『ミラクル☆トレイン〜大江戸線へようこそ〜』について〜限定される物語とその解体〜






 毎週楽しんで視聴していたのですが、一回も感想を書いてこなかった『ミラクル☆トレイン〜大江戸線へようこそ〜』。なので、感想(というかメモ)をだらだらと書いていきます。個人的にはすごく面白いなとは思っているんですが、僕の周りでは観ている人はほとんどおらず。序盤で切ったり、初めから観ていないというのが多かった。それもそのはずと言ったらなんですが、都営地下鉄大江戸線の各駅を擬人化して、その擬人化された駅たちがミラクルトレインに乗車してきた淑女の悩みを解決するという作品設定自体がなかなかのトチ狂いぶりで、しかも悩みが解決されるまでミラクルトレインから降車できない/出られないというちょっとした恐怖(ちょっとどころではないかもしれないが)。設定だけ聞いたら、なんだそれと思うのは必至ですが、視聴を続けると、擬人化された駅たちのキャラクター設定の秀逸さ、ギャグの緻密さなどに惹かれていくと思います。


 女性向けというので敬遠された方も多いかもしれません。でも、ゆめ太カンパニーが制作する女性向けTVアニメは、男性も十分に楽しめる内容になっており、同様の時間帯で放送された(関東圏)『金色のコルダ〜primo passo〜』や『ネオ アンジェリーク Abyss』など、女性向けというだけでない普遍的な内容に仕上がっていると思います。 監督は『青い花』で監督をやったばかりのカサヰケンイチさん。『青い花』からの振り幅が凄いですが。



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 先ほど述べた『ミラクル☆トレイン〜大江戸線へようこそ〜』の明確なキャラ設定というのが、ギャグを引き立てているように思える。「汐留 行」の鉄道ファンや「月島 十六夜」のもんじゃ大好き、「両国 逸巳」の時代劇大好き、「新宿 凛太郎」の新宿の名の通りのホストっぽい性格と容姿、リーダーである「都庁 前」のデコの広がり(禿げる)や「六本木 史」の主人公格なのにあんま喋らない・影薄いなど、キャラ設定を挙げれば切りがない。多様なキャラ設定は、細部まで作り込んでおり、他のキャラとの差別化も成功している。


 各々のキャラには確固とした設定と役割が与えられている。役割が明白なために、ボケやツッコミも確立しており(ボケとツッコミの担当は流動する)、ギャグはスムーズ且つ緻密に展開する。この不条理な世界観の溜飲を下げる役割としてマメ柴の「とくがわ」が存在しているのも物語に与える影響は大きい。一応犬なので喋ることはないが、心の内で常に駅たちにツッコミを入れ(石田彰さんの声で)、視聴者の代弁者としての機能を果たしている(冒頭の車掌が言う「駅に恋をしませんか?」にツッコミを入れたりしている辺りが象徴している)。ミラクルトレイン「車掌」や紅一点であるガイドの「あかり」がレギュラーの駅たちに加わり、充実した人物配置となっている。



 この明確なキャラ設定と役割分担が良質のギャグを生成することになる。




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限定される物語


 『ミラクル☆トレイン〜大江戸線へようこそ〜』は、限定されたシチュエーションの中で、物語が展開されていく。



 今期放送されている『生徒会の一存』では、生徒会室というクローズドな空間を主な舞台として物語が展開されるが、この『ミラクル☆トレイン〜大江戸線へようこそ〜』も類似した構図で物語が展開されていく。



 ミラクルトレインと呼ばれる列車の中で主にストーリーは進行していき、そこは『生徒会の一存』の生徒会室同様に閉鎖された空間。列車の中なので、吊革や座席など限られた舞台装置だけが存在し、列車ゆえに舞台上の広さもかなり狭い、地下鉄という景色の遮断も閉塞感を増幅させる(この閉塞された、限定された空間だからこそ「密度」が高く、彼らの会話劇の濃さが保たれているという面もあると思う)。



 この閉鎖感溢れる、限定された空間から解放される瞬間は、雑学をまじえながら大江戸線の各駅周辺を散策する時だけ。

 つまり、彼らが行き来できる空間は、ミラクルトレインの車内と駅周辺という二つのパターンしか存在しない。



 『ミラクル☆トレイン〜大江戸線へようこそ〜』は、限定された諸要素のなかでいかに物語を展開させていくのかというのが、避けては通れない命題になっている。



 大筋のストーリーである、1話完結型のミラクルトレインに乗ってきた淑女(ゲストキャラクター)の悩みを解決するというのも物語の拡がりをより限定する。この淑女という要素が問題だ。悩みを解決するのは女性だけであり、しかもここで言う淑女というのは、この作品のメインターゲット層である、若い年齢層(10代〜20代の女性。それはOLであったり、学生であったり)に絞られる。もちろん男性は排除され、10代〜20代以外の年齢層の女性も排除されることになる。一定の限られた人物しか登場できない。



 この限定された設定により、物語の拡がりは随分と縮小される。行動と空間が制限されているためにストーリーが進むと、「悩みを持った淑女がミラクルトレインに乗ってくる」→「悩みを聞く」→「駅周辺に出る」→「悩みを解決する」というパターンが陳腐化してしまう状態に陥る。限られたパターンしか存在しないのだから、底をつくのも早い。



