『たまこまーけっと』 リアリティとファンタジーの同居
『たまこまーけっと』第3話「クールなあの子にあっちっち」までを観て。
第3話で、山田尚子監督がコンテに参加しなくなると第1話・第2話の少女+可愛らしさが急に鳴りを潜めるのが面白かった。ここまで雰囲気ががらっと変わるものなのか。山田尚子監督の独特の少女感って、他の演出家にはうまく真似できないってのが興味深い。
小川太一さんのコンテ・演出が良かった。『中二病でも恋がしたい!』第11話で印象的だった横構図のフルショット・ロングショットが目を引く。別に頻度はそこまで多くないし、他の演出家だってやっていることなのに(第1話・第2話で山田尚子監督もそれなりの頻度で使用している)、小川太一さんの横構図はやけに印象的だ。平面的というか、水平的というか、なんいうか。小川太一さんの横構図には、柵や窓・門の格子などが前景・後景に配置されることによって、横構図をより水平的に見せている感じがする。と云っても、小川太一さんは『氷菓』からコンテ・演出に参加しており、本数が少ないので、まだなんとも言えないが。
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『たまこまーけっと』 を観て、尚更思ったことだが、「京アニはファンタジーとリアリティを同居させるのが巧い」ということ。
『たまこまーけっと』の世界観はかなりファンタジーだ。うさぎ山商店街という舞台は現実の商店街とあまりにもかけ離れすぎたかなりファンタジーなもので、デラ・モチマッヅィなんていう存在はファンタジーそのもの。でも、作品は幻想的過ぎず、現実感がそこにちゃんとある作りになっている。
その現実的な部分は何かというと、背景美術だったり、実写的な撮影だったり、人物の芝居だったりする。
例を挙げていく。
第3話Bパート。散り際の桜と緑が混ざった描写。こういう描写ってあんまりアニメで見ない気が。川の水面への反射や、桜の花びらが流れていく描写とか、現実感あるものに仕上がっている。今やロケハンをして、現実の風景を背景として使っている作品は多いし、背景描写に力を入れている作品も数多くあるが、京アニまでの細部に至る肌理細やかな描写は、そうそうできない。というか出来てない。京アニの背景美術と撮影の力があってこそのものだ。
小道具に関しても、家の家具や文房具や衣服までも作り込まれていて、粗雑な作りにはなっていない。照明設計に関しても、早朝、夕暮れ、昼間、屋外、室内、雨、晴天、曇天など状況に合わせて、光の加減を絶妙に変えてくる。
ちなみに、第3話は桜と舞い散る桜の花びらの描写が綺麗だ。
人物の芝居に関しても、もちろんアニメ的な芝居もあるが、リアリティある芝居もしている(リアルな芝居の方が多い)。それは、作画の力に寄るところもあるが、演出的にもだ。第1話の北白川家が餅作りをするシーンでの、ただ餅を握るっていう記号的な芝居ではなく、手の使い方一つ一つが計算された現実に近い芝居になっている。
リアリティある芝居は、全編に渡って使用されており、例に挙げるときりがない。運動神経が悪い子であったら、動きを鈍くする。老人だったら、中年のおばさんだったら、小学生だったら、気の強い子だったら、大人しい子だったら、と画一的な芝居をせずに、その登場人物の年齢・性格に、それぞれ合わせた芝居をする。手間がかかることを厭わない仕事っぷりだ。第3話でのトイレの鏡前での朝霧の笑顔を作ろうとする芝居も素晴らしかった。僕は、OPのたまこのスキップの芝居が好きだ。スキップしてますよ的な観ている物に認識させればそれでいい芝居ではなく、女の子が意思を持ってスキップしているという(生命をもっている感じ)リアリティ溢れるもの。
第3話での、朝霧史織の視線の芝居も見事だった。朝霧は、たまこと目を合わせることができない。話をしていると、すっと目を逸らしてしまう。その自然な視線のはずし方。彼女は自分の気持ちをうまく表現できない。恥ずかしがり屋さんだ。彼女がたまこと視線を交差させようと、自分の気持ちを伝えようと、喫茶店で勇気を出して、たまこと見つめ合う。ここでようやく朝霧とたまこは視線を交差させる(切り返しショットによって)。それからは、朝霧はたまこに対して視線をそらさない。視線をめぐる考えられた芝居だ。
