『こばと。』 第19話「・・・ホワイトクリスマス。」がすごく面白い〜視線が交わるとき〜

いつ視線は交差し、感情は交わされるのか


 アバン。第18話で回想された藤本の過去が反復される。吹き荒ぶ雪の中、「ゴォー」という激しい吹雪の音と幼き頃の藤本の泣き声が響き渡る。回想の直後に映し出されるのは、スノードーム。スノードームの中は雪が舞っており、藤本はじっとそれを見つめる。画面外から聞こえてくる小鳩と園児達のクリスマスを前にしての楽しげな会話とは対照的に藤本の表情は厳しく、どこか浮かない。スノードームの中をひらひらと舞う雪を見て、彼は自分のクリスマスにおいての過去を思い起こす。藤本にとって、舞う雪(クリスマス)というものは、忌わしい過去を思い起こさせるものなのだろう。藤本の心に影を落とさせる粉雪が、これからどう変容していくのかが、今回の見所の一つと言える。クリスマスの手伝いをしていた小鳩は、誤って藤本とぶつかってしまう(この時、スノドームは藤本の手から離れる)。小鳩はすぐさま藤本に「すみません」と謝る。藤本は「いや」と言い、ぶつかってきた小鳩の方も向かずに立ち上がる。この時、小鳩と藤本は視線を交錯させることはない。厳密に言うと、藤本が小鳩と視線を交わすことを忌避している。視線の交錯の回避は、藤本が意志や感情を交わすことを拒否していることに繋がる。そのため、藤本と小鳩の間に溝が生じていくこととなる。前回の事や藤本の視線の回避によって、小鳩は藤本に嫌われたと感じ(誤解なのだが)、彼女の気持ちは話が進むにつれ、どんどんと落ち込んでいってしまう。二人はずっとこのままなのか? 二人の距離は離れていってしまうのだろうか? 

 二人の距離が縮まる時は、物語のラストに訪れる。二人が切り返しによって視線を交える時、二人の感情が交差する時に。




 Aパート。藤本はサンタの衣装にアイロンをかける。よもぎ保育園では、毎年サンタの役を藤本がやっているそうだ。

 小鳩の目に藤本は、自分から視線を回避し、怒っているかのように映っている。私のことをまだ怒っていると感じ、気持ちが落ち込む小鳩。

 保育園を出ようとする時、小鳩は門の前で待っていた堂元と出会う。第19話は、まるで小鳩と藤本の物語みたいな書き方をしたが、この堂元という男もとても大事というか、藤本・堂元・小鳩の三人の物語といった方が正しいだろう。今回、堂元はホントいい働きをする。こいつ、めちゃくちゃ良い男なんだよね。堂元回といってもいいほど、彼は重要な活躍をする。


 小鳩と堂元は、クリスマスのイルミネーションで光り輝く商店街を歩く。ここで映し出される映像は凡庸な言い方になってしまうが、幻想的で美しい。淡く輝き、多彩な色彩で色取られた映像が次々に映し出される。クリスマスという舞台にとても相応しい。光の使われ方も第19話においては印象的だ。夜と人工灯の光が混じり合ったのだろうか、雪が降り積もる夜に輝く光の数々は緑色(黄緑色? うまく言葉にあらわせない)に輝き、小鳩達を照らす。今までの『こばと。』とは毛色の違う独特の色彩感覚は、コンテ・演出の中村亮介さんの負うところが大きいのだろう(伊藤智彦さんのコンテ・演出回が一番の出来だと思っていたが、それを上回る。中村亮介さんの手腕は素晴らしい)。




 堂元は、小鳩に「欲しいものはある?」と尋ねる。このことが後々に意味を持ってくる。

 小鳩と堂元は、アルバイトをする藤本と出会う。クリスマスなのに大変だなと声をかける堂元に対して、藤本はクリスマスなんて関係ないとぶっきらぼうに返す。よもぎ保育園のためにアルバイトを多くこなす藤本だが、このクリスマスの時だけは過去の出来事を思い起こさぬようにアルバイトをしているのかもしれない。藤本と会う小鳩だが、これまた二人の視線が交わることはない。藤本の前を車が遮ってトランジッションするように、藤本と小鳩の間は遮断されている。


 藤本に嫌われたと思い、落ち込む小鳩を堂元は大丈夫だと言って励ます(ここでは、鮮やかなイルミネーションが映し出されるが、小鳩が落ち込むにつれ、色彩は徐々に鮮やかさを失っていく)。いや、ほんと堂元という男は。自分のことではなく、藤本のことばっか話す小鳩に、堂元は大丈夫と励ますんだからね。優しい男だ、いや優しすぎる。優しすぎるから、小鳩を取り逃がしちゃうんだけど。藤本の様子がいつもと違うと話す小鳩。それは、藤本の少しの変化も見逃さないこと、よく見ているってことだ。堂元は力なく「そう」と返す。自分の好きな女の子が他の男のことををよく見ているっていう事実は、嫌なことだろう。それにも関らず、小鳩を堂元は励ます(藤本のことを一切悪く言わないで)。


