『迷い猫オーバーラン!』第10話「迷い猫、持ってった」が面白い


 初っ端から驚いた。素晴らしい。


 第1話「迷い猫、駆けた」の板垣伸監督回が今までのベストだと思っていたけど、考えが変わってくる。佐藤卓哉さんが監督ってことは、脚本は木村暢さんではなく、自ら書いてくると思っていたけど、その通りだった。でも、演出はしないのか。


 監督・脚本・コンテ/佐藤卓哉。演出・作監/菊池聡延。


 的確且つ大胆な「省略」と素晴らしいカットのテンポ、ダイアローグ、細やかな伏線、小道具(ドアベルや傘などなど)。板垣伸監督回と双璧を成す久しぶりの良回だ。


 Aパート冒頭の3カット、いや4カット(乙女とホノカが出会うシーン全部良い)。ファーストショットは街の全景を捉えたロングショット(T.Uしている)、次に坂のショットへと切り替わる。2カットとも必ず画面に入り込む入道雲。3カット目には、あまりにも巨大な入道雲が映し出され、パンダウンすると都築乙女が捉えられる。この入道雲は、この後雨が降ることの伏線となっているんだけど(つまり夕立)、それは抜きにして、ただただ瞠目する。3カット目の入道雲の圧倒的な存在感、惹きつけられる。第9話のファーストショットも入道雲だったが、こっちの方がいい。4カット目の仰角で時計を捉えたショット、静止せず流動する雲(Bパートの夕焼けのショットにもある)。


 雲の描写の積み重ねが良すぎる。


 それと、坂のショットの異様な寂寞感。BGMのせいだとは思うんだけど。この無人の風景が何とも言えない。



 その物哀しいというか寂しげなBGMと共に聞こえてくるラジオ。ラジオで伝えられる「雨が降らない宣言」(それと「夏休み最後の週(=夏の終わり)」)。みんな雨が降らないと思っていたのに、雨が降ることを知っていた人物がいた。この「雨が降る」がポイントになってくる。それについては後述する。


 錆びれた公園の遊具に座るホノカを乙女は見つける。ホノカは後ろ姿で捉えられており、その表情が描写されることはない。表情の描写の欠落によって、ホノカがどのような心情であるかは視聴者にはわからない。しかし、寂しげなBGM、錆びれた公園、雲、これらの舞台装置が寂寞とした世界を作り出し、まるでホノカ自身が寂しげであるかのように感じてしまう。そして、彼女が「迷い猫」であるかのように思わせる。見せ方が巧い。でもこれは、ひっかけというか「迷い猫」と思わせる罠みたいなものであり、後のシーンで明かされるが(ホノカの表情も明かされる)、彼女は「迷い猫」ではない(母親がいた)。



 ここのシーンは、聞こえてくるラジオ、ふっと微笑む乙女のアップショットのインサート、トンボを捕まえるかのようにホノカを捕まえる乙女など、やっぱ見せ方が抜群に巧い。



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 ギャグも面白いんだよな、今回。千世のヘリでの出勤シーンとかバカバカしすぎて、笑える。家康の電話シーン、めっちゃいい。吉野裕行さんのはっちゃけぶり。これだよ、これ。やっぱ第9話は抑制されていた。佐藤卓哉脚本とハイテンションの吉野裕行さんの演技が絶妙。約25秒間休まず叫び続ける。ラストの言い回しは若本規夫さんっぽい? 

