かなめも 第11話「はじめての、看病」について

 
 かなめも第11話を視聴して気になった事をダラダラと。





 かなが風新新聞というコミュニティの中でどうやって自己のアイデンティティを確立していくかっていうのが主題のひとつになっているのかなぁ、なんて。


 今回、かなは誰かに奉仕をすることで自分の居場所というか存在を得ようとしますが、うまく機能しません。


 かなは猫を抱っこするのですが、猫は嫌がります。


 これは、現在のかなの状況を端的に表しているもので、ようするに過剰な奉仕は恩着せがましいというか、迷惑以外のなにものでもないわけで。別に、風新新聞のメンバーは奉仕するという存在を欲しがっているわけでもなく、ただ自然体でいる存在を望んでいる。風新メンバーは極度の変態も容認するというか、排除しないし、百合も決して否定しないし、彼女らは自分のありのままを出している人を拒絶しない。かなはありのままの姿を出していない。無理に演じている。そういう存在に対しては、彼女らは冷たいというか、そういう存在を必要としていない。寝込んでいる代理の部屋の中に入っていった猫のように、自由きままな奴、自然体な奴を彼女らは受け入れる。前に出てきた何もできないマリモ姉さんでさえ、風新メンバーは受け入れていた。それは、ドジな彼女が一番彼女らしいから。



 それに気がつかなきゃ、かなは一生風新メンバーの中には入れない、のではないのかなぁなんて。



 このシークェンスでは二人が視線を交わらせることは一切ない。かなが一方的に視線を送っているのだが、代理は目を閉じている。代理はかなの視線(=想い)を一切拒絶している。かな自身も、代理の顔は見えていない。いや、見ようとしていない。二人とも、互いをちゃんと見合ってはいない。齟齬が増幅される。しかも、かなのおかゆという奉仕は、あっさりと拒絶されるし、最後にはかなの言葉にさえ代理は反応しない。彼女の想いはことごとく粉砕される。このシークェンスで、視覚的にかなの一方的で過剰な奉仕は否定される。





 でも、かなが役割を演じるのには、居場所がないというわけもありまして。おばあちゃんが死んで彼女は他に行くところがない。風新新聞は彼女に残された最後の世界みたいなもん。なので、その中で早く自分の存在を確立させないと、自分の場所を見つけないと、生きていけないっていうかやっていけない。もしかすると、排除されるかもしれないので、彼女は知らず知らずの内に風新新聞における自分の立ち位置というか、存在意義をはっきりさせようとやっきになる。アイデンティティの確証がないと不安なので。これはごくごく自然なことなんじゃないのかなぁなんて思ったり。生きていくのには仕方がない行為なんじゃないのかな。



 ラスト付近で彼女の「声」、「言葉」が欠如するというか、奪い取られる。かなにとっては、とんでもない恐怖だったのでしょう。自分の意思を伝達することもままならない状況で、しかも仕事をするなと代理に言われて彼女は無用の存在となる。かなの風新新聞における存在意義などは皆無になってしまう。今まで、彼女が恐れてきたこと=自分が無用の存在になってしまうことが現実になる。そして、彼女は泣き、悪夢を見る。彼女の「声」は、風新メンバーに届かない。「言葉」を奪われた恐怖が悪夢となって彼女に襲いかかる。風新メンバーとかなは透明な壁によって断絶される。なぜに透明な壁なのか。それは、かなが勝手に感じている、作っている壁。かなは風新メンバー視認することはできるのですが、近づくことはできない。それが、彼女が勝手に作り上げている風新メンバーとの距離。ここで、明確に彼女が恐れているものが露呈するわけで。




 風新メンバーの来るものは拒まず、去る者は追わずという姿勢がかなを不安の淵に追いやってるのかもしれん。出入りの多くある新聞店ではあたりまえのことかもしれんが。かなには「あなたが必要なんだ」という強い一言が必要なのかもしれない。そんなこと、風新メンバーは誰一人言うわけありませんが。


「かなにはかなの役目があるでしょ。居てくれなきゃ。」

 と最後に代理が示唆する。かなの役目は過剰な奉仕なんかではなく、もっと別にあるもの。かならしい役目を見つけてこの物語は終幕するのかなぁ、なんて。



 第11話では、ざわざわと風に揺れる木のショットが度々挿入される、それは彼女の揺れ動く心の象徴。木はずっと揺れ続け、最後になってもそれは止まない。次回でどうやって解消されるのか。





 にしても、かなは自分自身に価値なんて存在しないと思ってるのかな。