『ひだまりスケッチ×☆☆☆』 第3話「4月8日〜9日 決断」/「12月10日 カップ小さいですから」が面白い

4月8日〜9日 『決断』


 ゆのと宮子は進級し、高校二年生となる。


 担任の先生も一年生の時と同じく吉野屋先生だし(美術科はクラス替えもない)、あんまし変わんないねぇとゆのと宮子は言うが、実際は変化している。ゆのと宮子は、間違って今まで通っていた一年生の教室に行ってしまい、そこで乃莉と出会う。彼女たちが居た場所には、他の誰かが既におり、もうそこには彼女たちの居場所はない。ゆのと宮子には新たな段階、新たな場所が用意されており、そこが彼女たちの居場所になっている(二年生の教室)。自覚はあんまりないが彼女たちは確実に変化しいているし、元の場所には戻れない。


 第3話は、ゆのの変化と成長を主題として物語は展開されていく。



 二年生に進級したゆのと宮子には、「平面」、「立体」、「情報」のうちどれか一つを選択しないといけない「選択授業」が待っていた。宮子は相変わらずのマイペースだが、ゆのは「選択」しなければいけないことに気が重い。


 ひだまり荘に帰宅したゆのと宮子。そこで、一年生の乃莉となずなと会う。話をしていると、新一年生の様子を見に来た大家さんがやってきて、会話に加わる。ここで強調されるのは、ゆの達が二年生になって先輩になったことと一年生だった時への回顧。一年生の歓迎会の話になり、ゆのは「私たちもしてもらったから。ひだまり荘の伝統なんです」と言う。この台詞は、ゆのが先輩となったことを強調させる。ゆのは歓迎される側でなく歓迎する側になった。部活の話になり、ゆのたちは自分が一年生だった頃を回顧する。二年生になり先輩となった確固とした事実と一年生の頃の残り香。ゆのは、どこかまだ変化しきれていない、成長できていない。適応できていないという方が正確なのかもしれない。


 なずなは、大家さんにものすごく甘い飴をあげる。これは後々に登場する苦いエスプレッソと照応しているように思える。詳しくは後で。


 ゆのは宮子と別れ、一人になる。宮子がいなくなり、一人になった途端に襲ってくる妙な気持ち。ゆのは、先輩である沙英とヒロに「選択授業」についてのアドバイスをもらいにいく。沙英が「平面」を選択したと聞き、ヒロに「沙英さんが平面を選択したから平面にしたんですか」と尋ねる。帰ってきた答えは、「自分ができることをより伸ばしたい」というゆのが考えていた「他者に選択を委ねる」とは逆の答えだった。ヒロは他人の影響なんかで選択したのではなく、自分が持っている明確な意思に基づき、自分の進む道を選択した。ゆのも宮子に頼らず、自分で選択しなければいけないと悟ったのだろう。人生は選択の積み重ねなのだから、他人に選択を委ねてはいけない。ヒロに言われた通り、ゆのは自分のやりたいことを見つけ、進む道を選択しなければ。



 ここでゆのは、けっして宮子には相談をしない(盗み聞きしようとしていたが)。自分一人で決断しようと決意したからだ。自分一人で選択しなければ意味がない。

 
 ゆのは、部屋の模様替えをする。




 ゆのの部屋の模様替えは、テスト前に勉強するのが嫌で、部屋の掃除をしたり、部屋の模様替えをする類のものではない。それはただの「逃避」であり、ネガティブなものだが、ゆのが行っている模様替えは「逃避」ではなく、自分を変化させようとする行為の象徴だ。ゆのが変化することと模様替えは対応している。模様替えを達成することは、彼女が選択ができることになることと同義語だろう。部屋の模様替えがゆのの変化の装置として機能している。ベッドが重いので、模様替えは簡単にはいかない。それは、簡単には変化も選択もできないということを示している。ベッドを動かしている最中に、ゆのは母親からのポストカードを見つける。どこかにいっていた母親からのポストカードに見入るゆの。自分がひだまり荘に入居してきた頃を回顧する。そこで、彼女は入居した当時元気をもらっていたポストカードから再び元気をもらうことになり、自分のやりたいこと、自分の行く道を選択する契機となる。

