『夏色キセキ』第1話「11回目のナツヤスミ」 本当のキセキは、心を一つにすること


 脚本/浦畑達彦、コンテ・演出/木村隆一、作画監督/本村晃一・渡部里美・濱津武広。



 何か画期的なことをしているわけでもなく、目新しいことしているわけでもなく、全編に渡って既にどっかで見たことのあるようなものばかりだ。しかし、所々の肌理細やかな描写、例えば人物の演技や日常描写に光るものがあり、最後まで楽しんで視聴することができた。特に、ラストの『キセキ』の部分にちょっと感動した。


 OPのテロップで監督が水島精二さんだとわかってちょっと驚く。まったく知らなかった。『ガンダム00』で「戦争」を描き、『はなまる幼稚園』ではほのぼのとした「日常」を、『UN-GO』で「戦後」を描き、この作品に至ると。近年、交互に戦争を描いている。


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 Aパート。逢沢夏海が目覚まし時計ではなく、携帯電話の目覚まし機能で起きるのに惹かれた。携帯電話で起きる方が今の女子中学生らしい描写。冒頭から登場する携帯電話がこの作品では重要な役回りを担うことになる。




 夏海が水越紗季に「朝練に来るように」とメールを打つのも良い描写だ。夏海は紗季がまだ起きていないと思ったからメールを打ったのかもしれないが、隣の家に住んでいるのだから迎えに行ったっていいはずだし、その方が確実だと思う。紗季が迎えに行って出てこないのであっても、また繰り返し迎えに行けばよい。でも、夏海がそうしなかったのは、夏海と紗季の間に若干距離が生じ始めているからだろう。迎えに行きづらいから、メールを使ってやりとりをする。



 メールのやりとりで二人の距離感をさらっと表現するなかなか良い描写。




 夏海が紗季に朝練や部活になぜ来ないのかと問いただすシーン。


 夏海が「頑張ろうよ」と云い、紗季にテニスのラケットを手渡すのだが、紗季はラケットを地面にわざと落とす。紗季が落としたラケットは、ちょうど夏海と紗季の間に落ち、そのラケットはまるで二人の間に線を引いたかのように、二人を切断する。夏海と紗季の間にあるラケットは、彼女たちが交流を絶ったことを視覚的に表現する。紗季がテニスコートを去った後、夏海はテニスのラケットを飛び越えて紗季を呼び止めることはできない。ラケットが強固な境界線の役割を果たしているかのように、夏海はラケットを飛び越えることはできないのだ。




 ローソンにおいての花木優香、環凛子、夏海の3人でのシーン。


 なぜ、夏海はバッグをベンチの下に置いたのだろうと僕はちょっと不思議に思った。地面にバッグを置くと汚れるし、ベンチの上に置いた方が良いのでは? と思ったのだが、地面にバッグを置かないと三人でベンチに座れないわけで。夏海はカバンを背もたれに、凛子は膝の上にカバンを置くのも優香が最後にベンチに座るためその分の余裕を作るためだろう。



 こういう細やかな描写が良い。


 ベンチが太陽で温められ、優香が熱くて座れないという所は、現実に根ざした良い描写。優香が熱くて座れない分、端につめて座るために彼女たちの距離はぎゅっと縮まる。彼女たちの距離を縮ませるために、熱くて座れないを使ったかもしれない。


 優香、凛子、夏海の3人の座り方や食べ物の違いや各々の所作でちゃんと人物の性格を表しているのも丁寧な仕事だ。夏海はスポーツドリンクを飲み、凛子はカップアイスを食べ、優香は棒アイスを食べる。座る際に夏海は足を組む。

 これらの描写一つ一つで各登場人物がどういう人なのかがわかる。一律に同じ仕草や物を食べさせるのでは芸がない。




 アイドルグループ「フォーシーズン」。昔は人気があったらしいが今は昔のような人気ではないらしい。彼女たちの人気は、夏海たち4人の仲に連繋している。昔の人気だったころは、夏海たちの仲もよく、人気に陰りがみえると、彼女たちの仲も昔のようではなくっている。




 お石様に皆で手を合わせるシーン。第1話の見せ場。


 お石様に本当の親友の4人が心を同じにしてお願いすると願い事が叶う、奇跡が起きるという言い伝えがある。彼女たちは小学4年生の時に心を一つにして、アイドルになりたいと願ったら、のど自慢大会で優勝することができた。



 中学2年生になった彼女たちは、空を飛びたいと願って(元々の願いではないが)、空を飛べることができた。奇跡が起きたのだ。


 でも、空を飛べたことなんて本当の奇跡でも何でもない。本当の奇跡は、彼女たち4人が再び心を通わせて同じことを願ったことだ。空を飛べたという結果が重要ではなく、心を通わせたという過程が重要なのだ。



 空を飛んだ彼女たちは、空中でバラバラになってしまわないように互いに手を繋ぐ。手を繋ぐことによって、四人の輪が出来た。僕は四人が手を繋ぐために、空を飛ばせたんだと思う。別に空を飛ぶという以外の奇跡でもよかったはずだ。でも、空を飛ばせた。彼女たちが必然的に手を繋ぐようにするために、彼女たちの心が通じあったことを手を繋ぐということで表現するために空を飛ばせたのだ。



 紗季が引っ越してしまうことで夏海と紗季の仲が悪くなり、昔のような仲ではなくなった。でも、彼女たちは今でも心を一つにすることができる、同じことを願い、祈ることができるのだ。他人と心を通わせたり、同じ願いをするなんておそろしく難しいことだと思うが、彼女たちにはそれができる。それこそが、『キセキ』だ。



 第1話面白かった。次回も楽しみです。


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 おまけ。


 気になった携帯電話絡みの描写を二つ。


 夏海は二つ折り携帯で、紗季はスマートフォン。携帯電話の種類でキャラ付けが出来ている。



 境内で倒れたという緊急の時に絵文字を打っていたら、まったく緊急じゃないような気が。それに夏海も気づけ。