『Angel Beats!』最終話「Graduation」〜階段と音無と〜

 コンテ/橋本昌和、演出/橋本裕之


階段と音無


 階段のシーン。なぜ、この場所(空間)なのかと少し疑問に思った。ラストの重要なシーンを、なぜ階段・斜面にしたのか。他にもあったような気もするんだが。屋外では、この場所が適当だったのだろうか。そう言えば、第1話の冒頭、音無が登場した時もこのような階段の場所の近くだったような(同じ場所ではない)。物語の冒頭と結尾を照応させるため、この場所が選択されたのだろうか。

 階段は世界と世界を結びつける場所として機能していたのかもしれない(音無があらわれて、かなでが去った場所)。




 それと、この階段のシーンは音無とかなでが肌理細やかに描かれている。その事について色々と書いていく。




 逆光の使い方がとても効果的に作用している。音無の感情の発露をより劇的に。


 音無がかなでに「一緒に残らないか」と云う。この時点では、二人を逆光で捉えることはない。音無がかなでの事が「好きだ」と告白する時、逆光で捉えられる。「好きだ」と云って、音無はかなでを抱きしめる。



 次に二人が逆光で捉えられる時は、音無がかなでを再び抱きしめ「愛してる。ずっと一緒にいよう」と告げる時。



 かなでが消え、音無は崩れ落ちて、かなでが居た場所をさぐる時。



 「かなで」と音無が叫ぶ時。



 音無の感情の発露と連繋するかのように、カメラは音無(かなで)を逆光で捉える。逆光で捉えられることによって、より劇的に、より効果的に、音無の感情の高まりを表現する。逆光は主に音無の感情の発露を増幅させ、ラストの「かなで」という絶叫をより感動的にするだろう。逆光の使用の的確さ。ここぞという時に使用され、無駄に使用されない。巧い。それと、話はずれるが陽光の十字が印象的。



 この仰角のアングルが素晴らしい。これは、「愛してる。ずっと一緒にいよう」と告げた時の次のショット。「ずっと、ずっと一緒にいよう」と音無が云い、「うん、ありがとう」とかなでは返す。そして、「愛してる」と云いかなでを強く抱きしめる。このショットに映し出されるのは、音無とかなでと空と雲だけ。余計な事物は一切映し出されず、画面上から排除されている。音無とかなでの二人しか映し出されない世界は、まるで二人だけがこの世界に存在しているかのようだ(NPCなど存在しない)。このアングルが音無の「ずっと、ずっと一緒にいよう」とかなでの「うん、ありがとう」の会話をよりドラマティックに。



 かなでに風が吹く瞬間がニ回存在する。「一緒に残らないか」と音無に告げられた後と音無に全てを告げた後。風に吹かれ靡くかなでの髪は、彼女の心理的振幅を視覚化したかのように機能する。二回目の風は、かなでが消える決心をした時に吹く(音無にさっきの言葉もう一度云ってと頼む)。風は、かなでの心情と対応している。無表情で感情の起伏がわかりづらいかなでの心情をあらわすのには、この風という装置は効果的だ。



 階段の脇にある斜面を流れ落ちる水。水面に反射する光がとても印象的で、美しい。この斜面を流れる水は、画面の端々に映し出される。シーンの雰囲気を形成するのに貢献している。この階段・斜面をなぜ選択したのかと先述したが、それはこの流れる水を画面に映し出したいためというのも一因だったのかもしれない。

 斜面を流れ落ちる水は、音無が最後に流す涙に連繋しているように思える。音無が大量に流す涙、そして鼻水。その流れ落ちる水のイメージは、背景の流れ落ちる水のイメージへと繋がっていく。斜面を流れ落ちる水は、最後に音無の頬をつたい流れ落ちる涙を暗示していたのかもしれない。
 



 かなでに「さっきの言葉もう一度云って」と云われ、手持ちカメラで撮ったように揺れる。画面のブレと音無の心の揺れが連繋する。



 このショットでの音無の「はぁ、はぁ」がちょっとだけ長い。このちょっとだけの長さがかなでが消えた音無の今の心境をうまく表現している。



 階段での二人のやりとりの見せ方も巧い。踊り場で話す音無と階段で聞くかなでの人物配置とその変化などなど。


体育館


 空間の拡がり。時折入るロングショットが、体育館の広さを物語る。皆消滅し、死後の世界に5人しかいなくなったSSSの現在を体育館の拡さが象徴する。一人消えるたびに体育館の空間がより拡くなったようにみえ、物悲しさがつきまとう。

 ゆり、日向、直井が消え、音無とかなでの二人だけになった時のロングショットが秀逸。点のようになった音無とかなでからは、やはり寂寥感が。この世界には二人しかいないということが伝わってくる。


おまけ


 音無がかなでが消えて、動揺するこのショット。初めてこれを観た時、おもわず笑ってしまった。音無の慌てる動作があまりにも滑稽にみえたからだ(それと慌てる音無の「あ、あ」と云う声)。ここの音無の芝居ちょっと変じゃないか? こんな感じにしなくても良かったんじゃないかと思ったが、この芝居は適切だったと後で思った。滑稽に見えるほど必死なのだ、音無は。