『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』 第3話「隊ノ一日・梨旺走ル」が面白い

 第2話「初陣・椅子ノ話」はクレハにスポットをあてた当番回でしたが、今回の第3話「隊ノ一日・梨旺走ル」はリオにスポットをあてた当番回となっています。この調子でいくと、「カナタ+第1121小隊のメンバー一人」の二人組で当分展開していくのかな。第4話のWeb予告(公式サイトで視聴できます。サイドバーにあるブログパーツから)だと、次回はノエルメインの話らしいですし。


 リオの過去が垣間見えたり、教会のお姉さんが新たに登場したり、タケミカヅチに火が入ったり、謎の女性兵士のことが徐々に判明していったりと、なかなか見所が多かった回。病気で倒れたことによって、カナタの内面も見えた(繊細でわがままで甘えん坊)。



食とか、文化とか、混淆


 『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』では、食事のシーンが結構多い。頻繁に描写される食事によって、彼女たちがどのような環境で生活してきたかの背景が見えてくる。第3話では、カナタが作る日本的な食事、焼き魚にご飯と味噌汁が描かれ、カナタが育ってきた地方の習俗が垣間見える。カナタは日本的な文化に近い場所で育ってきたのだろうか。母親のことを「おかあちゃん」呼ぶのもっぽいが。でも、幼少時のカナタがいた建物って、日本的な建築物じゃないよな。建築関係は、西洋に統一されているのか。

 第2話について書いた記事でも触れたが、彼女たちが使用する食器、それは箸だったりフォークだったりスプーンだったりと、それぞれ別々な食器を使っていることによって、各々が育ってきた環境が自ずとわかってくる。第2話の西欧的な朝食のシーンからクレハは一貫として箸を使い続けているのを見ると、クレハはカナタと近い日本的な環境で育ったのかもしれない。リオは味噌汁をスプーンで食しているところを見ると、カナタやクレハとは違う環境で育ってきたことがわかる。これはフィリシアにも言えることであり、リオと近い環境で育ってきたのだろう。


 とは言っても、ノエルに関しては一貫性がない。第2話の西欧的な朝食では、ナイフとフォークを使い、第3話での和食の朝食では箸を使う。状況に応じて、食器を使い分けているため、機械整備士という職業柄から器用な性格とも感じ取れるが、われわれだって洋食と和食で食器を使い分けているし、別段器用という感じでもない気がする。器用というより、ノエルが育ってきたところは色々な文化が混淆している場所なために、箸もフォークも両方使い分けることが可能なのかもしれない。食事のシーンによって、何かしらの背景が読み取れるようになっている。そもそも、この『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』っていう作品は世界がどのようなものなのかということを積極的に説明するのを回避している傾向があり、台詞での説明に頼らず、視覚的情報(食事のシーンなど)だけを与え、この作品の世界がどのようなものなのかを、理解させようとするのではなく、読み取らせようとしている。


 映像で作品世界を提示する。それが、この作品の特徴の一つなのだろう。




 東洋と西洋の混淆。それでちょっと驚いたのが、教会の修道女であるユミナ。彼女が第3話で初登場する時、「パン、パン」手を叩く。その後のシーンでは、「八百万の神」という言葉を口にする。神道的なというか、まあ神道なんだけど。よくよく彼女の服装を見ると、巫女装束と修道服が合わさったようなデザインになっており、なんだよくわからん感じになっている。ここまでくると、何が何やらっていう感じで、ちょっとやりすぎなような気もするが。




