うみものがたり〜あなたがいてくれたコト〜 最終話「島の心 人の心」が面白い


 マリンと夏音の別れから終幕までの流れが良かった。




マリンと夏音



 Bパート、マリンと夏音が海辺で別れる場面。




 ウリンや松本が海へと帰り、夏音とマリンの二人きりとなる。二人は自然と抱き合い、身体を交錯させる。彼女らの身体の接触は互いの心を通わせる行為。しかし、彼女らが互いに抱き合うことはもうなくなってしまう。二人は海の世界と空の世界、別々の世界で生きていくことになるのだから。



 では彼女らの心の交流、心の繋がりは途切れてしまうのか、というとそういうわけではない。マリンは抱き合うのと同時に「あいしている」という言葉を夏音に送る。この「あいしている」の言葉は、身体を接触させずとも互いの心を通わしてくれる、心を繋げてくれる装置だ。マリンは「あいしている」を夏音に届けた。だが、夏音は口ごもって「あいしている」の言葉を交換することができなかった。「あいしている」の言葉を交換できず、マリンは海へと帰っていくことになる。海へ帰っていく後ろ姿を逆光で捉えられたマリンは、どこか別人のように映り、「去っていく・別れ」を強調させる。その姿をただ見つめるしかできない夏音。ここで、画面が鈍くぼやける。それは、夏音の瞳からこぼれた涙によって画面がぼやけたのだった。夏音のPOVは視聴者を作品へとより深く没入させる。



 夏音はマリンのもとへと駆けより、「マリン」と叫ぶ。マリンは振り向き、夏音と視線を交換する。もう身体を交錯させて繋がることはないが、切り返しによって視線を交換し、再び彼女らは繋がる。お互いに大粒の涙を流しながら。「マリン。好きだよマリンのこと」と夏音は言い、それに対してマリンは微笑み、夏音は微笑み返す。この微笑みの交換によって、より強固に心を通わせる。最後に海を背景にして、夏音は大声で「あいしている」と叫ぶ。ここで、ようやく夏音は「あいしている」の言葉をマリンに返し、交換は成立する。もう、夏音とマリンは、「抱き合う=二人一緒」にいなくてもいいのだ。金輪際、逢えなくてもいい。身体を交錯させなくても、夏音とマリンは「あいしている」の言葉を発するだけで繋がることができるのだから。逢わずとも、ずっと「一緒=繋がっていられる」。






 場面は切り替わり、新学期が始まり夏音が学校へと登校する場面になる。



 夏音と小島のツーショットが映し出され、夏音は新たな夢を小島に打ち明ける。そして、夏音は「好きだ」と小島に伝える。マリンと出会ったことにより夏音は新たな一歩を踏み出すことができた。鈴木や大島やクラスメイトも登場し、賑やかな盛り上がりを見せる。しかし、重要な人物たちが描写されない。海の世界、マリン達が描写されないのだ。



 マリンと別れたその後の夏音は描写されるが、マリン達のその後は一切描写されず、その姿は意図的に排除されている。ここで、夏音とマリン達のそれぞれの世界が完全にわかたれたことを知る。マリンは画面上から排除され、夏音とマリンが交互に映し出されることもない、彼女らは画面上でまじわることさえ、もうないのだ。



 夏音の世界=空の世界とマリン達=海の世界はまじわることはない。二人は別々の世界で生きていく。


 母親とその子供の会話が夏の終わりを知らせる。夏の終わりは、夏音とマリンの物語の終わりも同時に告げる。



 夏音は光り輝く「海=マリン」をじっと見つめて、「この夏のこと、私は忘れない。ずっと」と呟く。そして、「ずっとあいしている」という言葉が画面に映し出され、この物語は終幕する。夏音とマリンは別れ、海辺で抱き合ったように今後彼女らの身体が交錯することはもうないだろう。しかし、前述したとおり、彼女らは「あいしている」の言葉で身体を介在させずとも(逢わずとも)繋がり、「ずっと」抱きしめ合うことができる。











最後に

 個人的に視聴していて、胸にグッときた。二人にとって今生の別れになると思うんだけど、あまり物悲しさはなく、晴々しさがあった。夏音とマリンの別れは、別れであって、別れではない。そう思わせるラストだった(そう勝手に感じた)。




おまけ



この作品のデフォルメ好きだったなぁ。