カメラレンズに関しても、状況に応じ広角レンズや望遠レンズなどをちゃんと使い分け、それに応じた画面設計をちゃんとしている。実写的な見せ方。だから画面に奥行きが生まれている。EDの映像なんかも、アニメ的ではなく、実写的な作られ方だ。
ファンタジーの中に、リアリティを挿入することによって、画面に説得力が生まれ、作品がきちっと締まる。作品が嘘っぽくならずに(まあ、実際は嘘なんだけど)、ある程度の真実味が生じてくる。現実感というものは、「日常」を描く上にあたって必要なものだろう。其処に彼女たちがいると思わせるには、ある程度のリアリティは必要不可欠になってくる。京アニはファンタジーの中にリアリティを同居させるのがめっぽう巧い。ファンタジーとリアリティのバランスが絶妙なのだ。それは、京アニの高いクオリティがあってこその代物だろう。昔から京アニはリアルな部分を作ってきたけど、作品を追うごとに洗練されていっている。その進歩は見ていて飽きない。
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僕の周りは、大半の人がスマホを使っているけど、たまこもみどりも朝霧も二つ折り携帯なのか。今時の女子高校生って二つ折り携帯なのだろうか(街中で見かけるとスマホがかなり多いが)。『中二病でも恋がしたい!』の立花も二つ折り携帯だった。『けいおん!』も確か二つ折りだった気が(あの当時は今みたいに普及してなかったが)。それで、ネットで調べると、高校生ってそんなにスマホ使ってないのね・・・。
『たまこまーけっと』第2話 山田尚子監督の映像で語るということ
『たまこまーけっと』第2話「恋の花咲くバレンタイン」を視聴して、気になった描写があった。
それは、たまこともち蔵が糸電話で会話をするシーン。なぜ、二人は携帯電話や固定電話を使用せずに、わざわざ糸電話で話さなければならないのか。確か、たまこは携帯電話を持っていたはずだ。今時の高校生が、メールも使わずに、あえて糸電話を使う理由とは? ただ単に幼馴染みの男の子と女の子が糸電話で会話をするというモチーフを山田尚子監督がやりたかっただけなのかもしれない(それか、糸の上でモチマッヅィを踊らせたかっただけか)。
ちなみに、糸電話に書かれている文字を見ると、どうやらたまこが作った糸電話らしい。もち蔵の家に糸電話が置かれているのは、たまこの腕力では向かいの家まで、糸電話が届かないからだろう。
糸電話で会話をするのは、二人のやりとりの手際の良さからみると(語尾に無線通話要領である「どうぞ」をつけるなど)、昔から頻繁にやっているのだろう。つまり、携帯電話のない子供の頃から二人がやってきた名残りと考えられる。そこからわかるのは、二人の親密さ。子供の頃から、二人がやってきたことを今でも継続して行っているのは、二人の仲が途切れていないからだ。糸電話の会話により、登場人物の背景が見えてくる。幼い頃に、たまこともち蔵がやっていた糸電話という遊び。
彼と彼女の性格と関係性が視聴者に伝わってくる。
『たまこまーけっと』では、登場人物の性格・趣味や関係性などを、言葉で説明せずに、人物の行動や所作から表現していることが多々見受けられる。それは、山田尚子監督作品の『けいおん!』の時にも、あったことだ。
山田尚子監督作品では、物語を「台詞」で語ろうという感じではなく、「映像」によって語ろうとしていく。
登場人物の心情に関しても、台詞ではあまり語らない。『けいおん!』における唯たちが卒業することに気にかける梓の心情とか、進路に関しての澪の心情などが挙げられる。台詞によって登場人物の心情を表現していくのではなく、登場人物の芝居やカット割りで表現していく。
最近、登場人物の心情を台詞で全部説明してしまう作品を観て、それを台詞で説明してしまったら味気なさすぎるでしょ、と思ったことがある。映像で語ることは結構難しい。
『たまこまーけっと』第2話では、常盤みどりのたまこに対する想いの機微が、映像によって語られていく。
Aパート。みどりが高校に登校中、友人の一人が意中の相手に振られたことを知る。バレンタインが近づいているために、周りの女生徒たちは浮かれているようだ。教室でたまことかんなと会話をするみどり。ここでは、カメラは引き気味に彼女たちを捉える。会話を進めるうちに、たまこは誰にチョコをあげるのか、とみどりは尋ねる。ここで、カメラはみどりの足元を捉え、みどりの表情を隠す。このショットによって、今までのカットのリズムが変わり、空気が変わる。転調みたいなものだ。観ている者は、何か引っかかりを覚え、そこからこの質問が何やら含意があるものだとわかる。
