と言われるのが物凄く嫌で、「らき☆すたはそうじゃない! 演出、隠されたテーマとともに、とてもレベルの高いアニメなんだ。そこいらの萌えアニメと一緒にするな」と言いたいがために、らき☆すたを無理やりに「物凄くレベルが高いアニメ」として語ってるとしか思えない。




らき☆すたの作品自体、あずまんが大王並みのレベルの高さではないのに、京アニが手がけたからレベルの高いアニメ作品みたくなってるのは、ほんとどうかと思うよ。らっきーちゃんねるもエンディングの実写白石もメタがどうこうの深い意図のものじゃなくて、単純に視聴者を楽しませようとしている意図しかないでしょ。庵野監督が「エヴァが勝手に一人歩きしてる」と言ったのと同じ状況としか思えない。いつのまにか深い意味があるように言われていてるのは、暴走しているようにしか思えないんだけどな。






作品のレベルに合った評価って、アニメでは結構ないような気がする。作品の人気がその作品のレベルまで決定してるのが現状だと思うし。コードギアスだってよくよく見てみたら、結構薄っぺらい内容ですよ。「紅」や「カイバ」の方がもっと評価されてもいいんじゃないのかな?







同時期に放映されていた、「BLUE DROP 〜天使達の戯曲〜」のほうが「らき☆すた」よっぽどハイカルチャーなアニメな気がするんだけどな。





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