青い花 第10話「幸福の王子」が面白い

青い空と岩屋



 アバンでは、杉本父が初登場する。縁側に座りながら、煙草を燻らせる。杉本母に「なあに、まだ時差ボケ?」と言われるほど、ぼんやりとしている杉本父。自分の娘がお嫁に行くのだから、感慨深いものがあったのだろう(元々こういうのんびりとした性格なのかもしれないが)。空を見上げ「今日はよく晴れたなぁ」とぼつりと呟く。


 この杉本父が言った台詞がとても重要なのだ。


 第10話では、この「青い空」が頻出する。杉本は2階ベランダからよく晴れた「青空」を見上げるし、ふみも起床した直後カーテンを開け、「青空」を窓越しに見上げる。あきらに至っては、あきら兄に車で式場まで送ってもらうシーンでの一番初めのショットは車中からフロントガラス越しの「青空」だ。このシーンでは、「青空」を執拗なまでに強調させる。車の窓ガラスに反射した「青空」やラストカットでの「青空」など。第7話、第8話での車中でのシーンとは明らかに違う。今回の車中でのシーンは、「青い空」を非常に意識させたものになっている。その後も、江の島の展望灯台などで「青い空」が印象付けられていく。第10話では何故「青い空」が頻繁に描写されるのか。ここまで強調されるよく晴れた「青い空」には、一体何の意味・効果があるのか。今回の第10話でのメインとして描かれる人物、主役は誰かを考えて欲しい。それは、あきらやふみや京子でもなく、もちろんあきら兄でもない。第10話の主役は「杉本恭己」だと言いきって間違いないだろう。杉本姉の結婚式から江の島まで、彼女の心情をメインに描写されていく。それと並行して、ふみやあきらも描写されていくが、彼女の比ではない。では、このよく晴れた「青い空」は何なのか、それは杉本の心情そのものだと捉えていい。自分の想い人である各務先生が姉と結婚するという陰鬱な、どこかやりきれない気持である杉本に対して、よく晴れた「青い空」とは似つかわしくないのではないかと考えるのは一般的だろう。それならば、暗い気持ちをわかりやすく表現するため単純に曇り空にすればよかった。それなのに、「青い空」にした。そう、「青い空」でなければ杉本の心情を表現できなかったのだ。澄み切った「青い空」は、杉本の虚勢・偽りの心を表している。各務先生と姉が結婚式を挙げている様子をすぐそばで見ていたのに、まだ忘れられない。内心は揺れているのに、平然を装う杉本。あそこまでよく晴れた空は、杉本の空元気そのものだ。各務先生を諦められないのに、自分はもう諦めたと偽る。外見は晴れているように装うが、内面は違う。
 

 第10話で杉本が内面を表すシーンがある。そこはどこか? それは岩屋のシーンだ。岩屋では、全く光は届かず、もちろん青空とは完全に遮断されている。まったくの正反対な場所だ。ここでは、杉本の虚勢・偽りの心は機能しない。「青い空」が無い岩屋では偽ることはできず、自分のホントの心しか出せない。杉本はこの岩屋でふみに「叱られる」。ふみに本心を貫かれる。諦めたと宣告される。そして、杉本は「ごめんなさい」と涙を流す。虚勢を張り続けていた杉本がやっと本心を表したのだ。杉本が振り返るカットは、今までのスーツを身に纏い颯爽とした杉本の面影はない。そもそも、杉本が身に纏うのがドレスではなくスーツだというのも、「虚勢・偽りの心」の一つだ。肩を下ろし、ピンと張っていた背筋は曲がり、かっこ良く虚勢を張り続けていた男らしい杉本から、ごくごく普通の女の子へと戻る。



 「青い空」は、杉本の「虚勢・偽りの心」を表し続け、最後に岩屋でそれを閉ざさせて、杉本の剥き出しの心を表現した。






 

 余談だが、ラストカットは杉本の両目のクロースアップで終わる。とても効果的だと感じた。ここで使わなくてどこで使う。




田中宏紀


 個人的に気になった2カット。杉本に各務先生が好きだったことを見抜かされた時の公理のリアクション。次のカットでの若干仰角から捉えられて手前にフレームアウトする杉本。公理の驚いて恥ずかしがる芝居が細かくわけられていて面白かった。手前から歩いてくるのなんて、難しいんじゃないのかななんて思ったけど、やけにスムーズだった。足の動作が印象的。手を振りおろす芝居も良かった。






 結婚式場では鏡が度々登場する。各務先生と和佐のそれぞれの部屋に一つずつ。結婚式場の待合室にあるごく自然な光景。しかし、ここで描写された「鏡」は第10話を読み解く鍵になる。


 また江の島においても鏡が描写される。




「鏡」とは何か? それは登場人物の関係そのものなのだ。



 一つ目は、和佐と杉本の関係。杉本は、各務先生を射止めた和佐のざっくりとした部分、男らしい部分が欲しかった。杉本は肩まであった髪の毛を自らハサミで切り、外見だけでも男らしい部分を得ようとした。そう、姉みたいになろうとしたのだ。それはまるで鏡だ。和佐=実体に杉本=鏡像はなろうとした。しかし、鏡像は鏡像なのだ。実体=和佐とは違う。しかし、それが杉本にはわからない。


 もうひとつの鏡の関係として、杉本と京子がある。京子は杉本と同じく髪を切り、短くする。杉本と同じ行動をする。杉本曰く京子は自分そのもの。今度は実体=杉本であり、鏡像=京子なのだ。それを「かわいいけど、めんどくさい」と杉本は言う。京子を見て、杉本は気づく。鏡像と実体の違い。実像とは違うということ。しかし、それをちゃんと理解するのは随分と後のことなる。ちゃんと理解するのが遅れたため、杉本は「こじらせる」ことになってしまうのだが。

 第10話で度々描写される「鏡」は、登場人物の関係を読み解くのに欠かせない。







 ちなみに、杉本が髪を切る所は、鏡に写った杉本なのだろう。





おまけ

 ふみも杉本も父親とは一切かかわらない。父親はちゃんと描写されてるのに。ただ単に仲が悪いというわけではなそうだ。視聴者みんな気になっている所だよなぁ。