Bパート。たまこ・みどり・かんなの放課後の教室でのシーン。車輪付きの椅子で遊ぶみどり、たまこの髪をいじるかんなの少女たちの何気ない戯れを巧く描写するのも、山田尚子監督の得意のするところ。
ここで、みどりの髪が綺麗だという話になり、たまこはみどりの髪を触る。何気ないことなのにみどりは、思わず驚いてしまう。自分の髪という心理的領域に急に入ってきたことに驚くのは、相手が気になっているということ。このようなたまことみどりのやりとりを第2話では丹念に積み重ねていく。
商店街PRのためにCM作成をすることになったたまこたち。そこに、みどりも参加する。CM撮影中、みどりの祖父である常盤信彦から、「みんな誰かを愛している」という言葉を伝えられる(英語で)。それから、自分の中にある言葉に出来ない感情があることを意識し始めるみどり。
ここで、見事なのは、みどりの肌理細やかな芝居だ。たまこを意識せずにはいられないみどりの心情を視線によって表現していく。視線の芝居によって、みどりの心情が伝わってくる。
モチマッヅィに喫茶店で自分の心の内を見透かされた後の、みどりの芝居はさすがだった。僕はここで感動してしまった。こういう表現をする演出家はそうそういない。タイルの上を橋を渡るようにして歩くみどり。最初は、バランスを取るために広げた両腕だったが、徐々に歩くスピードが上がっていき、その両腕はまるで飛行機の翼のように変化していく。みどりの横顔のクロースアップショットから、カメラは最終的に空を捉える。そのカメラワークは、空へと飛び出すような爽快感を与えてくれる(BGMも良い)。モチマッヅィによって、心が軽くなったみどりの心情を、まるで空に飛び立つようなカメラワーク(それに加えて、広げた両腕)によって表現するというのはかなり良かった。
最終的に、ラストにおけるみどりの笑顔の走りへと繋がっていく。少女たちの表情や仕草、心情を丁寧に描くことに関して山田尚子監督は一級だ。
山田尚子監督の、映像で物語を語っていこうという姿勢が好きだ。どういう芝居をしたら、登場人物の心情が表現できるのか。どのようなレイアウトにしたら、物語を語れるのか。このカットとカットを繋ぐと、どんな効果があるのか。これらのことを、綿密に考えて、ひとつひとつのカットを丁寧に仕上げていく。だから、完成したフィルムに自然と感動してしまう。
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気になったことが一つ。たまこって、コンタクトだったんですね。眼鏡がちょっとだけダサい。そこが良い。
『たまこまーけっと』と山田尚子監督らしさ
『MUNTO』に続く、自社オリジナル作品である『たまこまーけっと』。
第1話「あの娘はかわいいもち屋の娘」は、山田尚子監督らしさが満載の回だった。
『可愛らしさ』が全編に渡って溢れている。それは『けいおん!』のときよりも、積極的に描かれており、『けいおん!』よりも女子っぽさがアップした感じだ。冒頭の北白川たまこと常盤みどりと牧野かんなの下校シーン。光が当たった地面を飛び越えようとする彼女たちの所作。一人一人のジャンプをする時の手の動きや姿勢や着地など、肌理細やかに作られている。牧野かんなが影の手前で着地してしまう描写も良い。ここでは、『けいおん!!』的芝居(一期ではなく二期の方)が採用されている。『けいおん!!』的芝居っていうのは、僕が勝手に使っている造語なのですが、以前の記事で書いたように、登場人物の可愛らしさを最大限に表現するために、記号的な芝居ではなく人物の所作を最大限リアルに近づけ、本当の女の子の可愛らしさを表現しようとした現実に近い芝居のことを『けいおん!!』的芝居と勝手に言っています。冒頭の三人娘のシーンは、まさに『けいおん!!』的芝居なんだけど、OP以降は、『けいおん!!』的芝居は影をひそめ、たまこの走る芝居などなどアニメ的なオーバーアクションの芝居が続く(『けいおん!!』でもここまでしなかった)。
『けいおん的!!』芝居とアニメ的な芝居の併用で登場人物はより可愛らしく描かれていく。
本編中、度々使用されるフレーム内の周りがぼやけ、一部分に焦点が合っているショット。望遠レンズが選択されているのだろうか。印象的に使用されている。ピント送りも頻繁に使用されている。今までの京アニ作品でこんなにしていただろうか?
