青い花 第8話「恋は盲目」が面白い

公理とふみ


 前回、杉本に「今のままじゃ付き合えない」と言われたふみ。

 Aパートは、杉本の一言にショックを受けドシャ降りの雨の中、一人帰ろうとするふみから始まる。杉本母や杉本四姉妹が心配する中、見かねた杉本四姉妹の三女公理が車でふみを送っていく事に。車中で各務先生が二女と結婚するとふみに伝える。ここで気になったというか、引っかかったのは、公理の最後の台詞。

「で、次の信号はどっち?」


 っていう台詞なんだけど、別に何気ない一言なんでしょうが、「あんた、これからどうすんのよ」ってみたいな感じに聞こえてしまった。「この事実を聞いて、あんたこれからどっちに進むのよ。やめんの? やめないの?」てふみに迫ってるみたいだったな。まあ、そんな意味はさらさらないと思うけど。それにしても、この公理って人は、二人にとことん現実というか厳しいものを突き付けてくる人だな。この作品にとって、こういう存在って他にいないよなぁなんて思った(いたっけか?)。





ふみとあきら。杉本


 Bパートに入った直後、夕暮れの中一人で歩くふみが描写される。ここから、ふみと杉本の間にできた溝をうまく表現しているなぁなんて思った。ふと歓声が聞こえて、ふみが視線を横にやると、バスケをしている杉本、それを体育館の開いた扉から見ている女子生徒が映し出される。こういう繋ぎ方をされると、てっきりふみは体育館のすぐ側にいて、開いた扉の近くから杉本を見ているように思えるんだけど、実際は遠く離れた所から体育館を見つめている。今までは、近くで杉本のことを見ていたふみが、体育館の開いた扉さえ見えない離れた場所で見つめている。この近くにいるようで、近くにいなかった繋ぎ方が、ふみと杉本の距離間・断絶っぷりをまざまざと表しているなんて思った。それで、わざわざ体育館に背を向けて去っていくのがいいな。




 そして次のモンタージュ・シークェンスでのふみと杉本の対比っぷりがこれまた良かった。ここでは、ふみと杉本が交互に描写される。ふみにはあきらが側にいたり松岡のかしまし娘(あの三人組ね)がいたり、いつも笑顔で過ごしている様子が描写される。一方杉本には笑顔がなく、どんどんと疎外されていき、最終的には一人でバスケをしている様で終わる。モンタージュ・シークェンスの最後、ふみはあきらと一緒に雨が止み晴れ渡った真っ青な空と海を見て終わるのだ。これは、傷ついたふみの心が癒されていき、最後には「雨=傷心のふみ」が消え去り、「晴れ渡った青い空と光り輝く海=癒されたふみの心」と捉えていいだろう。その側にはあきらがいたことからあきらによって癒されたことがわかる。杉本には側に誰もいなかったけど、ふみにはあきらがいた。そう、ふみにはあきらがいたんだ。無駄に二回言いましたけど、ふみにとってのあきらがどういう存在か、どれほど大切な存在かが、よく表現されている良いシーンでした。



 でも、癒されたかのように思えたけど、実際はそうじゃないという事が最後にわかる。それについては後ほど。





京子と杉本


 あきらに杉本とふみが別れたことを知らされた京子。

 杉本は文芸部の部室で偶然ふみと再会するが、ガン無視されてしまう。その無視されたモヤモヤを抱えたまま杉本は下校するのだが、校門前には別れたことを聞いてすっ飛んできた京子がいた。ふみに無視された杉本に対して、間が悪いことに京子は別れたって聞いたんですけどと言ってしまう。本当に間が悪いよ、この子。ここでは、京子なんてアウトオブ眼中のイライラしてる杉本と懸命に杉本にアタックする京子が描かれる。その様子がよく表現されているのが、杉本を追いかける京子を捉えられた約23秒間の1カット。黙々と進む杉本。置いていかれそうになるが懸命に追いつこうとする京子。京子は、杉本に話が飛躍しすぎと指摘されるほど、話しかける内容がめちゃくちゃ。京子が杉本に対してどうにかして振り向かせようともがきにもがく様子がよく描かれている。カットを割らずに、ずっと二人を捉えているので、二人の関係性がダイレクトに伝わってくる。


