涼宮ハルヒの憂鬱 第23話「涼宮ハルヒの溜息IV」


 気になったことをダラダラと。


深刻さを煽る


 池で映画撮影する場面。朝比奈を池に落とそうとするハルヒ、暗く不安を掻き立てるピアノのBGMが流れる。暗いBGMが流れていることによって、この状況がいかに通常時よりも深刻かが視聴者に伝えられるのだが、何かがおかしい。ここで「これはそこまで深刻な状況なのか?」という疑問が生じる。鶴屋はゲラゲラと笑い、谷口も国木田も朝比奈が池に放り込まれることをそこまで「異常」な事態とは認識していない。軽く受け止めているのである。視聴者の反応も鶴屋、谷口、国木田に近いものがあるだろう。朝比奈が池に放り込まれるのはそこまで深刻かと。この暗いBGMは、鶴屋、谷口、国木田の状況を表しているものではない。これは、ハルヒを除くSOS団のメンバー、特にキョンにスポットを当てた、彼の状況・心情を表したBGM。

 BGMを使って煽っていく。



 鶴屋実家で映画撮影する場面。光源が窓側の障子からだけなので、部屋全体が薄暗い。朝比奈の頭をメガホンで叩くハルヒに対してキョンの堪忍袋の緒がブチ切れる。今まで水平を保ってきたカメラアングルがダッチアングルへと変わる。垂直線と水平線で構成されていた安定した世界が、斜めに傾いた不安定な世界へと転換する。

 障子からの光源によって、ハルヒキョンの顔には陰影がはっきりと刻まれている。池での場面では薄かった陰影がここでは濃い。これにより、顔の表情がより精密に映し出され、ハルヒのクロースアップされた顔には眉間のしわまでが強調されて描写されている。キョンハルヒの怒りの心情が表情としてダイレクトに伝わってくる。今までアイレベルのアングルが比較的多かったのだが、ここでは仰角からのアングルで捉えられたショットが多く見受けられる。仰角から捉えることによって、不安感・威圧感・恐怖感を与えたいためにこのアングルが多くなったのだろう。かなりの頻度でハルヒキョンのクロースアップされた顔が交互に映し出される。クロースアップの往復は、威圧感と迫力が今までとは考えられないほどのものになっており、キョンハルヒの怒りが尋常ではないことが伝わってくる。手持ちカメラを持っているようなショットでは、画面がぶれて臨場感をかもしだす。激しいピアノのBGMが頂点に達するのと同時にキョンの怒りも頂点に達し、ハルヒをブン殴ろうとする。



 なんでここまで、煽るのか? 今回のコンテ・演出の北之原孝将さんだからこうなったわけではないだろう。第22話のコンテ・演出の石原立也さんの時もこうだったので、一貫とした方針があるように思える。

 あんま必要だとは思わなかったが。




思ったことをダラダラ


 小泉が「ハルヒは世界を修正する」と言っていた。世界は修正するとは、世界をより良くするためのことなのだろう。多くの人は谷口のように文句と愚痴ばかり連ねて、何も行動をしない、何も参加しない。クラスでも文化祭の出し物に対して、積極的に行動するものはいなかった。ハルヒはそんな世界を変えるべく、映画制作を開始した。何も変わらない・行動をしない世界のために。でも、この映画制作は暴走してしまう。世界を良くしようとしたハルヒが行き過ぎてしまう。映画を盛り上げてより良くしようとするために、朝比奈に対して無茶で、傍若無人な振る舞いを行ってしまう。キョンには、人を顧みない唯我独尊的な行動としか感じ取れず、これからのハルヒの未来を案じて、反抗する。ハルヒは、キョンだけは自分に付いていてくれる存在だと思っていたのに、反抗され、激昂する。私に付いていてくれるSOS団のメンバーの中でも、キョンだけは特権的な存在。そのキョンに反抗されるのは、一番つらいものがあったのだろう。話は逸れるが、ハルヒはどこか自分の行動を止めてほしいと願っていたかもしれない。小泉曰く、ハルヒにとって映画制作は現実世界のメタファーなのかもしれず、映画制作だけでなく現実世界(閉鎖空間)でも自分を止めてほしいと願っていたのかもしれない。閑話休題。最終的には谷口との会話により、ハルヒの真意・目的に気づき、映画制作を再開する。