青い花 第9話「夏の夜の夢」が面白い



 京子の誘いで許婚である澤乃井康の別荘に遊びにいくことになったあきら達。


 第9話は夏休みを満喫する一行を描きながら、並行して、あきら、ふみ、京子、康、各々の心情を描いていく。



白樺


 別荘に到着した一行。部屋を紹介され廊下を歩いている最中、ふみは飾られている一枚の絵画が目にとまる。その絵画は、蒼い空の中に白樺の木が一本だけ描かれたものだった。おばさんの話によるとその絵画を書いたのは京子だという。

 その後の肝試しの時のふみと京子の会話で、この白樺の絵が何をモチーフにして描かれていたのかがわかる。この白樺の絵は、京子が中等部時代に在籍していた美術部の時に描かれたらしく、その時に杉本と京子は出会った。青い空の中に白樺の木が一本だけ、この一本だけ描かれた「白樺」は「杉本」をモチーフとして描かれたと考えてもいいだろう。

 美術部時代、杉本と出会い、杉本を好きになり、杉本をモチーフとして白樺の絵を描いた。あの絵は、杉本への想いが詰まった絵画だった。だから、同じ想い(杉本への)を共有していたふみにだけ、白樺の絵画が目にとまったのだ。

 前回、喫茶店でわんわんと泣いた二人。同じ人を愛したふみと京子の気持ちは涙を流した時に繋がった。そして今回、あの白樺の絵画(同じ人を愛した証拠)により、ふみと京子はより心を近づけることができた。あの絵画は、京子とふみの心をより繋げる装置だったのだ。白樺の絵画について話した後、ふみは「ありがとう」と言い、互いに見つめあったあと、京子とふみは笑う。ふみは、あきらの力だけで元気になったわけではない。杉本を愛し、杉本に拒絶された同じ経験を持つ京子がいたからこそ、傷は癒えたのだ。もちろん、京子もふみがいたからこそ、傷が癒えた。京子とふみ、お互いにどれほど重要で、必要な人物だったかがわかる。





 ちなみに、白樺の花言葉は「光と豊富・柔和・あなたをお待ちします」らしい(確かな情報ではない)。っていうか、白樺に花言葉があったのが意外だった。ちゃんとした情報ではないので、鵜呑みにはせず、聞き流す程度で。



澤野井康

 今回は、澤野井康の回と言っても過言ではないだろう。とは言っても、彼の心情を読み解くのは難しいというか、よくわからん(情報の積み重ねがないため)。ここからは、僕の勝手に考えたことであり、答えでもなんでもないとだけ言っておく。それに加え、まとまった文章ではなく取りとめのない感じなのはあしからず。


 康とあきら兄の会話シーン。ここで、康はあきら兄に妹(あきら)の話を振る。なぜ妹の話を出したのか。康にとって、小さい頃から一緒に育ってきた京子は妹という存在と若干かぶっている部分があったのだろう。妹とというものは、必ず自分(兄)を好きにならず、他の誰かを好きになる。あきら兄の発言に康は激しく動揺し、同意する。康の瞳の超クロースアップが心の揺れを表している。京子は康を好きにならず、杉本を好きになった。もしかすると、康は兄という存在のように、一生妹(京子)は自分のことを好きにならず、別の誰かを愛し続けると予感しているのかもしれないなぁ。


 京子と康の回想シーン。どうも京子と康のそれぞれの回想には軋轢があるように感じる。京子にとっては、迷子になった自分を康が迎えに来てくれたというポジティブな思い出なのだが、どうやら康にとっては京子を笑わせることができず泣かせたという若干ネガティブな思い出に感じ取れる。康にとっては、どこか負い目のようなものなのかもしれない。自分は、京子を笑顔にできないという存在、不相応な存在なのかと。うーん、まあ、ここら辺の解釈はもっと興味深いのを誰か書いてくれるだろう。





 ラストの康は何とも言えない。つーか、切なすぎる。肝試しの課題である百合の花を持ちながら、

「俺は、その人になりたい」

 と言うのだ。この百合の花は、杉本を象徴しているものと捉えていいだろう。まあ、百合ということでそのまんまだ。百合の花=杉本を見ながら、懇願する康の表情が何とも・・・。その人(杉本)になれるわけないのに、康は百合の花に願う。この京子と康の思い出深い場所で、この台詞を言わせるとは、酷なことをさせるな。夜に輝く水面が切ない雰囲気を醸し出している。京子をいかに愛しているのか、いやでも伝わってくるシークエンス。それを見つめるあきらも見逃せない。




あきら

 肝試しが終わり、就寝するあきら達。松岡かしまし娘、京子、みんなが眠りに就く中、あきらは一人寝付けないでいた。ふみ、京子、杉本、康、それぞれ想い人がいるのに、自分だけいない。これから、誰かを好きになり、涙を流すことが訪れるのかと感慨ひたるあきら。ここで、天井を見るあきらのPOV(主観)に切り替わる。天井がやけに高く見える。この遠くに見える天井は、好きな人が出来るということがあきらにとって、ほど遠い印象を視聴者に与えるし、あきら自体もそう思っているのだろう。あきらの主観(主観は自分の勝手な思い込みも含んでいる)なので、実際よりも天井が遠くに感じているのかもしれない。あきらの顔のクロースアップ、次にあきらの瞳の超クロースアップ、そして「ぐぅ〜」とお腹がなってしまう。この流れは良かったというか、ちょっと笑ってしまった。あきらにとって、好きな人よりも食べることというのが、何とも・・。

 お腹の音をふみに聞かれ、一緒に冷蔵庫を漁りにいくふたり。ここで、あきらとふみは満天の星空を見ることになる。そして、二人は少し夜更かしをして、仲良く風邪をひくのだった。

 この天井→星空の流れを見ると、好きな人の事を考えるよりも、今のあきらにとって、ふみと一緒にいることの方が大事ということが伝わってくる。

 あきらにはふみがいるからそれでいいじゃん、みたいな感じ。

 前回は「ふみにはあきらがいる」、というものだったのに対して、今回は「あきらにはふみがいる」という構成になっている(第8話の記事を参照)。




おまけ


 うおい、駄目だそんな極度のシスコンに惚れては!! 吊り橋効果に騙されちゃ駄目だ!!! と言っても、あきら兄は結構いい人っぽそうなので、ホントはいいのかもね。悪い奴にはどうも見えない。つーか、かっこいいか?