 小鳩と別れる時、堂元は明日もあえるかなと言い、明日も会う約束を取り付ける。堂元は、保育園の門の前で待っているからと小鳩に告げる。保育園の中に入って迎えにいけることだって可能だろう。現に堂元は、保育園の中に何度も入り、保育園の皆と接している。何か、保育園の中に入れない理由があるのだろうか(藤本が理由かも)。とにかく、彼はひたすら「待つ男」として描かれる。




 次の日。朝から雨が降っている。この雨が雪となり、ホワイトクリスマスとなる。「ザァー」と強い音を発する雨。この雨の風景が後で小鳩の心象風景となる。アパートの玄関口で、千歳親子と小鳩は会う。雨の天気のために、玄関口はすこし薄暗くなっている。ここで、小鳩は階段を下りる藤本と出会うが、藤本は小鳩から向けられた視線をまた回避する。千帆&千世にクリスマス会に誘われた藤本だが、バイトがあると返事を返し、その後の返事を濁す。それを察してか、千歳は藤本を送りだす。どうやら、千歳は藤本の過去を知っているようだ。千帆&千世を送りだした後、クリスマスなのに藤本が悲しそうだ、それは私に原因があるという小鳩の発言を受け、千歳は藤本の過去を小鳩に伝える。そして、藤本の回想が始まる。


 この回想は、細部まできめ細やかに作られている。ローソクの灯りに照らされながら、クリスマスのごちそうとプレゼントを用意して、藤本は母親の帰りを待っている。深々と降り積もる雪の中、母親へのプレゼントを持ち、駅まで母親を迎えに行く藤本(息を切らしながら走る)。真っ赤なプレゼントの包装紙と黄色で統一された藤本の服装が夜の闇の中で印象的に映る。改札口前で母親を待つ藤本の傘には徐々に雪が積もっていく。傘に積もった雪が、一回取り除かれる。傘に雪があまりにも積もってしまったために、傘の雪を払ったのだろう。時間の経過を浮き彫りにし、藤本がどれほど長く待っているかをさりげなく示す細やかな描写だ。この時、藤本の眼前に見える駅の内部は明かりがあり、光輝いている。それは、母親が来て、これから楽しいクリスマスが始まるという藤本の明るい未来を指し示すかのよう。しかし、時間は刻々と過ぎ去るのだが、母親はいっこうにあらわれない。

 藤本は母親の姿を見つけ、「お母さん」と言って、母親のもとへと急ぐ。その最中に、雪に足を滑らせ、藤本は転んでしまう。倒れる時に、プレゼントが壊れないようにと抱きかかえる一瞬の描写が細かい。母親へのプレゼントを大事にしていることがよくわかる。しかし、それは母親ではなく、別人であった、母親はいつになっても藤本の前にはあらわれなかった。降り積もる粉雪は、吹雪へと姿を変え、駅の照明も落とされる。藤本の眼前に見えた光輝く駅の内部は、まるでそこに何も存在しないような真っ黒な闇へと変貌している。もう、藤本の前には明るい未来など存在しなく、あるのは暗黒の闇だけだ。暗い未来が藤本を待ち受けている。

 吹雪へと姿を変え、光から暗闇へと変容した風景は、藤本の心理の変化と明確に照応する。風景が登場人物の心理をあらわす。

 クリスマスに降る雪の風景は、藤本にとって孤独の風景なのだろう。




 回想が終わり、激しく降る雨の「ザァー」という轟音が鳴り響いたと思うと、外部から内部へと場所は移動し、さっきの轟音とは打って変わって、静寂に包まれた仄暗いアパートの玄関口にいる小鳩と千歳が捉えられる。激しい音の世界と静謐な音の世界のコントラスト。千歳から藤本の過去を聞いた小鳩に呼応するように、雨音は徐々に強い音を発していき、アパート内からアパート外へとカメラは移り、再び雨音の轟音が鳴り響く。藤本の過去を聞き、胸を締め付けられる小鳩をあらわすかのように機能する雨の風景は、前述した通り、小鳩の心象風景そのものだ(轟音を発する雨音は、藤本の過去を知った小鳩の心が発する音)。




 Bパート。よもぎ保育園でのクリスマス会。藤本はサンタの格好をして、準備は整った(ここで、藤本の過去を知った小鳩は、藤本さんは偉いですと言って、清花の前で涙を流す)。

 サンタに扮した藤本が園児達の相手をする中、園児達はサンタさんは清和先生じゃないの? と言って、藤本の扮装に気付き始める。小鳩は、「この方はサンタさんです」と言って、園児達に気付かれないようにする。この時、藤本と小鳩の視線は交わる。藤本の過去を知り、小鳩は藤本と少し距離を縮めることができた、二人の溝は解消されたかのようにと思われたが、実際はそうではなかった。