 「先輩の事が好きです」と言っても、杉本を振り返らせなかった京子。杉本への悪口(?)でようやく振り向かせられたのが妙に虚しい。




茶店


 あきらの家にお泊りするふみ。先輩のことはもう好きじゃないとあきらに告げる。あきらの寝顔を見ながら、私にはあーちゃんがいてくれると再認識する。この時点で、ふみは杉本のことを吹っ切れたかのように思える。しかし、前述したように実は吹っ切れていないことが次の喫茶店でのシーンで判明する。

 喫茶店でのシーン。ふみ、あきら、京子の三人は夏の旅行話で盛り上がる。ここで、「お花を摘みに」と言ってあきらが席を離れる。そうです、ここでふみの側からあきらがいなくなるんですよ。ふみの側にあきらがいないっていうのがホントに重要なんです。



 あきらがいなくなり、京子とふみの二人だけになる。目を合わせて喋っていた二人なのだが、ここで何故か急に二人の視線がアイスティー(アイスティーということで話を進ませてもらう。アイスコーヒーかもしれないけど)に注がれているようなカットの繋ぎ方になる。二人がちゃんと視線を合わせるようなショットが当分存在しない。なぜかただただアイスティーを見つめる二人。二人は同じものを見ている。同じ対象物を見ている。京子とふみの二人が見ている対象物と言えば、杉本しかいない。二人が見つめているアイスティー、二人がずっと見続けていた杉本。ふみと京子が見ているもの、アイスティーは杉本の代わりと捉えてもいいのかもしれない。アイスティーを見ることは、杉本を見ていることと同義なのだ。これによって、二人が杉本を見ているということがわかり、ふみがいまだに杉本を見続けていることがわかる。


 二人は号泣する。杉本の事を語る京子を見てふみは泣き、泣くふみを見て京子は泣くのだ。杉本のことを思い出して泣いたのもあるが、ずっと見ていたアイスティー(杉本)から目を逸らして、互いを見て泣いのだ。杉本の事を見ていた二人が、ふと自分を見て泣く。自分とは何か、ふみにとっては京子であり、京子にとってはふみなのだ。杉本を愛し、杉本に拒絶された同じ境遇にある京子とふみは、互いが「自分」そのもの。拒絶されても尚好きな京子は、ふみにとっての自分そのもの。ふみはまだ杉本のことが忘れられないのだ。また京子にも同じことが言えるだろう。

 杉本のことが忘れられずいる「自分」を見て、京子とふみは涙する。


 ふみは杉本を吹っ切れたように見えたのだが、それはあきらが側にいたからだったのだ。あきらが側にいたから、ふみは元気でいられた。しかし、あきらがいなくなれば、途端に彼女は杉本のことを忘れられない自分に遭遇する。

 この喫茶店のシーンによって、ふみは杉本のことを忘れていないし、ふみにとってあきらは絶対に欠かせない存在だということがわかる。









 えーと、深夜3時頃にちょっとおかしなテンションで書いているので、文章が進むにつれどんどんエキセントリックな内容になっていきます。いや、初っ端からおかしいか。ネタだと思って読んでください。



おまけ1


 「あーちゃん、こえーよ」と思ってしまった。今までないほどめちゃくちゃに怒ってる。提供もこれだったような。



おまけ2


 杉本と別れ、あきらが一人になる所が良かった。ロングというか、ちょっと遠目から捉えてたり、後ろ姿だったりと、あきらの表情をちゃんと映さない、読ませない。ふみの家に行くまでのあきらの心情、ふみに対して考え込むあきらが良い感じに表されていた。



おまけ3


 二女を見て「かっこいいよ」と言う杉本がなんかもどかしいというか、ちょっと切なかった。