 ベッドに寄りかかるゆのと並置された風になびくカーテンのイメージのショット。彼女の部屋(=自分自身)に新しい風(=変化)が入る。




 そして、部屋の模様替えが完成し、ゆのの変化/選択も完成する。彼女は、他者に選択を委ねることなく、自分の意志で「平面」を選択することになる。




 4月9日の朝。いつものとおりに起きてしまい、壁に頭をぶつけるところをみると、変化したことにちょっとだけまだついていけてない感じが。急に変わるのは難しい。



 第3話「4月8日〜9日 決断」は選択授業を使い、ゆのが新たな一歩を踏み出す様子を丁寧に描いていく。
 

 過去の自分である新一年生やこれからの自分である先輩方をうまく使っている。

 過去と未来に接っすることによって、彼女は現在の自分の進むべき道を決断する。




 冒頭、ゆのが庭からひだまり荘の面々を見るシーンがある。『裏窓』のジェームズ・ステュアートが集合住宅の面々を見るように、庭から見たひだまり荘の面々は、これからのゆのがどういう風になっていくのかを示しているのかもしれない・・・。っていうことはただの妄想なので気にしないでください。



12月10日 『カップ小さいですから』


 「12月10日 カップ小さいですから」は、前半のエピソードと連繋して、ゆのの将来についての話になっている(ゆのがデイトレーダーになっている様子が映し出されるように、ゆののこれからどうなるのかを意識した作りになっている)。


 沙英に連れられ、ゆのはお茶をすることになる。連れられていった場所は、お洒落で大人な雰囲気のお店。ゆのは、書店の空間からまだ足を踏み入れていない大人な空間へと入る。ここで彼女は、「大人」(=それはエスプレッソであり、自分の将来)に接することになる。大人な空間に慣れていないゆのは、猫に気付かず椅子に座ってしまい猫を尻で踏んでしまったり、エスプレッソがどういうものか知らずに頼んでしまったりと、全然慣れていない。それに比べ沙英は、ゆのよりも大人なため、ブレンドコーヒーを注文し、上着を椅子にかける。上着を椅子にかけるさまが、慣れていること(=ゆのよりも大人)を浮き彫りにする。上着を脱がずに、そのまま着ているゆのとは違う。目標の中で悩んでいる沙英と目標で悩んでいるゆのとでは、決定的な差が生じている。




 大人な空間で頼んだエスプレッソは苦かった。結局、彼女はエスプレッソが苦すぎて飲めないので砂糖を入れる。そう、彼女は飲めないのだ。大人になることは苦いことであり、彼女はまだそれに馴致できていない。カフェ(=大人な空間)にも馴染めない、エスプレッソ(=大人が飲めるもの)も砂糖を入れなくては飲めない、彼女はまだまだ大人になれないのだ(自分の将来を決められない)。



 12月10日に飲めなかったエスプレッソ。しかし、4月9日のゆのならば苦いエスプレッソを飲めるようになったかもしれない。なぜなら彼女は自分の将来を、目標を、選択したからだ。「選択授業」という小さな選択だったかもしれないが、それは紛れもなく、自分の将来の選択であった。自分の意志で「何をしたい」を選んだのだ。去年の12月10日よりも、小さな一歩だが、着実に前へと進んだ。

 自分の将来へと一歩を踏み出した4月9日のゆのならば、砂糖を入れなくてもエスプレッソを飲める。と言っても、まぁ飲めるといってもほんのちょっとだけもしれないが。


 「12月10日 カップ小さいですから」は、小道具がうまく機能している。


 前述したなずなの甘い飴の話に戻る。苦いエスプレッソが大人の象徴なのならば、なずなが持っていたすごく甘い飴はまだ幼い子供の象徴なのかもしれない。なずなたちは、あの時のゆののようにまだまだ大人にはなれないのかも。




 『ひだまりスケッチ×☆☆☆』 第3話「4月8日〜9日 決断」/「12月10日 カップ小さいですから」二つのエピソードが連繋しあうことによって、ゆのの将来の選択がより濃密に描かれてる。



おまけ


 ここら辺の沙英が照れるところがよかった。砂糖をいれるのも。ここの同ポジいい。