 文乃と千世の格ゲーっぽい所とか、見所多し。



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 「音」も印象的だった。鳴り響かない壊れたドアベルの音を筆頭に音が印象的に使用されている。画面外から聞こえてくるというか、ストレイキャッツの戸外から聞こえてくる自転車の漕ぐ音とベル、車のエンジン音、雨音、ヘリの音。ストレイキャッツの戸外から聞こえてくる音がストレイキャッツの戸内の空間で主に展開される物語に空間的な拡がりを与えてくれる。内部と外部を繋げる音。



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 今回のストーリーは、芹沢文乃、霧谷希、梅ノ森千世、ホノカが主な登場人物だ(乙女も一応含まれる)。都築巧や菊池家康や幸谷大吾郎の男性陣は画面から排除されており、ほとんど登場しない。巧はラストの1シーンだけにちょこっと登場するし、家康は電話出演だけで登場はしないし、大吾郎に至っては一切登場しない。第10話は主に女性陣が活躍する。

 男性の不在。

 でも、冒頭に乙女のファンである商店街の男たちが登場するので、厳密にいうと男性の不在は当てはまらないように思える。なぜ男性陣は排除されるのか。これは男性という括りではなく、「迷い猫」であるかどうかで巧・家康・大吾郎は排除された。今回は、文乃・希・千世の「迷い猫」の話なのだ。

 三人の前にあらわれたホノカという「迷い猫」。希は、ホノカにシンパシーをおぼえる。ケーキを作り、チョコで「bienvenue(歓迎の意)」と書き、ホノカがストレイキャッツに来たことを歓迎する。ホノカが自分と同じ匂いを持っていることを察したのだろうか、希は迷い猫の集う場所にホノカを招き入れる。みんなは雨が降らないと思っていたのだが(ラジオの言葉通り)、ホノカと希は共に雨が降ることを知っていた。ホノカが持っていた傘はもちろん日傘などではなく、雨傘であり、雨が降ることを予見していた。同様に、希も雨が降ることを予見していた(店内にいる猫が雨に気付いたように)。ここで二人は強く共感を覚えだだろう。二人は似ている。希とホノカは一緒に雨に打たれ、ずぶ濡れになり、一緒にクシャミをする。希とホノカは一緒に風呂に入り、ホノカは何故自分の事について尋ねないのかと希に云う。過去を尋ねない事は、第2話・第3話での希がストレイキャッツにやって来た頃に通じるものがある。風呂から上がったホノカは、手帳にスケッチしたオオルリの雌(夏鳥)を見せる。誰にも見せなかった手帳の中を見せるということは、希に心を開いていることであり、二人の心は通じ合っている。だが、ここでホノカの母親の存在が明かされる。彼女は、迷い猫なんかではなく、母親=帰れる場所を持つものだったのだ。ただの「迷子」だった。ストレイキャッツに母親がやってきて、ホノカは母親と家に帰ることになる。希も文乃も千世もホノカを見送る。ホノカが去った後、あんなにはしゃいで明るかった文乃・千世・希が打って変わって、一人で夜を過ごす彼女たちは寂寞とした雰囲気を漂わせる。徹底的に彼女たちの孤独を強調するカット割り。ここでAパート冒頭のホノカが登場する時に流れていたあの寂しげなBGMが再び鳴り響いてくる。このBGMは、「迷い猫」であることを象徴するかのような機能を果たす(ホノカは迷い猫ではなかったのだが)。この三人に共通するのは、「両親の不在」であり、文乃は交通事故で親を亡くし、千世に両親は存在しているが会うことができないし、希に至っては全くの不明である(多分両親は存在しない)。自分たちと同じく親がいないように思えたホノカにはちゃんと母親がおり、帰る場所もあった。母親がいたホノカの存在が、文乃・希・千世の両親の不在を鮮明に浮き彫りにする。希は最後に「帰る所」と呟く。このエピソードが踏み台となり、希たちが抱える問題が解消されるクライマックスへと繋がっていく・・・・と思ったら、次回は血のブルマ事件で監督は草川啓造じゃん。ぜったいギャグ回だろ、11話。恋愛とか、希の話とか解決する気があんのかな・・・。残り2話だし。

 ラストが佐藤順一監督か。うーん、どう締めるんだろ。



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 コーガちゃんもグランブレイバーも入ってる。細部まで丁寧。