OPでのたまことあんこのやりとり(ここが一番好き)を筆頭に、全編に渡ってたまこの芝居はキュート。
たまこ、みどり、かんなのバッグやバトン入れのストラップなども細かく作られている。皆と違い、かんなのバトン入れはピンク。たまこの携帯ストラップは謎のもち風キャラクター。スマホではなく二つ折り携帯なんですね。電池パックのところにセロハンテープのようなものが貼られている。
たまこの首筋にはほくろがある。たまこのアップショットの時、やけに目がいく。
大路もち蔵はピアスをした今時のイケメン高校生っぽいんですが、部屋のインテリアが小学生の男の子の部屋っぽい・・・。青を基調とした部屋にはロボットやら、機関車のおもちゃが(通常の男子高校生は置かない気が・・)。整理整頓されて、オシャレといえば、オシャレなんですが、男子高校生の汚さは微塵もない。山田尚子監督の男の子部屋ってこんなイメージ?
商店街も花屋の内装も銭湯の内装もカラフル。たまこの自宅の居間の障子までカラフルだ。
山田尚子監督作品の服装って、全体的に登場人物の服のサイズがちょっと大きくて、手が袖で隠れるほど。ふかふかした感じ。『けいおん!』でもそうだったが、山田尚子監督が考えるキュートな服の感じって、こういうものなんだろう。
たまことあんこの部屋の小道具は細部まで作りこまれている。ペン立てから椅子まで。カーテンの留め具もオシャレだ。
EDは、ジャンプカットやカメラのレンズ効果を使用した従来の山田尚子監督らしいものに仕上がっている。OPよりもこっちの方が山田尚子監督らしい。
山田尚子監督作品に限らず京アニ作品全般に言えることだが(と言っても山田尚子監督作品が特に顕著)、登場人物の台詞や行動だけで、どういう人物かを表現せずに、その人物の服装や身につけている小道具や部屋のインテリアなど、パーソナルな物を細かく描くようにして、その人物の趣味・嗜好や性格を表現していく。映像によって、人物描写を豊かにしていくのが特徴だ。
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第1話は、好印象だった。次回が楽しみ。それと、山崎たくみさんと鳥って、とりっぴいの印象が強くて、なんか変な感じだ・・・。
『D.C.III 〜ダ・カーポIII〜』のシャフトスタイル
第1話「サクラサク」を視聴して。
脚本/山口伸明、コンテ/石倉賢一、演出/奥野耕太、作画監督/西尾公伯。
Aパートの冒頭、新聞部部室でのシーン。ぶつ、ぶつと切っていくカットのリズム、やけにカットを割るのなぁと思っていたら、無駄というか入れなくてもいいようなカットを挿入したり、ちょっと変わった構図をしたり、何やら普通の感じではなく、この奇抜な感じはどっかで見たことある・・・、シャフトっぽい感じだ。
監督の石倉賢一さんって、どこかで見た名前だなと思ってたら、シャフト作品に多く参加している方ではないか(『ひだまりスケッチ×☆☆☆』のシリーズディレクターをしていた方だ、ようやく思い出した) 。シャフトっぽさはあるけど、石倉賢一監督が自分なりに消化したシャフトスタイルっていう感じ。
シャフトっぽいなという思う感覚は、去年も経験した。『さんかれあ』の時だ。第1話目からシャフト的なカット割りのリズムとレイアウトの数々に、シャフトっぽいと感じた。監督は畠山守さん。小俣真一さんの変名だ。
最近、シャフト作品に参加して、シャフトスタイルの影響を受けた演出家の方の監督作品が多いように思える。制作スタジオがシャフトではないのに、シャフトっぽさがあるという作品。それは例えば、大沼心監督であり(バカテス)、元・演出家の上坪亮樹さんであったり(そふてに)、坂本隆さんや(黄昏乙女×アムネジアのシリーズディレクター )、鈴木利正監督(本編というより、OPやEDを担当した時)、畠山守監督、石倉賢一監督などが挙げられる。丁度、シャフトで経験を積んだ演出家の方たちが監督を任される時期に入ってきたものなのだろう。おそらく、このあとも多くのシャフトスタイルを学んだ演出家が監督をしていくと思う。
シャフトのスタイルが徐々に拡散している。
でもそれは、シャフトのスタイルのまんまではなく、自分なりに解釈し、昇華したものだ(前の記事で書いた畠山守監督のことなど)。今後、シャフトのスタイルがどう咀嚼され、進化・深化していくのかが気になるところ。それが一過性のものなのか、ずっと続くものなのか。
