『こばと。』 第18話「・・・木枯らしのぬくもり。」〜伝書鳩〜


 『こばと。』 第18話「・・・木枯らしのぬくもり。」について色々と。


 第18話「・・・木枯らしのぬくもり。」は全編に渡って、重苦しい雰囲気になっている*1


 アバンは、いつもの小鳩といおりょぎのドタバタを描いており、第18話唯一の明るい雰囲気のシークェンスだといってもいい。小鳩の吐いた息が白くなることに絡めて、いおりょぎが口から炎を吐くというコメディタッチな作り。このアバンは、季節の変化、秋から冬に移り変わった事を明確に提示することが本来の意味合いだろう。唯一明るいと言っても、季節が冬に変わったということは、小鳩に残されている時間が少ないということに直結している。表面的には明るいが、内実は切迫している。



 よもぎ保育園の門の前には借金取りが居座り、それを見た園児達の親が不安になり、園児が続々と保育園を辞めていってしまう(ギャグとしか思えないサングラスを着けた借金取りなんだけど、やっぱ怖いんだな)。借金取りのいやがらせもかなりエスカレートしていき、園児達も辞めていってしまうという切羽詰まった状況。それに加え、前述した小鳩のコンペイトウ集めも佳境に入り、堂元の告白と三角関係らしきものまで浮上してくるのだから、事態は切迫している。三つの事象が同時に迫ってくるこの状況は、見ている者を少なからずとも焦慮させるだろう。そのような状況が、重苦しい雰囲気を作り出している。


 重苦しい雰囲気を醸し出すのに一役買っているのが、光の明暗を強調する照明。

 利香子(園児)が保育園を辞めるという連絡を受ける職員室でのシーン。窓から差し込む外光によって、室内の光と影ははっきりしている。沖浦清花を逆光で捉えたショットでは、顔全体が影で覆われており、彼女の心理的陰影を浮き彫りにする。その時の清花が作る笑顔が見ていて悲しい。彼女の心は、影に覆われた顔が示すように、影で覆われている。この明暗を強調する照明は、藤本が沖浦和斗に電話をかけるシーンや、給湯室でのシーンなどでも効果的に使われ、藤本の心理状態をあらわす。光の陰影が作中に漂う重苦しい空気に拍車をかける。

 他にも、園児の女の子が母親に「利香子ちゃんが保育園を辞めちゃった」と何気なく話すのも見ていてつらい。ボディブローのようにじわじわと効いてくる


・・・


 小鳩は、「対話すること」、「想いを伝えること」をやめようとはしない。借金取りに「お話」をしようとする小鳩に対して、藤本は関わるなと告げる。堂元も小鳩に「止めた方がいい」と告げる。藤本は小鳩を危険にさらしたくないことや小鳩がお願いに行っても借金取りに対しては効果はないだろうと思い、小鳩が借金取りと話すことを止めたのだろう。藤本も堂元も、借金取りと対話することは不可能であり、何を言っても聞きとめてはくれないという考えが少なからずともあるに違いない。それに、手下の借金取りに何言っても意味がないだろうとも思っている。二人は対話することをほぼ諦めかけている状態。だが、小鳩は「対話すること」、「想いを伝えること」をやめること、諦めることはしない。堂元が引きとめる中、小鳩は門前にいる借金取りの元へと行き、自分の想いを借金取りにストレートに伝える。それは、小鳩の無知から来るものかもしれないが、小鳩は「対話すること」・「想いを伝えること」ができると信じて疑わない。その姿を見て、藤本も堂元も変わっていく。藤本は、沖浦和斗に電話をして「話し合いの余地はないか」と尋ねる。沖浦和斗には、「君らしくないな」と笑われ、一蹴されてしまう。沖浦和斗の「君らしくない」という指摘はその通りであり、今までの藤本から考えると、本当に「らしくない」言動だ。話し合いの余地などないことは十分わかっているのに、藤本は対話しようと、自分の想い(考え)を伝えようとした。それは、インサートされる小鳩の回想が示すように、借金取りと「対話しよう」とした小鳩の姿、小鳩が「対話すること」・「想いを伝えること」をやめない姿に影響を受けたからだ。