 降り続いていた雨は、雪へと変わりホワイトクリスマスとなる。「クリスマス会の後片付けは私がやっておきます」という小鳩の申し出(小鳩は藤本の近くへと行こうとする)を「余計な気を使うな」と言って、拒絶する藤本。ちょっと前に視線が交わった二人だが、再び二人の視線が交差することはなかった。うまく噛み合わない二人。藤本は小鳩を部屋に残して去っていく。この時、藤本が小鳩の前を去っていく足音が音響を支配する。強調された足音は、身体的距離も心的距離も小鳩から遠ざかっていく藤本を浮き彫りにする。藤本が部屋の扉を閉める音も強調される。「ダァッン」と鳴り響く扉を閉める音は、藤本が心の扉を閉じてしまったことを指し示す。



 第19話においては、音の使われ方も印象的だ。細やかに使われる音は、物語をよりドラマティックに仕上げる。




 降り積もる雪の中、保育園から帰ろうとする小鳩は、門の前で待っていた堂元を目の前にして泣き崩れてしまう。公園のベンチで、藤本に嫌われたことが苦しいと涙を流しながら、堂元に話す。そんなに清和のことが気になるのかと尋ねる堂元に対して、小鳩はつい考えてしまうんです、考えると胸が痛いんですと答える。

 自分の好きな女の子が別の男のことを考えると胸が痛くなって泣いてしまうという事実は、にこやかで優しい表情しかあらわさなかった堂元の表情をここまで歪めてしまうのか。



 ベンチに座る小鳩と堂元を捉えたロングショット。堂元と小鳩は一つのベンチに座らずに、別々のベンチに腰掛けている。藤本のことを考えると胸が痛い小鳩と堂元の間には、触れることのできない距離が存在している。電灯の照明があまり当たらず、影に覆われている堂元の姿は、彼の心理的陰影をあらわしているかのようだ。



 この公園のベンチは第3話「・・・雨の贈りもの。」において、小鳩が桂木とむつみを結びつけた場所であることを考えると興味深い。縁結びと云ったら大袈裟になるのかもしれないが、この公園のベンチは少なからずとも恋を成就させるものとして機能していたのだ。だが、今度は堂元の恋を成就させなかった。逆転しているのだ。この逆転の現象は連鎖し、堂元を小鳩へと変貌させる。人と人を結びつけてきた小鳩だったが、今度は堂元が小鳩の役割を演じることになる。堂元は小鳩と藤本を結びつけようと、小鳩のように奔走するのだ(結びつけるというか、仲直りさせる)。人を癒す存在である小鳩が、堂元によって癒されるという逆転の現象が生じる。


 堂元は、アルバイトをしている藤本の所へ行き、この手紙を小鳩ちゃんに届けてほしいと頼む。藤本は手紙を持って小鳩の元へと急ぐのだが、それは小鳩に好意を寄せているからではないだろう。インサートされる回想が示すように、いつまでも母親のことを待ち続けた自分と展望台で待っている小鳩を重ね合わせたのだ。理由はどうであれ、藤本は小鳩の元へと急ぐ。


 ここでの堂元は、切ない。バイトを代わった彼は、一息吐いて、空を仰ぐ。前述した通り、堂元は優しすぎる男だ。小鳩と藤本を引き離すことだって出来ただろうし、小鳩を自分の方に向かせることだって可能だった。しかし彼は、藤本を考え涙を流す小鳩を放ってはおけなかった、藤本と小鳩を結びつけるようにしたのだ。その優しさにより、彼は失恋する。本当に堂元はいい男であり、まっすぐな男だ。でも、我を出さないと幸せになるのはちょっと難しいように思ったり。



 展望台で待っている小鳩の前に藤本は駆けつける。藤本は、お前のせいではない、気にすることはないと小鳩に告げ、藤本に嫌われていると思っていた小鳩の誤解は解消される。この時、視線を回避し続けた藤本は、小鳩からの視線を回避せず、視線を交換する。閉じられていた藤本の心の扉は開き、小鳩と藤本は感情を交わす。切り返しによって、視線が交わることによって、彼と彼女の距離は縮まる。

 堂元からの手紙はちょっとかっこつけ過ぎな気もする・・・。



 誤解が解消して藤本と仲直りできだ小鳩は、降り積もる雪の中、歌を歌う。光に包まれたこの一連のシーンは、幻想的で美しい。小鳩の歌は、千歳親子や清花、堂元やいおりょぎの元へと届けられただろう。藤本は「雪も綺麗なもんだな」と呟き、小鳩は「はい」と答える。クリスマスに降る雪の風景は、彼にとって孤独の風景以外の何物でもなかった。だが、小鳩によって、孤独な雪の風景は変容しつつあるようだ。藤本も小鳩によって癒されたのだろうか。コンペイトウが描写されないので、わからないが。



 ラストカットのスノードームは、アバンの藤本が厳しい表情で見つめていたスノードームとは意味合いが違ってくるだろう。雪の風景は、孤独なものではなく、綺麗で温かな風景に変わったのではないか。



おまけ


 堂元・・・。