青い花 最終話「冬の花火」がすごく面白い

 素晴らしい出来だった。


 最終話は、大したことは何も起こらない。ただ静かに、ゆっくりと、それぞれの新しい始まりを描いていく。



 急いで書いたので、後で加筆するかもしれない。



衣替え


 アバンが始まると、エスタブリッシング・ショットの次に、眉間にしわを寄せた眠気眼のあきらが映し出される。母親に冬服を出しておいたわよと言われ、掛けられているセーラー服を見るあきら。「衣替え」かと呟き、また眠りにつく。ここでは「衣替え」によって、作中の時間経過が伝えられるのと同時に、新たな時間が動き出したことが提示される。今まで身に着けていた服装が変わる「衣替え」は、変化の象徴に思える。前回、杉本に別れを告げたふみ。ふみと杉本の時間は終わり、あきらとふみの新しい時間が動き出す。

 今話は最終回なのだが、新しい始まりでもあるのだ。




図書館


 文芸部であるふみは、図書館の本の入れ替えを手伝うことになる。図書館で本の入れ替え作業を行うふみ。「広い藻の海」という本を探す中、目的の本を見つけ、手に取る。そこで一瞬手が止まってしまう。その本の横に「嵐が丘」があったからだ。「嵐が丘」は、杉本が演じた舞台、それは杉本を表すもの。一瞬手は止まるものも、何事もなかったように本の入れ替え作業を再開するふみ。本棚を抜けると、風に揺らぐ白いカーテンが目に入る。風に揺らぐ白いカーテンは、図書館でのふみと杉本のキスを象徴したかのようなもの。彼女はふと杉本のことを回想してしまう。前回、杉本と別れたはずなのに、杉本と関連するものを見てしまうとどうしても思い出してしまうふみ。それは、松岡かしまし娘に声をかけられると消えてしまう儚いものだが、彼女の心の中にはまだ杉本が少しだけ居続けている。

 この場面はふみの未練とも言えぬ、ほんの少しだけ心の隅に杉本がいることを視聴者に伝えている。では、この杉本に対する気持ちがどう解消されていくか。この後、ふみの気持ちの変化していく様を丁寧に描いていく。




杉本とふみと視線


 ふみは帰りの駅で偶然杉本を見かける。杉本もふみに気づき、言葉も交わさず、会釈をする。切り返しによって、ふみと杉本の視線は交わる。一回だけ行われる視線の交換。彼女らの視線が交わることは、もうない。この会釈の時だけなのだ。これは、とても重要なことだと私は思う。視線の交換が終わると、二人をロングショットで捉える。そこに映し出される二人の距離は、実際には決して遠いものではない(ホームの端と端なのだから)。しかし、ロングから捉えられた二人の距離はとても遠いものに感じられる。二人の間にある電信柱は、彼女らの間を断絶させるような印象も受ける。ホームに電車が到着するのだが、ミディアムショットで捉えられたふみは、動く気配がない。彼女は、電車に乗らないのだ。杉本と一緒の電車に乗ることは気まずいため、乗れなかったのかもしれないが、彼女は乗れなかったのではなく、乗らなかったのだと私は思う。杉本と同じ電車に乗ることは、一緒に同じ道を歩んでいくこと。もしここでふみが電車に乗ったら、また杉本に付いていくことになってしまう。杉本と決別するために、ふみは電車に乗らない。それは、ふみが杉本と別々の道を歩むことを意味している。ふみが視線を上げると、電車の中にいる杉本が見えた。杉本はふみを見ることはなく、背を向けていた。杉本もふみに対して気まずかったから、背を向けたのだろうか。いや、ふみに背を向けていたのは、彼女もふみから卒業したことを意味している。ふみと向き合うわけでもなく、横を向いているわけでもない。彼女はふみに背を向け、別の世界を見ていたのだ。杉本も新しい道を歩み始めた。会釈をした時に行われたふみと杉本の視線の交差は、もう行われることはない。会釈の時以降、彼女らが視線を交換することがないということは、彼女らの「別れ」を意味する。杉本とふみの関係は終わったのだ。


 杉本の乗った電車が過ぎ去ると、「ふみちゃーん」という元気な声とともに改札口にあきらがやってくる。ここで、ふみとあきらは切り返しによって視線を交換する。ふみは杉本と視線を交えることはもうないが、これからはあきらと「視線を交換=関係を築いていく」のである。杉本が去った後に、あきらと出会うのは、新しい関係の始まりを端的に表している。