石倉賢一監督がどんな風に作品を展開していくのか楽しみ。
Aパート、新聞部室でのシーン。度々挿入される髪の結び目のクロースアップショット。挿入されるタイミングによって、シャフトっぽいカットのリズムが生まれる。他にも瞳や顔のクロースアップなどが、瞬間的に挿入される(独特のリズムを生むため)。
黒板を使ったお約束の演出。森園立夏の心情に合わせてチョークで書かれたキャラの絵柄がころころと変わる。
アイキャッチのシルエットがefっぽい。色使いとか。
俯瞰からのショットが反復される。それによって、独特の映像に仕上がっている。Aパート新聞部室でのシーンやBパート校門でのシーン。校門シーンの打ちひしがれる影だけの美琴が面白い。
Aパート、夕暮れのシーン。登場人物の立ち位置によって影の具合が違うのがやけにリアルで、手が込んでいるなと思った。夜に変わる間際の感じがよく表現されている。
Bパート、自室でのシーン。反復される平面的なフルショットとか、ちょっとシャフトっぽい。
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放送された2008年から時間が結構経っていて、設定を忘れまくっており、話がちょっと飲み込めない・・・。宮崎なぎさ監督の時が懐かしいなぁ。
話数単位で選ぶ、2012年TVアニメ10選
今年もkarimikarimiさんの「話数単位で選ぶ、TVアニメ10選」を選んで見ようと思っていたのですが、結局8選になってしまいました・・・(8選しかどうしても思い浮かばなかった)。
理由は、簡単に一言だけ。
『ブラック★ロックシューター』第4話「いつか夢見た世界が閉じる」
脚本/岡田麿里、コンテ/小林寛、演出/小林寛・今石洋之、作画監督/徳田賢朗
小林寛さんの巧さに驚く。ヨミの心理の推移を映像で表現していくのが良かった。小林寛さんの今後の仕事は要チェックだ。
『探偵オペラ ミルキィホームズ 第2幕』第3話「ハッケイ島綺譚」
脚本/江夏由結、コンテ/桜井弘明、演出/湖山禎崇、作画監督/大庭小枝
始まりから終わりまでハイテンション。桜井弘明節が炸裂した回。
桜井弘明さんのお馴染の文字での表現や脱力感、それに加えてのミュージカルなど、見所満載の楽しい回でした。
『さんかれあ』第3話「さんか…れあ」(A Zombie is Born)
脚本/高木登、コンテ/畠山守、演出/久保太郎、作画監督/瀧原美樹・金順淵
畠山守監督の特有のシンメトリカルな構図、シャフトスタイルなど、映像的な見応えもあるけど、物語的にめっちゃ盛り上がった回。彼と彼女(ゾンビ)の物語がここから始まった。
『ゆるゆり♪♪』第3話「チョコと涙と女と女と磯辺揚げ」
「櫻子が可愛い」の一言に尽きる回。
三原武憲さんの素晴らしさ。第7話「姉妹事情あれこれそれどれ」然り、櫻子をここまで可愛らしく描写できるのはこの方しかいない。
『めだかボックス アブノーマル』第10話「みんなを幸せにするためには」
佐伯昭志監督のコンテ・演出回。
一期はそんなに熱中しなかったが、二期の盛り上がりっぷりに毎週楽しんで視聴していた。
思わず涙が出てしまった回。めだかと善吉のストーリーが感動的だった。こんなにテンションが上がる回はそうそうない。
2012年を振り返って〜個人的TVアニメベスト10〜
去年に引き続き今年も。今年も簡易版で(選んだ理由は割愛)。
2012年の京アニについて
今年の京都アニメーションについて思ったことのメモ。
2012年は、『氷菓』(2012年4月〜9月)と『中二病でも恋がしたい!』(2012年10月〜12月)の2作品が放送されました。
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僕は、勝手に高雄統子さんが去った後、どういう方が出てくるのかとても気になっていました。高雄統子さんが去って出来た穴を埋められることができるのかと。
高雄統子さんは、おそらく今の演出家の中で一番切れまくっている人だと思っています(勝手に僕が思っているだけですが)。
『CLANNAD』や『けいおん!』&『けいおん!!』、『涼宮ハルヒの憂鬱・消失』(消失での高雄パートは必見だ)の仕事っぷりを見たら、一目瞭然だと思う。京アニを離れても、 『THE IDOLM@STER』でめちゃくちゃいい仕事しており(コンテ・演出回のレベルの高さ、第24話は圧巻)、どこに行っても素晴らしい仕事をする方だと証明したことでしょう。