 しかし、このミラクルトレインはその陳腐化される問題を自分自身を解体することによって解決する。



 第6話までで、淑女が登場する定石のパターンをほぼやりつくしたと言える。それはお嬢様だったり、OLだったり、鉄子だったり、占い師だったりと、数々の幅広いゲストキャラクターが登場し、物語は成熟していった。その成熟(限界)し、後は陳腐化するのを待つ物語に、新しい物語のベクトルの導入と陳腐化する物語を解体し新たな拡がり与える転換点が訪れる。



 その転換点が、第7話の「大江戸ミステリー☆トレイン」(脚本:加藤陽一、コンテ:カサヰケンイチ、演出:木村延景)だ。ここでのゲストキャラクターは物語の本筋には関わらず、一瞬だけ登場するお婆さん(多分60歳以上)。この時点で第1話から第6話まで一貫として守ってきた「淑女」という決まりごとが崩れることになる。10代〜20代の年齢層の女性という枠組みが廃され、高齢の女性が登場するという年齢層の解体が波紋として、別の要素の解体にまで影響を及ぼすことになってくる。そして、第7話のストーリーの本筋である、六本木とあかりの謎、ミラクルトレインの暴走という新要素を提示し、新たな物語のラインを構築する。この二つによって、このまま行けば陳腐化するだっただろう『ミラクル☆トレイン〜大江戸線へようこそ〜』の物語は新たな拡がりを見せる。



 第8話「小さなお客様」(脚本:高橋ナツコ、コンテ:東海林真一、演出:徳田夢之介)では、高齢の女性とは正反対の年齢層、真逆の要素を持つ、小学生の女の子・愛梨がゲストキャラクターとして登場する。第7話との対比構造としてのゲストキャラクターであったのだろう。この第7話・第8話の二話の存在により、年齢層の枠組みは完全に撤廃され、どの年代の女性も登場することが可能な条件が出来あがった。



 そして、第9話「男達のミラクル☆トレイン」(脚本:山田由香、コンテ:小岩雄之、演出:高橋英俊)では、年齢層とは全く別の、というか女性でも何でもない、男性のゲストキャラクターが登場する。登場するビジネスマン・桜庭啓太は、イレギュラーとしてミラクルトレインに乗り込み(このイレギュラーで乗り込むという時点でもう守り続けた設定が崩壊しているんだが)、駅たちは淑女の悩みではなく、紳士の悩みを解決するというストーリー(オトメンであるという悩みを解決する)。これにより、一貫として守り続けていた女性という枠組みが無くなる。女性ではなくとも悩みを解決するという可能性を生みだす。



 第10話「大江戸線にほえろ!」(脚本:大知慶一郎、コンテ:加瀬充子、演出:篠幸裕)では、新人俳優の小暮真琴がゲストキャラクターとして登場する。小暮真琴は「大江戸刑事パート2」という刑事ドラマに出演しており、ドラマ撮影における悩みを解決していくという従来のストーリー展開なのだが、特筆すべきは駅周辺散策が大江戸刑事を模倣した「大江戸線刑事」という寸劇に代替している点だ。この寸劇は街中をミラクルトレインが疾走したり、ド派手なアクションが繰り広げられたりと、実際視聴してもらえばわかるが、無茶苦茶な内容になっている。この作品の根本的な設定自体おかしいのだが、そこにはある程度の守られてきたルールが存在していた(駅周辺を散策しての雑学など)。しかし、この第10話ではそれが徹底的に無視され、何でもありの世界になり果てている。しかし、それこそが従来の枠組みに制限されない自由な物語を作りあげることになり、拡がりを作る。



 第11話「3年後のプロポーズ」(脚本:高橋ナツコ、コンテ:井硲清高、演出:安藤貴史)のゲストキャラクターはもはや人間でさえもなくなっており、女性の幽霊・真夕が登場する。脚本を高橋ナツコさんが担当し、前期に放送された『東京マグニチュード8.0』(シリーズ構成・高橋ナツコ)における終盤の小野沢悠貴の「実は死んでました」を想起させるようなストーリー構成になっており、人間という枠組みが廃され、幽霊でもミラクルトレインに乗車することが可能になってしまった。もう、ここまでくるとやりたい放題というか、本当に何でもありの世界になり、何やっても許される状態となる。

 完全に自由な物語展開が許容されることとなる。



 第12話「もうひとりの乗客」(脚本:加藤陽一、コンテ:カサヰケンイチ、演出:前島健一)と第13話「聖夜の軌跡」(脚本:加藤陽一 、絵コンテ:カサヰケンイチ 、 演出:木村延景)は第7話で提示された六本木とあかりの物語が始まる(これを書いている時点ではまだ放送されていない)。




 限定されていた物語を解体し、解放していく、それこそが『ミラクル☆トレイン〜大江戸線へようこそ〜』の物語構造の魅力なのだろう。確信犯的な自分で自分を縛り付けた制限を自らで解体/解放していく行為、そこにカタルシスがいやでも生起される。特に第9話、第10話、第11話の固定概念を覆す荒唐無稽ぶり、鎖から解き放たれた獣のように物語が縦横無尽に動き回るその解放感、四方へと拡散し躍動する物語(そこには制作側の確かな意図が垣間見える)。そのカタルシスによって、視聴者はより作品に惹かれていく。