『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』第2話が面白い〜食卓と椅子とクレハとカナタ〜

 『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』第2話「初陣・椅子ノ話」について色々と書いていきたいと思います。

 第1話は、第1121小隊に配属されたカナタがセーズの街を巡ることによって、視聴者も一緒にセーズの街やこの作品世界のことについて知っていきました。今回はクレハが「時告げ砦」の内部をカナタに案内することよって、第1話と同じく視聴者も「時告げ砦」の内部、それと同時に第1121小隊の現在状況を知る作りになっていると思います。しかも、この案内は結構伏線が張られていて、学校とか、戦車とか、この後の物語にかなり意味を持ってくるんじゃないのでしょうか。



 第1話について書いた記事でも述べましたが、神戸守監督は一貫として固定ショット主体で作品を撮っていこうとしているのかなと第2話を視聴して感じました。FIX主義とまで言っていいものかどうか判断しかねますが。

 この方針が全話通して貫かれていくのかはまだ不明。コンテ・演出で全然変わってきますからね。第1話、第2話ともに神戸監督がコンテを担当していますが、第3話ではコンテ/演出・福島利規さんですし。神戸監督が担当した時だけなのかな。



食卓と家族とクレハとカナタ


 第2話では、始めと終わりに描かれる「食卓」が主題の一つになっていると思います(食事だけでなく多様に使われてるっぽいが)。みんなで集まって、卓を囲んで、一緒にご飯を食べる。食卓とは家族と縁深いもの。ある作品では、食卓が家族の象徴として使われていてました。第1121小隊って、軍の部隊というよりも、「家族」って感じがするんですよね。それを強調するために、第2話では食卓を舞台に描いているのではないでしょうか。リオが父親であり、フィリシアが母親であり、クレハやカナタやノエルは娘たち。カナタの妹ととしてのクレハ。ノエルは・・よくわからない・・・。

 クレハをフィリシアを抱きしめて撫で撫でしているところなんか、部隊の上官っていうよりまんま母親の感じ。クレハは娘。




 食卓(=家族・第1121部隊)へと、入ってきたカナタに戸惑うクレハと、食卓へと入ってきたカナタが自分の席(=居場所)をどうやって得ていくのか。食卓という事物を使って、クレハがカナタをどう受け入れるのか、カナタが第1121部隊にちゃんと受け入れられているのかを第2話では描いています。



 Aパート、クレハは寝ぼけ眼のノエルを抱えて、リオ達が待っている食卓へと向かいます。到着すると、自分の席の場所にカナタが座っていました。クレハにとっては、宜しくないことだったのでしょう。リオの隣だった自分の席を新参者のカナタにあっさりと取られてしまったのですから。クレハはリオのことが好きというか、慕っている模様。なので、リオの隣は特別なもの。それに加え、食事のシーンではカナタばっかにみんな気をかけて、クレハはかなりの不機嫌になる。


 カナタの椅子は皆の椅子と違って、仮のもの。仮の椅子は、カナタがまだ第1121小隊に仲間入りしてないことを示してくれる。カナタは、まだ完全には受け入れられていない。では、仮の椅子がどう変化していくのか。それは、Bパートラストで描かれことになる。

 タイトルも椅子ノ話ですし。




 っていうか、食べるとき箸を使うのね。ベーコンとかパンとかメニューは西欧なのに。ノエルはフォークとナイフだったような。




 クレハは、カナタに砦内を案内するようにとリオに命令される。クレハは小隊の人員、小隊の任務、現状の装備、ホットラインなど、カナタに対してまるでこの小隊がとても重要な位置にいるのだと言わんばかりに、かなりオーバーに説明していく。実際は全然大したことないんだけどね。ホットラインのくだりとかが端的に大したことないをあらわしている。待っていてもぜったいに鳴らない。それは、本部に当てになんかされていないっていうこと。この後、浴場などを案内していくが、隊長自ら風呂掃除していたりと、徐々にこの部隊のゆるゆるさが露呈していく。戦車を説明する際、カナタに戦車の不備について指摘されたときに、クレハは「お飾りなんて言わせないからね」と大声をあげる。それは、自分自身に言い聞かせるものであり、クレハは認識していたのだ。自分たちの部隊がどういう状況に立たされているのかと。


