『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』 第5話「山踏ミ・世界ノ果テ」のメモ

 短めにメモ。


 第2話「初陣・椅子ノ話」はクレハにスポットをあてた当番回、第3話「隊ノ一日・梨旺走ル」はリオにスポットをあてた当番回、第4話「梅雨ノ空・玻璃ノ虹」はノエルがメインとなった当番回でしたが、今回はそれのまとめとでもいうのでしょうか。カナタとクレハとノエルの三人娘がメインの話。めちゃくちゃ重いリュックサックが笑いを作り出す道具となり、それを背負った彼女達がギャグを披露する。極限状態でちょっとだけおかしくなる彼女達が面白い。



癒しと笑顔と水のこと


 クソ重いリュックサックを背負いひたすら歩く三人娘。四苦八苦する彼女たちに笑顔と癒しを与えてくれるのが、川や風呂などの水(冒頭のノエルのも)。水は癒しと笑顔を生み出す装置として機能する。重いリュックや任務から解放されて、彼女達の身体が冷たい水と温かい水に触れる時、きまって表情は笑顔へと変わり、ひとときの癒しを与えてくれる。第5話では、水は彼女たちに癒しと笑顔を与え、冷たい水は食べ物を奪い空腹を、温かい水は山桃を与え胃を満たしてくれる。



[ネタ]父性を求めるクレハ?


 第2話の記事で私はこういうことを書きました。


リオが父親であり、フィリシアが母親であり、クレハやカナタやノエルは娘たち。カナタの妹ととしてのクレハ。ノエルは・・よくわからない・・・。


 頼りがいがあって男らしいリオは父親っぽくて、優しくて包容力があるフィリシアは母親っぽい。この二人を慕うクレハとカナタとノエルは子供たち。


 それで今回の第5話。リオを慕っていたというか、好意を抱いているような素振りを見せていたクレハの本命はクラウスだったことが判明しましたね。クラウスに土産を頼むとリオに言われ、嬉しそうに土産をクラウスの元へと持っていくクレハ。頬の赤らめ具合を見ると、クラウスに惚れてるようにしか見えません(憧れに似た想いなのかもしれません)。しかし、40歳ぐらいかなと思ってたクラウスの年齢を公式サイトで調べると、51歳っていうことがわかりました。おいおい、51って年上すぎんだろ。14歳よりも37歳年上じゃないか。どんだけおじ様好きなんだよ、とツッコミを入れたくなったり。でも、これって惚れていると言えるのだろうか? 父親と娘ぐらいの年の差ですし。どうみても父親と娘って感じがする。



 そこで、「クレハは父性を求めている」という考えが浮かびました。クレハがリオを慕っていたのは、父親っぽいリオに父性を感じていたのであり、彼女にとってリオは父親と同義だったのではないでしょうか。クラウスに対しても、父性を感じているため、好意を寄せている。クラウスが煙草で一服しているのを、頬を赤らめてまじまじと見ているクレハ。その男らしい仕草に惚れているのかもしれませんが、男らしいっていうか、おっさんっぽいというか、父親らしい仕草に惹かれているのかもしれません。


 ここで、「そもそもクレハはなぜ父性を求めるのか?」という疑問がわいてくるでしょう。それは至極単純に、「クレハには家族(父親)がいない。だから父性を求めている」のではないでしょうか。Aパート冒頭。カナタとノエルに手紙が届きます。カナタには母親から、ノエルには教授からの手紙が届き、二人は喜びます。カナタは「おかーちゃんからだ」とはしゃぎ、ノエルは「苗字がキョウ、名前がジュさん」という冗談をカナタに言います。なぜ、ノエルは冗談をこのタイミングで言ったのか。それは、カナタとノエルの仲が冗談を言えるほど親密になったからかもしれませんが、冗談を飛ばすほどノエルの気持ちが浮足立っているからではないかとも考えられます。教授の手紙にノエルはとても喜んでおり、思わず冗談が出てしまったという具合。カナタとノエルは喜びを隠せずにはいられない。楽天的な表情を見せ、はしゃぐ二人とは対照的に、ぽつんと一人で何も言わず浮かない表情でいるクレハ。カナタとノエルが同じテーブルの席に座っていたのに対して、クレハは二人よりも離れた位置の椅子に座っている。手紙が届く二人と手紙が届かないクレハを居る場所の位置関係によって差別化し、クレハの疎外感を増幅させる。クレハは、カナタとノエルとは別なのだと。


 カナタとノエルには家族や教授(=身内)から手紙が届き、クレハには手紙が届かない。手紙が届かないということは、クレハには家族が存在しないのではないでしょうか。そうすると、父親が存在しないことにも繋がってきます。何らかの理由でクレハの家族が手紙を出せない状況にあるのかもしれませんし、父親は存在しているが現在縁遠い状況にいることも考えられます。いずれにしろ、父性が欠如しており、ゆえにクレハは父性を求めている。父親の代替として、リオ、クラウスを求める。なるほど、彼女が母性のかたまりであるかのようなフィリシアよりもリオを慕っているのには、父性が関係している。


 クレハがクラウスに好意を寄せるのは、父性からではないのでしょうか。




 ・・・と言っても、第4話でリオは母親だと言われてしまったので、リオは父親ではないんですよね・・・。

見つけること


 第5話でカナタは何故かよく「見つける」。監視装置を見つけ、川を見つけ、山桃を見つけ、再び監視装置を見つける。カナタが「見つける」ことによって、物語が動く契機となる(クレハとノエルもカナタによって動く)。カナタは人が気付かないことをいち早く見つけることができる。彼女が人とは別の見方を持っていて、音に敏感なように、何事に対しても敏感かつ繊細な感覚をもってる。それは一話の時から示されていることで、今後どのように物語に作用してくるのか。



おまけ


 ノーマンズランドでは何があったんだろう。なんだこの終末感。