『中二病でも恋がしたい!』 落ちてくるヒロインを受け止める主人公

 

 第9話「混沌の…初恋煩(カオス・ハート)」までを観て。



 『中二病でも恋がしたい!』では、ある行為が繰り返し描写される。


 それは、落ちてくるヒロインの六花を、主人公・勇太が受け止めるという描写だ。



 第1話「邂逅の…邪王真眼」のアバン。満月の夜、中二病グッズを捨てるためにベランダへと、中二病グッズが入ったダンボールを運ぶ勇太。そこで、上階からロープを伝って降りてくる少女・六花と出会う。その際、降りてくる六花を勇太は両手で受け止めて、ベランダの欄干に足を着かせる。なぜ、勇太は六花を受け止めたのか? もがきながら降りてくる少女(六花)を見て、大変そうだから、危なそうだからと思って、彼女を助けるために受け止めたのか。

 六花を受け止めなくても、物語は成立するとは思うのだが、あえて勇太に六花を受け止めさせた。いや、そもそもなぜ勇太と六花の出会いをこの設定にしたのか。主人公とヒロインの出会いという重要な要素を、この設定に選択したのか。



 ちなみにこのロープから降りてくる六花を受け止める描写は、第6話「贖罪の…救世主(イノセント)」でも行われる。




 第7話「追憶の…楽園喪失(パラダイス・ロスト)」。実家へと里帰りにきていた立花たち。自室に篭っていた立花に声を掛け、一緒に不可視境界線を見つけにいくことになった勇太。2階の窓から、外へと出ようとする二人を阻もうとする十花。勇太は、十花を避け、植え込みをクッションとして地面に降り、降りてくる六花を受け止める。




 第9話「混沌の…初恋煩(カオス・ハート)」のBパート。同好会の面々は、文化祭準備を手伝うことになり、勇太と六花は垂れ幕をセットするために屋根へと登る。そこで六花は足を滑らせ、屋根から落ちそうになる。勇太は、立花を助けるために屋根から下階に移動して、ベランダから六花を受け止める。




 要所要所で反復される「受け止める」というイメージ。前の記事(この記事を参照)でも書いたことだが、この行為は「六花」というヒロインを受け止める(受け入れる)人物は、勇太だということを指し示してくれる。勇太以外に、六花を受け止める者はいなく、六花を受け止めることが出来るのも、勇太しかいないのだ。


 この反復される行為で、彼と彼女の運命的な繋がりを表していく。

 第1話での勇太と六花の出会いで行われた「受け止める」行為。受け止めることによって、勇太と六花の物語が始まる。立花が降りてくる瞬間、受け止めなければ物語は始まっていなかった。



 第7話。母も姉も祖母も祖父も、誰ひとりして六花と一緒に不可視境界線を探しに行くことを、信じることを、しなかった。彼女を受け入れようとする人間はいなかったのだ。しかし、勇太だけが、六花とともに不可視境界線を探しにいくことになる。彼だけが、彼女のそばにいようとした。


 そこで行われるのが、2階から降りてくる六花を受け止める勇太という行為だ。だから、あの場面は感動的に映る。「受け止めること」によって、物語は躍動し、加速する。



 第9話。勇太への恋心から、勇太を避け続けている六花。そこで、屋根から落ちそうになる六花をベランダで受け止める勇太という行為が行われる。勇太に受け止められた六花は、自分の内に秘めた想いが発露する。六花の想いを受け止める人物は、やはり勇太なのだ。


 この場面は、第1話と相似している。勇太は六花を受け止め、ベランダの欄干に足を着かせる。勇太と六花の出会いを反復させたのは、彼と彼女の想いが通じたことをドラマティックに表現するためではないか。


「受け止める」だけで終わった出会いから、第9話はその先の「抱きしめる」まで行われている。二人の関係が確実に進んでいることがわかる。




 「落ちてくる」という足が着かず、空中に浮いた不安定な状態。それは六花の現在の心理状況を指し示しているのかもしれない。六花は、いなくなった父親への想いを抱え込んでおり、悩み・不安を持っている。それは不安定な状態ともいえるだろう(それが顕在するのが里帰りの時)。その不安定な六花を、受け止めて地面に着地させる(=安定な状態)存在が勇太であり、勇太は六花の不安を解消させる存在。


 勇太は宙に浮かぶヒロイン・六花を、着地させ、導いてくれる主人公なのだ。