 そのクレハの悩みと葛藤に対して、カナタがどう接していくのか。それが、カナタが第1121部隊に受けいられるのかどうかに繋がってくる。



 時告げ砦の案内が終わると、突如として幽霊騒動が巻き起こる。反復されていた窓越しのショットの意味がここでようやくわかる。


 ここではリオが面白かったな。幽霊にたいして極端な嫌がり方は見せてないんだけど、徐々に冷静だったリオの声が裏返っていくというか、大きくなっていくことで、リオが幽霊をめっちゃビビっていることがわかるのは見ていて面白かった(幽霊と聞いて既にビビったような表情を一瞬見せたが。クレハの後ろで同じリアクションするリオも面白い)。小林ゆうさんの演技がいいんだよな。

 物陰に隠れながら命令していて頼りない。かなり滑稽に映る。




 そして、幽霊探索へと向かう羽目になったカナタとクレハ。まんま学校。っていうか、昔ここって日本だったのかしら。カナタが拾った本に書かれていた文字って日本語だったような。




 第1121部隊は家族だと前述しましたが、カナタたちが制服を着て楽器を奏でているイメージ映像が流れたのをみると、学園内での先輩・後輩・クラスメイトという学友的な面も第1121小隊にはあるのでしょう。軍、家族、学友(友達)、という多層的な関係でこの作品は構築されているのではないのでしょうか。

 カナタが、ピアノの弦を弾き、文字が読めなくても音は変わらないと言いますが、このことはこの後の物語にとても作用してくるものだと感じました。時が経っても、文字が読めなくても、音だけは不変として鳴り響く。普遍であり不変なもの、それが音。第1話について書いた記事で、「音=想い」だと僕は書きました。普遍で不変なものだからこそ、音は必ず人々に響き渡り、想いを人々に届けてくれる。音を使って、想いを人々に届けていくのがこの物語の主題になってくるのではないのでしょうか。

 と思いましたが、そういうのは吉野弘幸さんの趣味じゃなさそうなので、もっと過酷でドロドロしたものになりそう。




 カナタは、第1121小隊のことも、セーズの街も、時告げ砦のことも、全てのことを、「ステキ」だとクレハに伝える。クレハが抱える小隊の悩みに対して、カナタは「でも、大好きでしょ」と、クレハの心の内にある本当の気持ちを掬い上げる。クレハの悩みの根本的な解決には至っていないが、自分の本当の気持ち、小隊に対する想いを再確認できた。これによってクレハはカナタを受け入れることになる。カナタを助けるためにクレハが撃った銃の発砲音。カナタのために撃って生成した「音=想い」は響き、カナタへと届けられた。




 幽霊騒動も終わり、朝を迎えた。皆が集まった食卓で、カナタは仮の椅子が皆と同様の椅子に変わっていることに気付く。それはクレハが用意して与えたものだった。仮ものの椅子が皆と同じ椅子へと変わり、自分の席が設けられる。それは、カナタが第1121小隊の一員として受け入れられた証。ここで感動的なのは、カナタを疎んでいたクレハが自ら用意したという点だ。リオなどに命令されるわけでなく、自分自身の意志で。 クレハはカナタを仲間、家族だと認める。


 ただの椅子というわけではなく、「食卓の椅子」であることが重要に思える。カナタを受け入れるのには、「食卓の椅子」でなくてはいけなかったのだ。そもそも、椅子でなくてもよかったのではないか。受け入れる証としてなら、別のものでも代替できたはずだ。しかし、椅子を選択した。椅子を選択したのは、食卓が起因しているのではないかと僕は考える。「食卓の椅子」であることが重要なのだと。



おまけ


銃を撃って腰を抜かすのか。鼻水が・・。