『あの夏で待ってる』のメモ 背中を見送ること


 第10話「先輩と僕らの。」を見て思ったことを。



 石垣哲郎はいつも谷川柑菜の背中を見送っている。


 海人のことがすごく好きで彼をずっと追いかけている柑菜の背中を、哲郎は見ていることしかできない。


 第9話「せんぱい」で泣きじゃくる柑菜を後ろから抱き締めるような形になったが、すぐに哲郎の手を振りほどき、柑菜は歩き出す。その姿を、その背中を見送ることしかできなかった哲郎。


 海人を想い、歩き出す柑菜を見ていることしかできない。




 第10話で哲郎はようやく自分の想いを、柑菜が好きなことをぶつける。必死に押し込めていたものを、涙を流しながら、大声で叫ぶ。


 でも、柑菜は海人のもとへと走っていく。哲郎は、走っていく柑菜の背中を見送る。


 見送った後に哲郎はくだけ落ちる。第1話から第10話まで見送ることしかできなかった哲郎。




 この切なさというか、やりきれない感じというか。好きな女の子の背中を見送ることしか出来ないもの悲しさ。好きな男のためにひたすらに走る好きな女の後ろ姿をいつも見ている男のやるせなさ。それも込みで哲郎は柑菜のことが好きなわけだったが。


 見ていて胸が一杯になった。いい男だ。


 でも、そんな哲郎の後ろ姿をいつも見ていたのが美桜であり、ひざまついた哲郎を後ろから抱き締める。哲郎にも背中を見ていた女の子がいたわけで(それにしても、どこから出てきたんだ。後をつけていた?)




 哲郎の『背中を見送る』行為が印象的に映る回だった。他の誰かが好きな子の背中を見送る男っていう描写はなかなか良いなと思った。いつもひょうひょうとしている彼の表情がころころと変わるのも良かったなぁ。怒ったり、泣いたり、叫んだり、心を隠していた彼が心をさらけ出す。



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 以下気になったところ。


 見晴らしの良いところでのシーンが多かった気が。青い空と見晴らしの良い広い空間設計は、爽快感というか、開けた感じを与える。告白をして自分の想いを解き放っていく彼と彼女たちにとっては、最適の舞台装置に思える。




 前々から思っていたが柑菜の自室がやけに地味。色味を欠くというか、女子っぽくないというか。昔ながらの家だからこんな感じになったのかもしれないが。男気がある柑菜っぽいと言えば柑菜っぽいが。話は変わり。「あの花」と「あの夏」を見て思ったのが、長井監督は昔ながらの和風な家が好きなのかなと思ったり。今までの監督作品でそんな気はなかったけど。




 眼鏡がぶつかる描写が良かった。心的にも距離がとても近い彼と彼女を表す描写。