 ふみは、これからあきらと見つめ合っていくのである。





初恋


 ふみが帰宅すると、千津から手紙が届いていると母親に言われる。結婚相手と幸せそうに写っている千津。ここで杉本の「ねぇ、ふみ。初恋を覚えている? 一番最初に好きになった人を、ふみは覚えている?」という言葉が頭をよぎる。ふみにとって、千津は初めての人であった(交際することや肉体的なことも)。では、ふみにとって千津は初恋であったのか? このシークェンスは、ふみが「初恋」というものを意識し始めるきっかけになる。ここでAパートが終了する。Bパートに入り、駅の券売所前で立っているあきらが映し出され、ヴォイスオーバーであきらと康の電話での会話が流れる。あきらと康は京子のプレゼントを買いにいく。そこで、ふみは偶然あきらと康が一緒に買い物をしている姿を垣間見てしまう。その姿を見て、ふみはなぜか胸が締め付けられるような思いに駆られる。実際に手で胸を抑えるふみが映し出される。あきらと康が付き合っているとは思えない、もし付き合っていたとしてもそれでいいのだが、それなら自分に一言言うだろうし。ふみは、自分でもわからない妙な気持ちに襲われていた。

 では、この気持ちは何なのか。それは、ラストで判明する。



ふみとあきら


 あきら宅でのクリスマスパーティー。あきら、ふみ、松岡かしまし娘の5人で楽しく過ごす。そこで皆はあきらが持っていた昔のアルバムをめくる。ふみはスケッチブックの「青い花」の押し花を見つける。この押し花が重要な意味を持ってくる。ここでは、あきらと康が一緒に買い物をしていたのは、京子のプレゼントを買うためだったということがふみに明かされ、ふみは笑いながら安堵する。ふみは安堵をする、別に安堵する必要などないのに。ふみ自身は気づいていない、あきらへの想い。


 クリスマスパーティーが終わり、かしまし娘は家路に着く。ふみはそのままあきらの家にお泊りをする。眠れないふみは寝床から起きる、同じくあきらも目が覚めて眠れない。二人は窓から降り積もった雪を見て、外へ行こうと決める。余談だが、雪が降り積もり、真っ白に変わった彼女たちが過ごしてきた景色(藤ヶ谷駅、百合の花が咲いていた池、江の島の岩屋など)が次々と映し出されていくのには、胸に込み上げてくるものがある。


 降り積もった雪が作る白の世界。ここで描写されるのは、ふみとあきらだけだ。家の光は存在しているが、人影はまったくない。まるで、世界にはふみとあきらの二人しか存在していないようにさえ思わせる。地面に降り積もった雪に残る足跡は、彼女達の足跡だけ。彼女達の足跡しか存在しない、誰もこの世界を歩いてはいないのだ。


 この夜の時間だけ、誰も踏み入れることの出来ない、ふみとあきら、二人だけの世界が形成される。ふみとあきらが特権化されるのだ。




 昔話に花をさかせ、自分たちの思い出の場所をめぐる二人。来年取り壊される予定のあきら達が通っていた小学校へ行くことになる。着いた小学校では、まるで小学生の頃に戻ったかのように二人ははしゃぐ。

 思い出の場所や小学校をめぐることによって、ふみとあきらは、あの頃の自分、小学生の頃へと回帰していく。

 ふみは、渡り廊下越しに花壇を見つめる。そうすると、フラッシュバック、走馬灯のように過去の記憶が蘇ってくる。そう、「青い花」の記憶を。


 ふみは思い出す。自分にとって、誰が初恋の相手だったか。それは、まぎれもない、自分の手を握ってくれた、「あきら」だった。ここで自分の想いにようやく気付く。あきらがいかに自分にとって大切だったかを。


 思わず泣いてしまったふみをやさしく抱擁するあきら。


 あきらは、ここでふみに手を差しだす。小学生の時のように、第1話のときのように。

 また物語が始まったのだ。1話目であきらがふみに手を差しのべて物語が始まったように。二人の物語が新たに始まる。



 あきらがふみに差しのべる手は、物語が始まる合図なのだ。



 手を繋ぎ、二人は歩いていく。これから始まる、二人の新しい物語へと。




終わりに


 「青い花」の最終話は、終わりでありながら、始まりだ。みなそれぞれ新しいストーリーを紡いでいこうとする。


 杉本はイギリスへと留学する。今までの自分の幼さを捨て、新天地へと旅立っていく。


 京子は康とクリスマスを一緒に過ごす。二人は互いにプレゼントを渡す。京子は康のプレゼントを受け取り、康も京子からのプレゼントを受け取る。二人は気持ち(=心)を交換しあい、それが成功するのである。京子と康の距離は縮まっていく。京子は杉本ではなく康と新しいストーリーを紡いでいく。


 かしまし娘の一人である茂木美和でさえ、帰り際にプレゼントを渡しあきら兄との恋愛を、新しいストーリーを始めたのだ。


 そして、ふみも杉本から離れ、あきらと一緒に新しいストーリーを紡いでいくのである。



 前述したとおり、最終話では大したことは起きない。何の変哲もなく、何も変わらないで、ただ時間は過ぎ去り、物語は終焉を迎えるように見える、がそうではない。

 みんな変わり、始まっていくのだ。