 小鳩の「対話すること」・「想いを伝えること」をやめようとしない姿勢が周りの人々を変えていく。小鳩の名前にも入っている「鳩」の文字。「鳩」で真っ先に思い浮かぶのは、オリーブの枝をくわえた「平和」の象徴としての「鳩」だろう。他では、伝書鳩などが浮かび上がるのかもしれない(公園にいる鳩とか鳩サブレーなどもあるかもしれんが)。小鳩の「鳩」には伝書鳩の意味合いが含まれていると思う(調べてないから確かな事実ではない)。通信する目的として使われる伝書鳩。それは、想いを人へと伝えるということ。伝書鳩がメッセージを携えて人と人との間を飛び回るように、小鳩も人と人の間に入り、想いを伝え、人を繋げてきた(第3話や第11話など)。名前が示すように、小鳩が想いを伝えることをやめない。


 藤本が小鳩に影響されたように、堂元も小鳩の「対話すること」、「想いを伝えること」をやめない姿に心を動かされる。借金取りが虫垂炎で倒れたのを放っておけない小鳩は救急車に乗り、病院まで付き添う。手術が無事に終わったことを堂元から聞かされるまで、小鳩は借金取りのために千羽鶴を折っていた。メモ用紙で折った決して上手とはいえない千羽鶴だが、小鳩の心がこもった千羽鶴だ。借金取りに想いを伝える姿や借金取りのために千羽鶴を折る小鳩の姿を見て、堂元は自分の想いを伝えることを決める(小鳩に)。小鳩によって“影響”されたのだ。

 小鳩は人を変えていく存在。



 それにしても、堂元という男は、藤本とは正反対な人物だ。優しいという点では一致しているが、その他ではまったくと言っていいほど違う。不器用でぶっきらぼうな藤本に対して、物腰が柔らかく器用な堂元。常時優しい表情の堂元と睨んでいるような厳しい表情の藤本。実に対照的な二人だ。おそらく、藤本のアンチとして堂元というキャラは生み出されたのではないか、ここまで真逆だと。恋敵として争う人物にはうってつけなのかもしれない。


 さっきから、小鳩と堂元と藤本は三角関係だ、恋敵だ、みたいなことを書いているが、藤本が小鳩に好意を持っているのかは不明だ。意識はしていると思うのだが、恋愛にまで発展するのかというと、首をかしげる。藤本は沖浦清花が好きだと思っていたのだが、アパート前でのラストシーンがどうも気になる。三角関係と言っているのは、このシーンが起因している。堂元と小鳩が話をしている最中に、藤本が登場する。俯瞰から映しだされた小鳩・藤本・堂元の三角形で形成された人物配置の構図は、何かしらの含意がありそうな構図だ。しかも、無言で藤本と堂元がすれ違う様を、堂元のフレームイン・フレームアウトで見せた後に、カメラは引いて一人佇む藤本を中央に捉え、パンアップして夕方と夜の狭間の空を映し出す。車の警笛と走行音とベルの「シャン、シャン」とという音が鳴り響く。堂元と藤本がすれ違う描写は、堂元と藤本が恋敵のように思わせる(すれ違う描写は借金取りのときもあった)。

 書いていて気付いたのだが、堂元にとって藤本は恋敵なのかもしれない。好意を抱いている小鳩と同じアパートに住み、保育園でいつも一緒にいるのだから、堂元にとって、藤本は気になる存在というか、ライバルに近い存在と言えるだろう。堂元と藤本が恋敵のように見えたすれ違いの描写は、「堂元にとっては恋敵」の方が正確なのかもしれない。やはり、現段階では藤本が小鳩を「意識している」レベルであり、藤本にとって堂元は恋敵ではないだろう。今の段階では、藤本は小鳩に好意は抱いていない方が正しい。そうなると、三角関係というのは、堂元目線で見た時だけのものと言える。


 藤本はクリスマスに何かあったようで、しかもよもぎ保育園は現在切迫した状態、クリスマスを前に彼の心が動揺しているのをあらわすために、堂元が去っても動かず一人で佇む描写をしたのだろう。




 堂元と藤本がどう展開していくのか気になるところ。『こばと。』のクライマックスも近くなってきた。



 

*1:いつもと比べればだが