『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』第2話「ゆうしゃめんま」


 あなるとじんたんが昔の絆を徐々に再生していく様がよかった。

 みんな変わっているようで、本質部分は変わってなかった。


 あなるとじんたんの現在の心的距離=身体的距離は離れている。二人の絆は再生しておらず、壊れかけたままの状態。


 ゲームショップでビニール袋という物を介して、じんたんと繋がろうとしたあなるだったが、うまくいかない。一度繋がりかけた絆が途切れる。近づいた心的距離と身体的距離もまた離れてしまう。


 ノケモンをGETする過程で、あなるとじんたんの心的距離と身体的距離が再び近づく。


 昔のようにノケモンGETに興じる内に、あなるとじんたんの絆は再生していき、徐々に身体の距離も心の距離もゼロになる。最終的に二人の肘が触れ合い距離がなくなる。ビニール袋を介して繋がるのに失敗した二人だったが、今度はゲーム機のケーブルによって繋がる。

 二人の心が繋がったかのように、二人のゲーム機を繋ぐケーブルを映し出したショットは印象的だ。


 あなるの部屋のシーンのラストショットも印象的。あなるとじんたんのゲーム機が互いに向き合っているのは、別々の方向を向いてた彼と彼女が再び向き合いだしたことを指し示してくれる(もちろん、二人のゲーム機はケーブルで繋がっている)。彼と彼女の絆が回復しつつあるのだ。


 そして、あなるとじんたんとぽっぽの共同作業により新しいノケモンがあらわる。新しい絆が生まれた。



 ラストシーンでは、めんまに導かれ、じんたんは日の当たらない影から日のあたる場所(希望)へと歩ていく。



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 OPの話。あなるを柵越しに捉えたショット(柵をあなるが握る)は、彼女がまるで監獄のに閉じ込められているかのように映る。そのショットからは、彼女が囚われていることがわかる。


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 なぜ「あなる」なのか。

 どうやらじんたん達は「あなる」という言葉の意味を知っているらしく、使うのを躊躇う。でも、めんまだけは言葉の意味を知らないため、バンバン使う。子供のときに知らず知らずの内につけたあだ名。成長した彼らは、言葉の意味を知り恥ずかしくなって使わず、めんまは成長していないのであなると呼び続ける。

 あなるというあだ名は、皆が変わったことの象徴。あなるというあだ名が、皆がめんまを残して大人になったことを指し示してくれる。あなるにはそういう役割があるのだろう。