音の話


 冷静なリオが取り乱すところが個人的に良かった。第2話の幽霊騒動の時も、若干冷静さを欠いていたが、今回のは別格。カナタが三日熱で倒れたあとのリオの不合理な行動。カナタが雪を食べたいと言ったのを受け、棚の中をを探すリオ。雪なんてあるはずもないのに、結構な時間をかけて探し回る。この時点で彼女がいかに焦っているか、まともな思考が出来ない状態なのかがよくわかる。彼女の取り乱しぶりや普通の状態じゃないことを示すのは、彼女の行動だけでなく、彼女が作る「音」も示している。リオが取り乱す前に聞こえてきた音は、静かでのどかな優しい音だけだったのだが、リオが取り乱している最中は、物が地面に落ちる「ガシャン」という音、瓶が叩き割れる音、タライの金属音、リオの走り回る足音、バイクのけたたましいエンジン音と走行音(フェリシア達が乗っていた車両よりも大きい音)など、乱暴というか少し暴力的な騒音に占拠される。静謐な音の世界からあわただしい音の世界への変容。リオが生成する騒音は、彼女の慌てふためき焦慮している心の内をあらわしているかのように、鳴り響く。リオの心の動揺が収まると、あわただしい音は聞こえなくなっていく。彼女の動揺をあらわすのに、視覚的情報だけでなく、聴覚的情報も使ってあらわしているようにみえる。



 カナタが倒れて激しく動揺して取り乱していたのには、インサートされるリオの母親の出来事が起因となっているんでしょう。母親とカナタが重なって見えた。今まで毛嫌いしていた教会に頭を下げにいく程だから、リオにとってどれほどのことだったか。もちろん、母親のことを思い出しただけでなく、カナタのことも心配だったからでしょうし。


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 サブタイトルの「隊ノ一日」が示すように、朝から夜にかけての丸一日が物語の舞台になっています。一日の時間経過をあらわすためなのか、今回の挿話では振り子時計(腕時計)が度々描写され、時間の推移がわかるようになっている。今回は、時間が主題のひとつになっているのでしょう。

 Aパート冒頭、第1121小隊の面々がまだ眠りについている薄暗い早朝、カナタは一人起きて、振り子時計のゼンマイを巻く。その時、振り子時計の振子が生成する律動的な「コチ、コチ」という音が聞こえてくる。音がそれほど存在しない朝の空間で、時計の音は印象的に響く。この時計の音は、Bパートのラスト付近にリオ達が集まっている時にも「コチ、コチ」と聞こえてくる(食事をする場面では必ず聞こえるのだが。というか、これは前話から聞こえている。わざわざ入れなくてもいいのに、律儀に入れている。音に敏感な作品といっていいと思う。)。物語の始まりと終わりに聞こえてくる時計の音。時を音であらわし、印象付ける。


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 リオがタケミカヅチを動かすシーン。ここで驚くべきことは、タケミカヅチという多脚砲台が音楽を奏でることだ。多脚砲台がアメイジング・グレイスを奏でることは、かなり突拍子もないことだろう。戦闘兵器としての戦車の役割や目的から逸脱し、音楽を響き渡せる装置として戦車が機能する。戦車が元の目的とはもっとも遠いオーディオとして働く。なぜ、戦車に音楽を奏でさせたのか? 戦車と音楽という一見結びつかない事物を結び合わせたのか。それは、カナタたち戦車乗りは皆が協力し合って戦車を動かすことが、一つ一つの楽器が作り出す音が重なり合って曲が出来あがることと同義語だということから、タケミカヅチ(=戦車)にアメイジンググレイス(=音楽)を奏でさせたことがリオの発言などからわかる。この物語にとって、音楽の存在がどれほど大きいものか。戦車に曲を演奏させるのだから、相当なもの。音楽のために戦車があるのかも。


 つーか、タケミカヅチってこういうコクピットなのね。SFっぽいな。起動するときの音が・・・。混ざりすぎだろ、色んなもんが。




 第3話をみると、この作品において、音は空から響いてくるものなのだろうということがわかる、『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』っていう通り。タケミカヅチアメイジング・グレイスを奏でている時、カナタは何故か音を発しているタケミカヅチの方を見ずに、空を仰ぎながら目を瞑る。ディゾルヴして、女性兵士がアメイジング・グレイスをトランペットで奏でて曇天から蒼天へと変貌させた回想とリオがアメイジング・グレイスを口ずさんだ回想になる。回想が終わると、カナタをローアングルから捉えた仰角ショットに切り替わる。その一連の流れは、空から音が響いているかのように思わせ、空が映し出された仰角ショットはまるで天空から音がカナタへと降り注いでいるかのように錯覚させる。タイトル通り、「空の音」。



おまけ


 この切り返しの驚き具合がなんか引っかかる。非礼ってリオは何をしてきたのだろう。