高雄統子さんについては、前に書いた記事でちょっと触れましたが、徹底的に作りこまれた画面設計と鬼気迫る感じが本当に凄くて、その鬼気迫るっていうのは、『けいおん!』第11話、『けいおん!!』第22話、『涼宮ハルヒの消失』高雄パート、『THE IDOLM@STER』第24話などの、重ための緊迫感がある話の時があまりにも巧い。ヘヴィなストーリーの監督をやらせたら、どんな凄いものが出来上がるのかと思う。
そんな方が去った現在、京アニはどうなるのかと思っていましたが・・・
京アニは全然揺るがない。
優秀な方が去ったとしても、次から次へと優秀な方が登場する。
例えば、内海紘子さん。
『けいおん!!』から、コンテ・演出に参加するようになり、その時から目立っていた(第13話「残暑見舞い!」など)。劇的且つ作り込まれた描写の数々。『氷菓』第7話「正体見たり」での夕暮れの描写や第21話「手作りチョコレート事件」での冒頭においてのインパクト大な摩耶花のシーン、そして奉太郎と里志の雪の中でのシーンなど、どれも素晴らしい。内海紘子さん、はハッタリの効いた派手なシーンから落ち着いた真剣なシーンまで、バランス良くこなせる人だと思う。山田尚子さん的なケレン味のある演出から高雄統子さん的な精巧なカット割りまで、幅広くこなせる類まれなバランス感覚を持っている。
『中二病でも恋がしたい!』第5話「束縛の…十字架(ハード・スタディ)」でのラストの派手な立花の振り返り(あまりにもキュート)なんていうのも素晴らしかった。こういうことをさらっと出来てしまうのが強みなんだなぁと思った。
『日常』から河浪栄作さんが、『氷菓』から太田里香さんと小川太一さんが演出として参加するようになり、三人の仕事っぷりも良い。
太田里香さんは、『氷菓』第11.5話「持つべきものは」においての、序盤での奉太郎と姉の自宅シーンのカット割りが素晴らしくて、びっくりした。その後の第20話「あきましておめでとう」での奉太郎と千反田のやりとりも良かったし、第8話「二人だけの…逃避行(エグザイル)」での序盤の立花と十花のシーンや勇太と立花の電車シーンなどが素晴らしかった。印象としては、シーンごとにばらつきがあるような感じで、とあるシーンはすごく良いのだけど、他のシーンはあんまり良くないなんていう感じ。これから、全部が良いシーンになったら凄いことになるのだろうなと。
コンテ・小川太一さん、演出・河浪栄作さんの『中二病でも恋がしたい!』第11話「片翼の堕天使(フォーリン・エンジェル)」は圧巻だった。冒頭から、その出来の良さが他の回とは違う。『氷菓』の時にはあまり感じなかったが、小川太一さんの演出力の高さは今後要チェックだ。本当に素晴らしかった。
冒頭の色彩の乏しい灰色の空気感の表現から魅了された。
山本寛さんが去っても、高雄統子さんが去っても、必ず優秀な演出家が登場し、作品を盛り上げていく。京アニは、底が知れないと、今年放送された『氷菓』と『中二病でも恋がしたい!』を視聴して感じた。また、新たな演出家が登場するのだろう。
『けいおん!!』(一期ではなく、二期。二期の方が一期よりも洗練されている)で、京アニはリアルな人物描写をつきつめて表現したと思う。それは、人物の仕草や行動であり(コップを持つ仕草や髪をとかす仕草など)、その点に関しては『けいおん!!』は今までの京アニのどの作品よりも上だと僕は思っている。その現実的な人物の芝居を極限まで表現した結果、まったく正反対の『日常』というシュールなギャグ描写に行きついた。その次の『氷菓』では、現実に近い人物の芝居というよりは、演劇的な人物の芝居という方向性が強かった。少々過剰な人物の身振りやシチュエーションは、それをあらわすものだろう。リアルな芝居、演劇的な芝居から、『中二病でも恋がしたい!』というアニメ的な表現(記号的な)に回帰する。京アニは、青春物を多くやってきたが、ド直球の王道物は作ってこなかった。『中二病でも恋がしたい!』で、初めての王道の青春物を作り上げる(中二病というちょっと変わった設定は使っているが)。
それでは、オリジナル作品『たまこまーけっと』で京アニは一体何を表現するのか。気になってしょうがない。山田尚子監督は、『けいおん!』の路線を継続するのか、それとも別の新たな方向へと向かうのか。番宣を観ただけでは、判断はできない。
放送が待ち遠しいです。