『凪のあすから』 岡田麿里と篠原俊哉の脚本と演出の巧さ


 第1話「海と大地のまんなかに」、第2話「ひやっこい薄膜」を視聴して。


 めちゃくちゃ面白かったです。

 P.A.WORKS作品で、久しぶりにワクワクしました。『true tears』、『花咲くいろは』に次ぐ、傑作の予感がする。

 『花咲くいろは』以来の岡田麿里さんの参加(『true tears』以来の名塚佳織さん)、そして篠原俊哉監督とくれば、面白いに決まっている!!



 『花咲くいろは』第18話「人魚姫と貝殻ブラ」で見せてくれた篠原俊哉監督が演出する肌理細やかな人物の芝居、細部まで作りこまれた設定。それは『RDG』でも遺憾なく発揮されていたが、『凪のあすから』では、篠原監督の仕事がより堪能できる。


 第1話のアバンで、僕は心を鷲掴みにされた。たった数十秒で、この物語の世界観を説明してしまう手際の良さ(テレビの塩分予報などなど)。状況説明を手際よく、効果的に処理できる演出家は、必ず優秀だ。それに加え、人物の芝居によって、登場人物の性格をさらっと説明する。例えば、先島光が朝食の準備をする様子から、彼が料理もできるしっかり者だということがわかるし、先島あかりの足を抱え込む仕草と言葉使いからは、彼女の明るさと奔放さが窺い知れる。僕が好きな描写は、熱い鍋をエプロンで掴んで持ってくるところだ。熱いからといって鍋つかみを使用せずに、エプロンで掴んで持ってくる(手馴れしている感じと男っぽさなどが表現される)という芝居一つで彼の人物像が浮き上がってくる。P.A.WORKSの映像力もあわさって、とても巧く出来上がっている。




 向井戸まなかが木原紡と出会うシークエンス。そこで、光はその「特別な出会い」を目撃してしまうわけなのだが、そこでは光を逆光で捉えつつ、彼を画面中心で捉えることはなく、画面右端へと追いやる。画面左端にぽっかり生まれた余白の空間によって、彼が受けた心のショックさをあらわす(不均衡な構図によって)。それに加え、後景で鳴きながら飛び回るかもめたちは、彼のかき乱される心情をあらわす。




 うろこ様に会いに行くシーン。うろこ様にメスの匂いがする(発情期)と云われ、ショックを受けたまなかは、飛び出ていく。光が追いかけた先で、二人は会話するのだが、そこでまなかは、髪をかき上げる(耳が見える)。その仕草によって、まなかの女性らしさを表現し、光はまなかの変化に気づいてく。




 うろこ様の呪いによって、学校に行きたくないと部屋に閉じこもるまなか。そこで、光が部屋を訪れる。みんなには、呪いを見せたくはないが、「光には見せてもいい」とまなかが光に伝えると、まなかにとって自分は他の者とは違う特別な存在だとわかり、光は喜ぶ。また、そこで光は、まなかの足の細さ(未成熟さ・か弱さを表す)を指摘し、彼女は自分が守べき存在、まだ幼いことを再確認する。


 しかし、まなかは紡といつの間にか仲良くなっており、うろこ様の呪いを他人に、しかも陸の世界の男の子に見せている時を知ったとき、まなかかが確実に変わっていっていることを悟る。


 その時の光とまなかの繋がれた手を写したショットは、何とも複雑な印象を与えるショットだ。この二人の手は、一体いつまで繋がれているものなのだろうか? これからも変わらず繋がれていくものなのか。それとも、別の誰かと繋いでいるのか。二人が手を繋いで海の世界に帰ってくることが、またあるのか。




 『凪のあすから』を視聴して篠原俊哉監督の人物描写の巧さを再確認した。上記した描写など、篠原監督は見せ方はやっぱ巧い。

 前作の『RDG』よりも『凪のあすから』での演出の方が、洗練されていると僕は思う。それにしても、篠原俊哉監督の感覚は若い(古臭さを感じない)。片山一良監督や原恵一監督と同世代とは思えない若さだ。



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 『凪のあすから』の面白さは、岡田麿里さんの力も大きいと思う。やっとP.A.WORKS岡田麿里さんが帰ってきた(2年ぶりだ)、P.A.WORKS岡田麿里という最強のタッグ。


 『花咲くいろは』の時に、岡田麿里さんについてちょっと書いたが、岡田麿里さんの独特の言語センスが今回も十分に発揮されている。


 例えば、第2話において、紡のことを呼び捨てにするまなかに憤慨する光に対して、まなかは「光は最近変だ」と反論する。怒ってその場を立ち去る光。光に対して、悪いことをしたと思い反省するまなかは、ちさきにその事を話すのだが、その第一声が「間違った」である。僕は、この台詞を聞いてとても驚いた。


 なぜ驚いたのかというと、「間違った」の言葉が出てくるとは、想像できなかったからである(前の流れを考えると出てこない、っていうかそこでその言葉を選択するか?)。岡田麿里さんの脚本ではしばしば、予想もつかない言葉が飛び出てくる。他の脚本家が選択しない言葉を唐突に出してくるのだ。『花咲くいろは』でもそれは顕著だったと思う。

 「メスの匂いが」とか「陸の上を泳いでいるみたい」とか独特のフレーズも印象的だ。(なにしろホビロンを生んだ人物だし)。第1話において、雑貨店で働くあかりに対する嫌がらせで潮留美海と久沼さゆがガム文字をするのだが、普通なら落書きという発想に落ち着くのだが、そこをガム文字にしてしまう岡田麿里さんの発想力(第2話において新しく呪いを受けるため、うろこ様に煮物を投げるまなかの行動とかも)。凡人では、思いつかない発想だ。




 第1話、まなかを助けた紡。二人の風呂場のシーン。そこで膝の魚に餌を与えようとする紡に「育てないで」と云うまなか。その「育てないで」には、紡に対するまなかの想いをそれ以上大きくする(育てる)意も含まれており、でも紡はまなかに対し綺麗だと云い、彼女が持つ想いを育ててしまう。

 こういうやりとりをさらっとやってしまうのも岡田麿里さんの魅力だ(第1話のちさきと要のやりとり、「いろいろ面倒なんだね」「そうよ、面倒なの」も素晴らしかった)。

 岡田麿里さんが描く、光、まなか、ちさき、要の4人のこれからの恋愛描写も楽しみ。


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 今後の物語も色々と気になる。

 異種間の交流、異種間の対立、思春期の身体・心の変化、思春期の恋愛、故郷の荒廃と伝統の維持など色々なテーマの他に、第2話では地上の者と海の者の恋愛の禁忌、結ばれることによっての追放、故郷を離れる・捨てるということ、新しい場所への渇望などが提示され、複雑なドラマが展開されそうな感じがする。提示のされ方がよくできているなぁと思った。



 『凪のあすから』をまだ見てない方は、要チェックです!