「獣の奏者エリン」 第15話&第16話


毎週楽しみ観させてもらっているTVアニメ作品「獣の奏者エリン」。ジョウンの元へ来て4年が経ち大きく成長したエリン、物語はますます盛り上がってきています。エリンの面白さは何なのか、物語の素晴らしさもありますが、映像面にも大きい理由があると僕は考えています。




前にも書きましたが、エリンでは人物たちの心理や状況などを暗喩したカットが度々挿入されています。第15話と第16話ではそれが数多く存在していました。多くの方はすでにご存じだと思われますが、その事について色々と書いていきたいと思います。






・第15話「ふたりの過去」における動物達と背景描写について





この回は、ジョウンとエリンの二人の関係性に焦点を当てています。そのため「対」となる描写が多く存在しています。冒頭、エリンが遠くの山を見つめているカットが描写されますが、この意味については後ほど。次に馬の出産シーンですが、この馬の親子はジョウンとエリン、ソヨンとエリンなどの親子関係(擬似的なのも含む)を表していることが後々の展開でわかります。



二羽の青い小鳥が寄り添った後に別々の方向に飛び立つ様子が描写され、ジョウンとエリンの別れを予見させるものになっています。



ジョウン、エリン、アサンの会話シーンの後にカモとカメの親子連れのカットがあり、ジョウンとアサンの本当の親子関係、エリンとジョウンの擬似的な親子関係の「親子」というイメージを視聴者に強く与えています。



馬小屋で馬の親子が眠りについている前でのジョウンとエリンの会話シーンは、これまた「親子」のイメージを執拗なまでに強調しています。



ジョウンの過去の挿話で自分が追放された経緯を語っている途中、急に項垂れた「狼」が森の中に入っていく場面に切り替わります。前の場面でジョウンが去っていく後姿が描写されているので、この年老いた狼*1とジョウンが追放されるイメージを重ね合わせているのが容易に想像できます。



過去の回想が終わりジョウンが馬小屋から去り、エリンも馬小屋から一旦外へ出ます。ここでまた山を見つめるエリンのカットが描写され、鷹*2が山へと向かって飛んで行きます。この所の意味は後ほど判明します。小屋に戻り馬の親子の世話をするエリン、そして母ソヨンとの回想に移ります。ここでこの馬の親子がジョウンとエリンだけでなく、ソヨンとエリンの親子関係についてのことだともわかります。ここでエリンは馬の子供に向かって「あなたはここに居て幸せ? 幸せだよね」と話しかけます。このセリフの意味は、ジョウンと別れるようになってしまったエリンが前述した通り自分の分身であるとされる仔馬に問いかける、つまり自分自身にジョウンとの関係を言い聞かせるものになっており、エリンとジョウンの幸福な関係がなくなってしまう事に対してのエリンの心情がよくわかるものになっているのです。またこの台詞は後でのエリンの決意に対する伏線でもあります。




Aパートが終わり、Bパートでのジョウンが王獣の医術師に関して話しエリンが自分の未来について決断するシーンで、鷹のカットが会話中に挿入されます。ここで今まで描写された鷹が一体何なのか判明するのです。「ずっとこうしていたいです。でもそれができないのなら、私は一人で生きていきたいです」というエリンが自分の未来を決断するセリフ中に鷹が飛び立つカットが入れられ、鷹はエリンの夢に向かっていく自分自身の意志の分身だということが判明するのです。ここで前述したエリンが遠くの山を見つめるカットとそれに向かっていく鷹の描写の意味がわかります。遠くの山はエリンの未来、それは夢であり目標であり行き着く場所、山へ向かっていく鷹はエリンそのものなのです。冒頭の山のシーンと馬小屋から出た直後の山のシーンは、エリンの未来への旅立ちを暗示させるものでもありました。




そして崖に向かい王獣と再び遭遇するエリン。OP曲であるスキマスイッチの「雫」が流れ、今後のエリンの展望を示すとても印象的なシーンになっていました。





この様に、15話では動物や背景描写を使い、登場人物たちの心情や状況を数多く暗喩していたのです。






・第16話「堅き盾(セ・ザン)のイアル」における猫と灯篭流し




第16話では猫が数多く描写されます。この猫が何を表しているか既に分かっている方は多いと思いますが、これはタイトルにもなっている堅き盾(セ・ザン)のイアルを表しているものです*3。エリンが竪琴を落としてしまい壊してしまう所で猫が登場します。この猫は竪琴を壊したことにより、イアルがエリンと再びめぐり会うことを予見させるものになっていました。猫というものは自由奔放、孤独、気まぐれなどの多様なイメージがありますが、堅き盾としてのイアルに自由などはなく、飼われている犬の方のイメージを連想させ猫とは矛盾しているように思われます。しかし、孤独という点ではイアルに合致していますし、これからのイアルが堅き盾を抜け猫のように自由に生きていくのを暗示させているのかもしれません。また猫はイアルだけを表してるわけではなく、傍観者の意味合いも含めていますし*4、限定できるものではないとも思われます。




イアルとハガルの戦闘シーンでは、灯篭流しが一緒に映し出されていました。この灯篭流しは、川の流れに逆らうことは決して出来ずただただ流される灯篭と堅き盾という大きな流れに抗うことは出来ず流されていくことしかできないイアルとハガルを表していたと考えることができます。灯篭流しの儚さと堅き盾の儚さをイメージさせるものでした。









・まとめ


エリンではとてもわかりやすい形で暗喩を用いてます。難解なものではないので、物語を視覚的にもイメージさせやすくしています。例えば第15話では動物達のカットを執拗に入れて、エリン達の心理や状況を台詞や演技だけでなく、視覚的イメージで表現していました。狼や馬の親子などがいい例です。ちょっとうまく言えませんが、もし暗喩に気づかなくても、理屈ではなく感覚的に受け取ることも可能な作りになっているとも思います*5



「映像的に視聴者にわかりやすく作品を提示する」この方針が「獣の奏者エリン」の物語を引き立てているのだと僕は考えています。


労力の節約も含まれているとも考えられますが。



いずれにしろ、この方針は作品に対して効果的に作用していると考えて間違いないでしょう。







とまぁ、ごちゃごちゃ書きましたが、エリンとても良いです。未視聴の方は視聴をお勧めします。




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*1:推測であり年老いたかは定かではない

*2:鷲なのかもしれせん。そこん所はよくわかっていない

*3:限定ではなく一要素として

*4:登場人物たちを要所要所で見つめている

*5:執拗に、連続して見せられるので