「そらのおとしもの」と「ちゅーぶら!!」

 私は従来のパンツアニメ*1対してこのようなことを以前書きました。



 今までのパンツアニメは、ローアングルからパンツを見せたり、パンチラをしてパンツを見せたりと、ただ「パンツ」を見せる事だけに終始していました。「パンツを視聴者に対して、どうやって魅力的に、効果的に見せるか」という行為だけを追求していたように思えます。


 「パンツを視聴者に対して、どうやって魅力的に、効果的に見せるか」という従来のアニメの概念を覆し、パンツ再考の契機となった2008年放送の「ストライクウィッチーズ」はアニメ史上革命的なものでありました。そのことについては多くの方が論じており今さら説明は不要でしょう。

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 そして、2008年の「ストライクウィッチーズ」に続き、昨年の2009年秋に放送されたそらのおとしものが新しい可能性をわれわれに提示してくれました。

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 第2話「天翔ける虹色下着(ロマン)」EDでの「空を飛ぶパンツ」は視聴者の記憶に新しいことだと思います。




 「そらのおとしもの」で示されたものは、「空を飛ぶパンツ」や第4話「愛と三角地帯ふたたび」でのパンツが爆発するという、元来の下着としての用法・目的を逸脱し、パンツがまったく別のものとして機能しているということだ。それは、下着としてのパンツの枠組みから飛び出し、パンツは如何なるものにもなり得るという豊かな可能性の拡がりを多くの人々に、われわれに与えてくれたのである。



 つまり、下着としての用法に拘束されず、自由な発想のもとにパンツは使われていいのだ。そう、パンツは鳥となって大空を飛翔していいし、爆発したっていい。たとえば、パンツは戦車にもなり得るし、宇宙船にもなり得る。食器にでさえ、パンツはなれる。下着として穿かなくてもいいのだ。「そらのおとしもの」はパンツの概念を崩壊させ、解放させてくれた記念碑的な作品と言っていいだろう。



 この作品が示してくれた方向性で今後のパンツアニメは制作されていくのではないかと私は予測する。ゼロ年代最後の年に「そらのおとしもの」は、2010年・テン年代におけるパンツアニメの道標を作ってくれた。パンツは下着の概念に縛られなくてもいい、パンツは自由の象徴なのだと。





 しかし、2010年の初頭。その予測は完全に裏切られることになる。「そらのおとしもの」が示した下着からの解放と自由に「待った」を唱えるアニメ作品があらわれたのだ。





 その作品とはちゅーぶら!!である。





 「ちゅーぶら!!」はパンツ・ブラジャーなどに対して下着としての用法を堅固に主張する作品だ。パンツは下着であり、下着としての目的に忠実に従い、正しい下着の選択と着用(自分の身体に合った)を主張する。言わば、下着原理主義であり、それは「そらのおとしもの」を真っ向から否定するものだ。「パンツは下着なのだ」と。決して空を飛ぶものでもないし、爆発させるものではないし、ましてや頭に被るものでもない。そんなことは邪道であり、元来の下着の目的を忘れずに、それを徹底的に研究していくことこそが重要だと「ちゅーぶら!!」はわれわれに訴えかけてくる。





 あまりにも道を逸脱したパンツアニメからの反動、パンツの原点回帰として、2010年「ちゅーぶら!!」は放送されたのだ。テン年代のパンツアニメはパンツを下着として探求していくべきという方向性を提示したのである。





 では、「ちゅーぶら!!」がテン年代のパンツアニメのスタンダードになり得るのか。それとも、「そらのおとしもの」がスタンダードになり得るのか。パンツを下着として追及するか、パンツを下着から解放するか。まだ始まったばかりの2010年。パンツアニメがどのような道筋を通るのか私には正直わからない。先述した2作品とは別に新機軸のパンツアニメがこれから登場するのかもしれない。



 ただ、どういう道を通るにせよ次々と登場していくパンツアニメが衰退することは決してないだろうと私は思うのである。





 まだ、「ちゅーぶら!!」は放送されたばかりであり、今後どのように展開されていくのか注目したい。少し気が早いが、ポスト「ちゅーぶら!!」としてのパンツアニメはどのような作品なのかも気になる所。





 ちなみに、上記の文章でパンツという単語を37回書いています。


 

*1:ここではパンツを主題の一つとして扱ってる作品のことをパンツアニメと指しています。