タユタマ-kiss on my deity- 第11話 「決戦」が面白い


タユタマ-kiss on my deity-」第11話「決戦」元永慶太郎監督コンテ・演出回で気になった事をダラダラと。



アメリましろ


 ましろが応龍の中に入り、アメリと対話する所が凄いなと思ったのでその事について色々。



 バイク整備をする裕理と談笑するアメリと三九郎。この時点では、ましろアメリの「回想」の中に入り込んだように見える。







 裕理、アメリ、三九郎の三人が学食で食事を取っている。なぜだか、周りに他の生徒は居なく、三人しか存在していない。






 観覧車が降りてる時は、応龍とのバトルがあったはずなんだが、なぜだか裕理とアメリは楽しそうに談笑している。






 現実には存在していない裕理とアメリが手を繋いでいる姿が描写される。

 この時点で、これはアメリの「回想」の世界ではなくて、アメリの「願望」の世界だということがわかる。裕理と手を繋ぐというのはアメリの「願望」以外の何物でもない。なぜ「回想」だと思い込んでしまったかというと、最初のバイク整備の所に既存のシーンを使ってるから、勝手に「回想」だと思い込んでしまった。

 アメリが自分にとって都合のいい世界(「願望」の世界)に逃げていってしまうから、段々とましろの顔が険しくなっていく。途中からは三九郎も消え、アメリは裕理と二人っきりの世界にますます逃げ込むようになっている。






 バイクの映画を二人っきりで観るという完全にでっちあげの世界(実際には見に行かなかったから)。もうここで、これがアメリの「願望」の世界だということがはっきりとする。しかも、「観客が一人も居ない」という「裕理と二人だけで居たい」という強い願望が出てる。そして、現実から逃げ回っているアメリましろがようやく話かける。


 ここの一連の流れはホント見事だと僕は思った。最初、「回想」だと思わせておき、徐々に「差異」を目立たせて、最後にこれは、アメリの「願望」の世界だと気付かせる流れはうまいとしか言いようがない。つーか、「回想」だと思い込んでいたのは僕だけかもね・・・・。


 あと、画面から三九郎が居なくなり、裕理とアメリ二人だけの世界に没入していく流れは、アメリが現実の世界から逃避していく、現実から逃げていく弱り切った心をうまく表現していた。









 それで、二人が対話する所に移る。




 最初、二人が向き合って話してるように繋がれてるけど・・・

 




 実は向き合っていない。アメリましろ、引いては人間と太転依の関係性が如実に出ている。向き合っていない、正反対の方向を見ているというのは、お互いがわかり合えていない、心を向かい合ってわかり合おうとしないということ。影も別々の方向を向いている。この時点ではアメリましろも表面的な心しか見せ合っていない。同時に応龍と裕理のバトルも進行していて、応龍と裕理が話している内容はアメリましろの話とシンクロしている。






 会話が進む内に、ましろの「言いたいことを言わさせてもらいます」の発言を契機に背景に「桜」が舞い始める。ましろが「自分の心の中にある本音」=「素直な心の内側」を明かしたことによって背景に「桜」が舞う。ということは、「桜が舞っている背景」=「ましろの心の本音」、ましろの心象風景が「桜が舞っている背景」だということがわかる。







 ましろが心の内を明かし、アメリに自分の本音をぶつける。それに対してアメリも溜めてきたことをましろに吐きだす。

 そうすると、二人の距離が縮まる。心の内をぶつけ出したことによって、お互いの心の距離が縮まっている。でも正反対の方向をまだ向いているアメリましろ。まだ、自分の気持ちを相手にぶつけているだけでわかり合おうとはしていない。






 会話が進み、アメリも自分の「心の内」=「本音」を少しずつ出すようになってくる。それで、ようやくアメリも自分の心の本音を全部出し、涙をこぼす。そうすると、こぼした涙によって一瞬にして「桜が舞っている」背景から「青空」に変わる。前述しましたが、これは「アメリの本音、心の内」=「青空」ということがわかる。「青空」は「アメリの本当の心」、アメリそのものを表している。







 そのあとの会話では、お互いの顔全体が描写されず、足や口などしかカメラに捉えられない。ここでは、「青空」の背景に「桜が舞っている」。これはお互いが本音を出し合い、お互いの心が混ざり合ってきていることを表している。





 本音をぶつけ合い、アメリましろお互いの心が近くなり・・・・

 二人はようやく向き合うようになる。ここで背景が変わり、上部の背景に「桜」が舞っていて、下部の背景は「青空」、その中間に「扉(障子)」がある。「桜=ましろ」と「青空=アメリ」の間に「扉(障子)」があるので、まだお互いの間には壁がある。でも、向き合ったことにより、アメリましろ、お互いがわかり合い始めたことがわかる。






 お互いが本音で話し合い、徐々に距離=心の距離が縮まっていく。







 そして、互いに心を曝け出し、お互いの心が打ち解けあい、二人は手を結ぶ。そうすると「障子(扉)」が開いていく。アメリましろの間の心の壁が取り外され、アメリましろと一緒に外の世界へ出ていく。アメリましろ、人間と太転依の共存という新しい道が開けた。




 アメリましろのお互いの心の距離を人物の配置で表現しているのはうまいなぁ。アメリましろの裕理を取り合うミクロな話が人間と太転依はわかり合えるのかというマクロな話と繋がっているのもなかなか。ましろアメリが延々と話し合っているのを飽きさせない作りも凄い。簡単に解釈できるよう視聴者にやさしくわかりやすく作られているのも好印象。

 今回のタユタマは、力の入った元永慶太郎監督のコンテ・演出回でした。







おまけ


 一瞬、こでらかつゆきさんかと思った。